テヘランが意外だった話
「厳格なイスラム国家」、「反米国」といったイメージを抱いていたイラン。しかし、実際に首都テヘランに降り立つと、そんなイメージが打ちこわされていくのだった。そんなイラン、テヘランへの旅の話。
イラン入国
僕はエマム・ホメイニ空港に降り立った。まずはアライバルビザを取得しなくてはいけない。ビザを申請する部屋へと向かった。あまり混んでいなかった。それでも時間がかかったが、問題なくビザを取得できた。ビザを持って入国審査へ向かった。パスポートにはスタンプは押されなかった。僕は無事にイランへ入国した。
僕はパキスタンから空路でイランに飛んだ。正直イランに何か目的があった訳ではない。強いて言えば、「アジアから西へ移動して行く中で、変わりゆく風景や文化を見たくて、イランを飛ばすのがなんだかもったいない」と思ったからだ。もしくは単に「深夜特急」の影響だろう。要するに「ついでに見ておこう」ぐらいの感覚だった。
だからと言って、イランはそう気軽に来れるような場所ではない。イランに入国したことがわかれば、アメリカのESTAでの入国ができないのだ(パスポートにスタンプを押さないのはイラン出入国の履歴を残さないためのようだ)。要するにイランに行くことは、アメリカに行くことを困難にするというリスクが伴うのだ。ただ僕はアメリカにそれほど行きたい訳ではなかったし、アメリカに行きたくなったら面倒でもビザを取ればいいや、と思っていた(その後幸か不幸かアフリカでパスポートが盗まれ、イランに行ったという証拠はなくなった)。
両替してみると…
僕は荷物を受取り、入国ゲートをくぐり、両替所を探した。両替所を見つけ、ディスプレイのレートと調べておいたレートを見比べる。ん?全然数字が違う。それは誤差の範囲内とかそういうレベルではなく、全く違うのだ。僕は混乱した。しかし街まで行くにはイランのリヤルが必要だった。レートがどうであれ、両替するしかない。しかもよく考えれば、事前に調べておいたレートよりもはるかによかった。
後で知ったことだが、インターネットで調べて出てくる公式のレートと実際のレートは倍以上違う。正規の銀行であれば公式レートを使っているだろうが、両替所はどこも実際のレートを使っていた(銀行で両替すれば損をする)。しかも通貨の桁がべらぼうに大きかった。100USドル両替したら12,500,000リヤルが手に入った(2019年12月当時)。1枚の紙幣が財布に入りきらない札束になって返って来るのだ。なんだか得した気分だった。しかししばらく僕は店の支払いの時に、頭の中でゼロを数えながらだいぶ混乱していた。
なんだか腑に落ちないまま両替を済ませ、空港の正面にある鉄道駅へ向かった。市内へ行く電車に乗った。電車はきれいで、人はほとんど乗っていなかった(なぜかおじさんが寝ていた。だいぶお疲れのようだ)。電車が走る間僕は外の風景を眺めていた。線路の真横は道路で、車が走っていた。特段イランに来たことを実感させる風景ではなかった。
テヘラン市内へ
やがて電車は地下を走るようになり、地下鉄となった。駅から多くの人が乗り込んで来るようになった。エマム・ホメイニ駅で降りた時、ホームにはたくさんの人であふれていた。ちょうど帰宅ラッシュのようだった。
僕は地上に出て、目をつけておいた宿へ向かった。道路は車とバイクであふれていた。
宿は駅から近くの、大きな通りに面したところにあった。周りは自動車部品の問屋街だった。日本人が多く利用する宿らしく、受付の男性は片言の日本語で挨拶をしてきた。ドミトリーとシングルの値段があまり変わらなかったのでシングルに泊まることにした。
部屋は狭かったが、寝るだけなら十分だった。しかも暖房がついていた。そして共同シャワーのお湯は湯量も湯圧も温度も日本のそれと遜色なかった。インドやパキスタンの暖房もない、シャワーもチョロチョロとしか出ない宿に泊まってきた僕には感動モノだった。別に高級ホテルでもない。むしろ値段で言えばインドの宿とさほど変わらなかった。日本から直接来る人には物足りないだろうが、僕にはこの宿は十分だった。
未知のイラン料理
僕は夕食を求め外へ出た。宿の近くの食堂に入った。僕はイランの食べ物がどんなものか知らなかった。パキスタンのカレーやチャパティに似たものだろうと思っていた。僕はメニューから手頃な値段のものを注文した。
最初に紙ナプキンのような薄いパン(?)とスープ、そしてラップに包まれた玉ねぎがテーブルに置かれた。この珍妙な組み合わせに戸惑いを隠せなかった。スープはわかる。この薄いパンは食べられるのか…?。きっとスープにつけるんだな。しかし、この玉ねぎはなんだ…?まるで冷蔵庫に余ってた玉ねぎを持ってきただけではないか。僕は玉ねぎをかじった。鼻がつーんとした。これは食べてよかったのだろうか…。
その後にメイン料理が来た。プレートにはご飯とケバブ、バター、焼かれたトウガラシ、丸焦げのトマト、みかんがのっていた。食べ方はわからない。口に入れれば同じだ、と思いそれぞれを口に入れていく。変に味付けされてる訳ではなかったので、悪くはなかった。ただ少々物足りなかった。僕はデザートだと思ったみかんを口に入れた。酸っぱかった。僕はこれがケバブにかけるレモンであることを悟った。
僕は店を後にした。なんとなく物足りなかった。インドでの癖か、チャイを飲みたくなった。僕は駅の方へと歩いて行った。
駅前にマーケットのように店が並んでいた。寒い中テーブルでは家族づれやカップルが食事を楽しんでいた。通りを歩いて目についた売店の店前には大きなポットが置かれていた。僕はチャイを頼んだ。綺麗な琥珀色をしたチャイだった。イランのチャイはインドのミルクティーとは違い、ただの「紅茶」だった。お好みでポットの横の砂糖を入れることができた。インドのチャイからすれば物足りなかったが、イランではよくこのチャイを飲むことになった。紙コップでもらったチャイを飲みながら、僕は宿へと戻った。
テヘラン散策
翌日から僕はテヘランの街を散策した。よくバザールやその周辺を歩いた。いろんなものが売られていた。モスクやイスラムっぽい建物もあった。人が多く賑やかだった。
お腹が空けば手事な値段で食べられるサンドイッチを食べた。イランにはサンドイッチ屋がいたるところにあった。長いパンに野菜やケバブやレバーといった肉を挟むサブウェイ的なサンドイッチだ。何を入れるかは自分で選べたが、多くの店のメニューがペルシャ文字だった。そしてあまり英語が通じなかった。僕はディスプレイに並んだ肉を指差して注文した。時々ハズレることもあった。
ビジネス街と思われる場所も歩いてみた。そこはもうイスラムっぽさは全くなかった。東京のどこかを歩いているようだった。郊外の公園にも行った。そこからはテヘランの街並みが一望できた。高層ビルが立ち並んでいて、テヘランが大都会であることを実感した。
イメージとは違うイランの姿
僕はイランを「イスラムに厳格で、アメリカをはじめとする西洋文化を嫌っている国」だと思っていた。そしてイランをパキスタンの続きのような国を想像していた。パキスタンはごちゃごちゃしており、人々はイスラムの衣装を身にまとっていた。だからイランもそんな感じだろう、と。
しかし全く違った。テヘランに限って言えば、思った以上に都会できれいだった。人々は洋服を着ていて、街にはハンバーガーやピザ屋があった(某有名なやつではなく)。多くはないがクリスマスのデコレーションを売っている店もあった。
イスラムには厳格な部分もあるだろうが、見た目にはあまりそう見えない(女性は外国人でもスカーフで頭を隠さなくてはいけなし、バスの車内も男女別れていた)。街中を歩いている男性は皆洋服だった。女性は時折イスラムの黒ずくめの服を来ている人もいたが、ほとんどがスカーフで頭を隠している程度だった。それも「決まりだからやってるのよ」という感じで、ふわりと頭にのせていた。しかも男女が仲睦まじく歩いている光景も目にした。パキスタンではありえない光景だ。モスクからのアザーン(スピーカーから聞こえる祈りの声)も派手には聞こえてこなかった。
テヘランには都会特有の静けさもあった。人々は互いに無関心で、僕に話しかけてくることはない。地下鉄は物売りが時折歩いてくる以外は、日本のそれのようにしんとしていた。インドで常に人々の関心にあって疲れていたので、一種の安らぎだった(慣れればつまらないだろう)。
だから、まるでヨーロッパにでも来たかのように感じた(この時ヨーロッパに行ったこともなかったが)。言葉もどことなくヨーロッパの言語のような響きがある。ただし文字はペルシャ文字で、全くもって解読できなかったが(メニューや値札、バスの番号などペルシャ数字が使われていることが多く、僕はペルシャ数字を頭に叩き込まなくてはいけなかった)。
金曜蚤の市
ふとテヘランで金曜蚤の市があることを知った。イランでは金曜日が週の休みだ(日本で言う日曜日)。歩いて行けるとこにあったので行ってみた。
立体駐車場全体が使われていて、各階でいろんなものが売られていた。骨董品から日用品、工芸品、古着まで。日本のポストカードもあれば、箸もあり、小さな折り鶴のピアスもあった(どれも現地の人が売っている)。クリスマス用品も売っていた。
正直何も期待せずに来たのだが、見ているだけでも飽きなかった。今まで行った市場の中で一番興奮したかもしれない。インスピレーションが湧いてくる場所だった。
何よりも全くイスラムっぽさがない。時折見るペルシャ文字がここがイランであることを思い出させてくれるくらいだ。たまに黒ずくめの女性を見るが、皆おしゃれに着飾っていた。もはやスカーフすらしていない女性もいた(いいのだろうか)。若者も多く来ていて、西洋人のようにおしゃれでかっこよかった。
売る側にも若者が多かった。自分で作ったであろう工芸品を売っている人もいた。おしゃれなバンでコーヒーを売っている若者もいた。僕は思わず列に並び、コーヒーを買った。
厳格なイスラム国家、反米国というイランのイメージを打ちこわすような市場だった。市内の大きなバザールよりも全然おもしろかった。毎日来てもいいと思ったくらいだ。
予想外のイランの姿や桁外れの通貨単位や解読不能なペルシャ文字、食べ方がよくわからない食べ物。どれもが新鮮で、刺激的だった。やはり旅というのは予想外のことに遭遇する方がおもしろいのだ。
いろんな意外性を見せてくれたテヘラン。また来たい。
(イラン旅行:2019年12月初〜中旬)
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