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母の願望を背負う?背負わない?
「英語教室に通うことに決めたよ」
リビングにいる母に、4月から入会することになった習い事の報告をした。
5歳の娘は今、2つの習い事をしており、4月からは英語を入れると3つになる。
母は、「平日に習いたいものがあったら、送迎をするから遠慮せずに言ってね」と言ってくれている。
仕事をしていると、平日の習い事のハードルが非常に高い。なので、どうしても土日に集中しがちになる中で、母からのこの申し出は本当に有難い。
それから、母と娘にどういう習い事が向いているかの談義をした。
本人の適正を見て、サッカーが向いているんじゃないか、とか
習字は集中力を養うからいいんじゃないか、とか。
すると、意外にも母が「絵画を習わせてあげたいわ」と言い出した。
元小学校教諭だった母が選ぶには、意外なチョイスで驚いた。
「じつは私も2,3カ月前から絵画教室に通っているよ」
私は、年明けから月に一回、絵画教室に通っている。
そのことを、母には話していなかった。
一瞬迷ったが、ポロっとこぼしてしまった。
すると、母が食い気味で「すごくいい!!わたし、あんたには絵を描いていてほしいんよ」と言ってきた。
母なりの懺悔のような気持ちが混じっていたのではないか、そう思えた。
私は、絵を描くのが好きだった。
美術系の専門学校に行きたがった私を、父と母は全力で止めた。それ自体は間違ってもいないと思うし、私が親でも同じことをするかもしれない・・・。今となっては、そういえば確か…と頑張って思い出す程度の出来事である。
普通の大学生になった私は、すっかり絵を描くことから離れてしまった。
でも、その間、母は私が絵を描かなくなったことを気にしていたのだろう。
私が絵画教室に通っていることを知って、母はとても嬉しそうだ。
ここで、私の心が少しざわついた。
私が絵を描くのは、私のため。
私は、私を楽しませてあげたい。
そう思って絵画教室に通うことにした。
でも、人の要求や気持ちを優先する癖が染みついている私にとって、「母の願い」という強烈な使命が目の前に降りかかってきたことに、少し動揺している。
仕事でもプライベートでも、人の気持ちばかり汲み取りまくって生きてきたので、「誰かのため」という体裁は居心地が良く、私の原動力になるには十分だ。
母が喜ぶから、絵を描く
いい。しっくりくる。いい絵を描いて褒められたい。
私のために、絵を描く
うん、やっぱりそうでありたい。たぶん・・・。
私の数年ぶりに沸き上がった「絵を描きたい」という願望が、「母が喜ぶから、いい絵を絵を描きたい」に取って代わられる気がして心が揺れた。
でも、この小さな事実を認識できたことを褒めたい。
無意識に、親の望む方を選択してきた私にとって、「無意識」じゃなくなったことに意味がある。
40歳。
今更だけど、自分の意識を、自分の願望に向けてみる練習をたくさんしていきたい。
月一の絵画教室で、自分の心が楽しんでいることを噛みしめていこうと思う。