「栂海新道」という合言葉
7月の終わりに梅雨が明け、いよいよ夏山のシーズンが到来した。僕は久々の登山に足を慣らすべく、蓮華温泉から朝日岳、雪倉岳、白馬岳を周遊するルートを2日かけて歩くことにした。ここ数年で北アルプスのメジャーなルートをほぼ歩き尽くした僕にとって、今回の選択は「歩いていない場所」というどちらかというと「消去法」だった。正直あまり期待はしていなかったのだが、結果として予想以上にいい旅となった。「栂海新道(つがみしんどう)」と言う合言葉が飛び交う朝日岳を巡る旅の記録だ。
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「小谷村はほとんどトンネルでできているのではないか」と思うくらいトンネルだらけの国道148号線を車で北上し、糸魚川市に突入する。程なくして国道から右折し、集落を抜け山道を走っていく。Google Mapは到着までまだ1時間ほどかかることを教えてくれた。もうこの時点で携帯の電波は圏外で、ストリームでかけていた音楽は途切れてしまった。僕は不安な気持ちになった。低ギアのエンジン音を聞きながら運転した。
途中数台の車しかすれ違ったにも関わらず、蓮華温泉の駐車場にはかなりの数の車があった。しかし登山者らしき人の姿は見当たらない。時刻は8時前だった。僕はおにぎりを食べて腹を満たし、登山靴に履き替えザックを背負い出発した。
空は晴れていた。雪倉岳と思われる山がはっきりと見えた。しかし山のそばにはポツリと雲が見え、雲がで始めるのがわかった。最初は森の中を歩いた。肩に重くのしかかるザックの重みを感じ、少し後悔した。久々の登山で春の寝ぼけた越冬グマみたいな気分で荷造りをした僕はあまり考えずに荷物を詰め込んだ。たかだか2日の荷物なのに重く感じるのはそのせいだった。もう少し慎重に荷造りすべきだった。
途中開けた湿原を歩く。湿原にはいろとりどりの小さな花が咲いていた。そうかこの時期は花の時期か、と思い出す。残念ながら僕は花にさほど興味なく、ましてや詳しくない。花の好きな母に写真を送ろうと、カメラを向けた。
空の雲の量は増していった。次第に空も山の姿も雲に覆われるようになる。途中すれ違うのは数人だった。どんよりとした天気の中、黙々と歩く。こういう天気の中歩くとき僕の思考は内向きになる。どうでもいい過去の出来事がぐるぐると僕を支配する。気がついたら周りの大自然に見向きもせず、苦しみながら歩いている。そしてハッとして我に帰る。いつもよりも歩く速度が遅いように感じた。久々の登山だから仕方ないと自分を納得させる。歳を取ったせいだという事実はチラ見して目を伏せた。
もうすぐ山頂かというとこで、声が聞こえてきた。山頂には数人の人がいた。どうやら同じグループのようだ。僕は恐る恐る山頂標識へ向かう。一人で黙々と歩くことの多い僕にとって、大人数の賑やかなグループは苦手だった。グループの中の数人が山頂のベンチを開けてくれた。僕はザックを下ろし周りを見渡した。ガスで何も見えない。
「栂海新道ですか?」とグループの中の一人の女性が僕に聞いてきた。残念がら違う。その答えに女性は落胆するわけでもなく、嬉しそうにこう続けた。
「私、栂海新道を歩くのが夢なんです。海抜ゼロから3000mまで歩くなんてかっこいいじゃないですか。岳人(がくじん)の夢ですよ」
栂海新道は朝日岳から日本海の親不知までのルートだ。かつて上高地から日本海まで歩くという計画を立てた時にその名を知ったのだが(結局実行されず)、まさかそんなに憧れの存在だとは知らなかった。
どうやらそのグループは朝日小屋に泊まるようだ。彼らは先に山頂を離れ、小屋へと向かった。急に山頂は静かになった。どの方向を見渡しても何も見えなかった。僕もしばらくして小屋へと向かった。途中雷鳥と出くわした。こんな天気のいいところは、雷鳥に会える確率が多くなることだ。
朝日小屋の前のベンチは賑やかだった。どうやらいくつかのグループが小屋に滞在しているようだった。先ほど山頂であったグループも小屋前のベンチにいた。小屋の前のキャンプ場には数張のテントが立っていた。僕はザックを下ろし小屋の中で受付をした。朝日小屋のキャンプ場は、広々としたグラウンドのようだった。僕はすでに張ってあるテントから少し離れたところに自分のテントを建てた。
テントを建て終え一息ついていると、男性が僕の方へやってきて「どちらからですか?」と聞いてきた。僕は「蓮華温泉からです」と答えると、彼は「栂海新道歩いてるのかと思いました」と残念そうに答えた。彼は猿倉から白馬岳を経由し、まさに日本海へ向けて栂海新道を歩こうとしていたのだ。おそらく同志を探していたのだろう。こんなふうに山でわざわざ僕を目がけ歩いてきて話しかけられたのは初めてだったので驚いた。彼もテント泊だという。僕と同い年くらいだろうか。彼は目を輝かせながら明日から歩く栂海新道のことを語っていた。
小屋でビールを買って、テントでのんびりしているとうとうとしてきた。外はガスに覆われて景色も良くないので、テントで昼寝をした。しばらくすると小屋の館内アナウンスの声が聞こえてきた。受付をしてくれた小屋主の女性の声だ。これからお弁当を販売する、という案内だった。
朝日小屋はご飯が美味しいことで有名らしい。そして小屋で販売する押し寿司やご飯も名物のようだ。僕は買う予定はなかったのだがふと考え直し、翌日用に「五目ご飯」を購入した。
夕方次第に晴れてきた。カメラを持って周辺を散策してみる。キャンプ場から少し歩くと、日本海が見渡せた。太陽はまだ高い位置にあったものの、ここから日本海へ沈む夕陽が見えるのは確実だった。日の入りにはまだまだ時間がかかりそうだった。僕は自分のテントに戻り夕食の準備を始めた。
いつもなら夕食を済ませたら寝る準備をする。しかし日の入りを見るために起きていた。どうやら他の人も同じ考えのようだ。夕陽が見えるスポットへ続々と人が集まっていく。僕もそこへ向かった。
赤々とした夕陽が海と富山の街を照らしていた。足元の植物たちも輝いていた。僕はゆっくりと沈んでいく太陽を眺めていた。残念ながら海の上には雲があり「水平線へ沈む夕陽」ではなかったが、僕は太陽が雲の中へ隠れるまで眺めていた。海に沈む夕陽を見たのは久々な気がする。日が沈むと皆ぞろぞろと小屋へ、テントへ戻って行った。
朝日小屋にはゆったりとした時間が流れていた。シーズンとは言え人気のルートからは外れていることと、平日ということで人が多過ぎないからだろう。でもそれは小屋の人や朝日小屋を目指す人たちが作り上げる雰囲気なのかもしれない。朝日岳や朝日小屋はある程度山歴を重ねないと選ばないルートでもある。朝日小屋を目指す人たちは本当に山が好きなんだと思う。
まだ薄暗がりの中、僕は寝袋にくるまり目を瞑った。
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翌朝まだ暗いうちに起きコーヒーを淹れる。コーヒーで目を覚まし、撤収を始める。外へ出ると栂海新道を歩くという男性のテントはもうなかった。出発したのだろう。僕は心の中で「お気をつけて」と呟いた。
撤収も完了しようというときに、昨日山頂であったグループが近くを歩いていた。どうやら富山側へと降りるようだ。僕はあいさつし、「お気をつけて」と手を振った。僕もそろそろ出発だ。
僕は雪倉岳を目指し、少し朝日岳方面へ歩き分岐を歩いていった。足元の植物は朝露で濡れていてズボンがびしょびしょになる。ゲイターを履こうか迷ったが、めんどくさくてやめた。どうせ濡れても、日が当たれば乾くだろう。遠方に立山と剱岳の姿が見えた。空は気持ちよく晴れていた。
しばらくは巻道を歩いていたので、登山道は山の影に隠れていた。巻道も終わりこれから雪倉岳への登りが始まるというあたりで、日が差してきた。僕はザックを下ろし休憩することにした。昨日買った五目ごはんを朝食に食べる。冷めていたがもちもちとした食感と優しい味付けがからだ全体に染み渡るようだった。
雪倉岳からは白馬岳の姿がよく見えた。雲はあったが、山頂ははっきりと見えた。雪倉岳の山頂には女性が一人いた。ここでも僕は「栂海新道ですか?」と聞かれる。女性は栂海新道を歩くわけではないが、朝日小屋まで行くという。やはり栂海新道を歩くことは憧れのようだ。
女性が去った後一人となった山頂で周りの景色を堪能した。富山の街と日本海が見渡せた。栂海新道という言葉が頭から離れなかった。日本海まで歩く、か。それもおもしろいかもしれない。いつの間にか栂海新道は僕にとっての憧れにもなっていった。
雪倉岳を後に白馬岳を目指す。すれ違う人の数が多くなってきた。雲もだんだんと白馬岳を覆うようにってきた。山頂着く頃は何も見えないだろうな、と思いながら足を進める。
白馬岳山頂は人が多く、若い人も多かった。かろうじて立山方面の景色は見ることができたが、反対側は全く何も見えなかった。僕は山頂を後にし、白馬大池へと向かった。
蓮華温泉へ戻ってきた時は14時を過ぎていた。昨日見たはずの景色なのに、だいぶ昔の話に思えた。2日しか山の中にいなかったのに、それ以上の時間が流れていた気がする。景色だって半分以上はガスの中だった。それでもいい旅だったと思えるのは途中であった人たちのおかげかもしれない。
僕は蓮華温泉で汗を流し、再び長い山道へと車を走らせた。帰り際運転しながら次に歩く山を考えていた。もちろんその中に「栂海新道」があったのは言うまでもない。
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