豪雨災害で家を失った学生の「笑顔」
大学もいよいよ対面授業が始まった。
ようやく大学生らしい日々を送ることができて、大学も活気に溢れている。
そんな今日の昼休み、ぼくが研究室の戻ろうと歩いていると、1人の学生と出会った。
「こんにちは!先生、お久しぶりです!」
幼稚園教諭を目指し、女子バスケットボール部で活躍したその学生は、元気よく満面の笑顔でぼくに挨拶をした。
とても清々しく、爽やかな風を運んでくれた。
そして、ふと思い出した。
「12月に、きみの実家の近くを回ってきたよ」
「えっ、人吉をですか?」
「そう。線路沿いの大変な被害のところを歩いて、その川沿いの向こう側が、きっと君の家なんだろうと」
「そうです。そこが私の実家でした」
この会話で、なんのことかわかるだろうか。
「人吉」とは熊本県人吉市のことで、「被害」とは令和2年7月豪雨のことを指す。
表紙に使っている画像は球磨川だ。
この美しい川が氾濫し、強く厳しい濁流で人々の生活や人生を流した。
ぼくは2020年12月に球磨川流域を訪問した。
学生は、人吉市に実家があり、その年の6月に教育実習で実家に帰っていた。
実習が終わり、関西の大学に戻ってきた。
その直後に災害が発生した。
彼女の実家は濁流に飲み込まれ、「全壊」した。
12月に研究調査で訪れたときには、災害の跡はまだ生々しかった。
「今はどうなってるの?」
学生に聞くと、
「全部更地になりました。実家も更地になって、新しい土地に家を建てるって、親が頑張っています」
「そうなんだ!国から、補助は出てるの?」
「はい。でも、家を建てるとなると、微々たる程度らしく、大変みたいです。でも親が、私が帰ってくる場所を作りたいって」
そんなことを、「笑顔で」いう学生の姿が頼もしかったし清らかだった。
ぼくが2020年12月に、令和2年7月豪雨災害の被災地を訪れたときに注目したのは、電柱に示されている過去の災害の痕跡だ。
これは、同じ場所で過去にも同じ災害が起きていることを意味している。
だから、歴史の中でこのエリアの人々は、災害を恐れ、忌み、対策してきたのではないだろうか。
それでも、同じ場所で命を失い、家屋を失ってきた。
災害が発生するエリアで、どうすれば命を守り、住処を守ることができるのか。
次回から、そのことについて考えてみよう。