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学校は安全な場所なのか

前回(9月6日投稿「教師が”さすまた”を持って訓練をする理由」の続き。

では、初めての不審者対応訓練で、ぼくがどのようなミスをしてしまったのか話そう。
その前に、「不審者対応訓練」がなぜ学校で実施されるようになったのか。

それはやはり事件をきっかけに広がりを見せたと言えるだろう。

それまでは学校は絶対に安全な場所として認識されていた。

それが覆されたのは、まず1999年の京都市での事件。小学校に不審者が侵入し、小学校2年生の子どもが被害に遭い、命を失った。

そして2001年に大阪教育大学附属池田小学校の事件が発生する。この事件では、授業時間中(10時くらいと言われている)に不審者が侵入し、8人の子どもたちが命を失った。

それから4年後、2005年には大阪府寝屋川市の小学校に卒業生が入り、教師の命を奪う事件が発生した。
この事件では、教師が被害に遭うという一つの衝撃があったと言えるだろう。無力で幼い子どもではなく、子どもを守る教師が被害に遭ったという衝撃が。

そこから、全国的に学校での「不審者対応訓練」が展開されるようになった。

では、話を戻して、ぼくが大きなミスをした、初めての訓練のときの話をしよう。

初めての訓練のとき、ぼくは児童対応班だった。
児童対応班とは、不審者が侵入したり、火災などが発生したとき、災害現場にいくのではなく、子どもたちのそばにいて安心させたり、不審者の動向次第では子どもたちを別の場所に移動させるなどの役割を担う。


4月3日だったと思う。
児童が新しい学年を迎える前に訓練をするのが定例だった。
安全な体制を整え、教職員が児童を守る意識を高めた上で新年度を迎えようという意味があった。

ぼくは担任をする3年生の教室で、授業をしているフリをしていた。
いつ、どこから不審者(役の教師)が侵入してくるか、何も知らされていない。

突然、同じフロアにある児童玄関で大きな物音がした。
「不審者だ!」という大声。
怒号と、不審者が机を蹴り飛ばす騒々しさ。

ぼくは直ちに、児童対応班として各教室の扉を閉めた。
すると不審者(役の教師)がぼくの目の前を、すごい形相で走っていった。

改めて言うが、不審者は毎日顔を合わせている教師だ。
それでも怖くて、ぼくは一瞬パニックになった。
そして、持っていた防犯ブザーの留め具を外して鳴らし、それを職員室の方に投げるという訳のわからない行動をした。

児童対応班は、教室に入らず、廊下で状況を見守りながら随時判断して児童を守る。
だからぼくは廊下にいた。
不審者は隣の、4年生フロアで暴れているようだった。


その時、突然不審者がぼくの目の前に現れた。
同時に、同僚教師が不審者に飛びかかった。
まるでスローモーションのように、同僚が飛びかかっていくのが見えた。
ぼくは夢中で、一緒に飛びかかり、不審者の動きを止めた。
そして警察(役の教師)が来るまで、ぼくは不審者に乗り掛かり、動きを抑え込んでいた。
(初めての訓練にしては上出来だろう)

今思い出すと、内心、ほくそ笑んでいた気がする。

しかし、もし不審者が刃物を持っていたら、ぼくたち2人は命を失っていただろう。
しかし、そのことがミスなのではない。

訓練の最後はミーティングを行う。
それぞれのグループで反省点を出し合い、課題を共有する。
そのミーティングの中で、ぼくは蒼白となった。

「3年生の児童が全員、集合場所に現れませんでした」

ある教員がそう発言した。
ぼくは、不審者に飛びかかって動きを止める行動をした。
しかしその瞬間、本来の役割である児童対応を放棄したのだ。
だから、その役割を誰かに委ねなければならなかった。

子どもたちを置き去りにしたのだった。

もちろん、子どものいない中で架空の子どもたちを対象にしているから、想像の世界で動かなければならない困難はある。
それでも、子どもたちを教室に置き去りにしていた。
しかも、不審者を捉えた現場の前で。
とても怖い場面で。

このミスでぼくは、訓練とはいえ、ミスは子どもたちの命や不安全に直結するということを痛感した。


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