継母の思い出
世界名作文学、みたいなのに出てくる継母はたいていイヤな奴だ。
私を育ててくれた継母もなかなかにイヤな奴だった。
「のりお、あんたのパンツにまたウンコついてたわよ」
とニヤニヤしながら言ってきて、私が恥ずかしそうにするのを見て「愉悦!これがあたしのたまらない愉悦!」みたいな表情を浮かべるのだ。意地悪、下品、俗物、外道、邪悪、そういうものをまぜこぜにした感じのイヤ~な表情。
脱糞後、尻を気をつけて何度も拭っているのにきっと何かが足りないのだろう、私のパンツにはウンコがついてしまう。そして、風呂に入る時に脱いだパンツのそれを確認して、がっかりする。残念無念。なあ、ウンコよ、おまえはいったいどこから来るのだ?
「のりお、パンツにまたウンコついてたわよ。あんた、まさか拭かないで出てきてるんじゃないでしょうねえ? ははは」
コラ、後妻! バカにすんなよ!
俺の努力も知らずに!
私も中学生になるとそれなりに自我も芽生え、それって人としてちょっとどうなの? というイチャモンには適宜反撃するようになった。
例えば、一番風呂に入りたがる継母の隙を突いてたまに先に入ると、
「のりお、あんたの後にお風呂入るとチン毛がいっぱい浮いててイヤなんだけど」
「おー、それ言う? それ、言っちゃうんだ。じゃあ、俺も言わせてもらうけど、俺はマン毛がビッシリな風呂でも今まで黙ってましたがねえ。たとえ家族でも、最低限のエチケットみたいなもんって、あるんじゃないのかなあ」
みたいな感じ。
継母の実子だった弟とは、飯のオカズが全然違うこと(弟は牛肉、兄と私は鮎とか)が日常的にあったけど、こういう差別って普通に継母あるあるですよね。
そういうあからさまな差別をしている自覚が継母にはまるでなさそうだったから、人間としてまったく尊敬してなかったし、むしろ軽蔑していた。「反面教師」という言葉を知ってからは、非常に良い教材であることに気づき、その言動をよく観察するようになった。
***
弟が高校を卒業し、実家を出るタイミングで継母も家を出て父とは別居を始めた。
「出ていく女の引っ越しのために、会社のトラック借りて手伝ってやるなんて、俺もどんだけお人好しなんだか。ははは」
と苦笑混じりに言っていたオヤジの姿は今でも印象的な記憶として残っている。
狡猾な継母はすぐには離婚せず、年金分割で有利な状況になるのを待ってから離婚した。
ホント、最後の最後までイヤな奴だった印象しかないよね。
オヤジが死んだ時に、その昔にご近所さんだった継母のママ友から電話がかかってきて、一通りお悔やみを述べた後に、
「のりおちゃんは○○さん(←継母の名)のこと嫌いだろうけど、○○さんだっていろいろ大変だったのよ。今はまだ無理かもしれないけど、もっと歳をとったら親の気持ちが分かることがあるかもしれないから、たまには○○さんのことも考えてみてね」
と言われ、「?」となった。
そして、未だに「?」だ。
全然懐かない連れ子で、実子の息子を執拗にイジめ、育つに連れて口ごたえはするわクソを見るような目で見てくるわ、継母が俺を可愛がる要素なんて一つもなかったよね、という自覚はもちろんある。
***
いつの間にかパンツにウンコがつくことはなくなった。
同じように、いつか「?」もつかない日が来るのだろうか。
いやー、来ねーだろ。たぶん。
嫌いな人を、嫌いなままでええやん。
無理な人を、無理なままでええやん。