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アポロシアターアマチュアナイトでの出来事

アポロシアターのアマチュアナイトが日本に上陸?!

で、思い出したんやけど…実は、20年ぐらい前、

ニューヨーク行った時、アポロシアターのアマチュアナイトを観に行ったのよ。

アマチュアナイト解説ページ

こちらは6年前の記事ですが、アポロシアターアマチュアナイトを詳しく解説してます。

なんでかというと、ニューヨークに詳しい友達が「アマチュアナイト、めっちゃええでー、絶対行きなぁ」って英語で教えてくれてん。

ほんで、前から三列目ぐらいに座って楽しんでいたんやけど、

いきなり観客席から挑戦者を集める『飛び入りダンスバトル!』的なことが途中から始まったんだ。

アポロシアターのステージに立てるという突然のチャンスに、迷わず速攻で手を挙げたら、選ばれてステージに!

(ちなみにダンスなんて、そこからさらに20年弱ぐらい前にディスコに友達に連れられていっていたぐらいしかやってない)

7,8名の挑戦者とステージに並び、ステージから観客が満席のアポロシアターの観客席をぐるっと眺めた。

壮観だった。

順番にダンスをしていき、最後に観客の盛り上がりでチャンピオンを決める、という説明があり、いよいよ音楽が流れ、ダンスバトルスタート!

何人か進む間にインナーワーク!

そう、オレにとって『プロセスワーク』はその瞬間の流れと自分との接続点を見つけて合流するものだ。

アマチュアナイトに行く日中、街を歩いていたのだが、その時、自分が惹きつけられたポストカードがあった。

そこにこんな感じのことが書いてあったのを思い出した。

"Dance as though no one is watching"

まさに今、この瞬間への啓示のようだった。

「誰も観ていないように踊りなさい」

と同時に、現実には満員の観客がいるのだ。

オレが思うプロセスワークは、個人と集団は背後のエネルギーで同期しているというとらまえ方がある。

もし何かその背後のエネルギーのエッセンスをダンスに持ち込めれば、観客たちとシンクロした流れが起こり得る、ということにプロセスワーク的にはなる。

日中街を歩きながら、多様性と自由のエネルギーが溢れているのを感じていた。

オレは日本から来た。多様性の一部だが、それを表現することは、画一性ではなく個性として様々な人種の独自性の尊重と繋がる。

日本や東洋の独自性のあるダンスに溢れさせる。誰も観ていないシアターで踊るように。

そうして自分の出番を即興で踊りきり、たくさんの拍手をいただいた。

ダンサーとしてすごいレベルの方もいたので、お笑い的な位置になるかなと思っていたのだけど、

最後の観客の拍手は、そのダンサーの方と僕がほとんど同じ熱狂で司会の方が困っていた。

結局、再度2人だけで決選投票になり、そのダンサーの方が僅差でチャンピオンになった。

シンクロニシティに気づき、統合しながらエネルギーの流れに同期していくことで、ダンス素人がアポロシアターで飛び入り参加して熱狂させることができるんだ、っていうファシリテーションの可能性を感じた体験だった。

何だかロクでもないとブーイングも出るというステージでも、何か心動かされたら惜しみない拍手を贈るニューヨークの懐の深さを感じる体験でもあった。

今日、街でたまたま観たポスターが、急に忘れていた、こんな話を思い出させてくれた。

人生で覚えていることなんてわずかかもしれないが、アポロシアターですかさず手を挙げたこの人生とその時迷ってステージに上がれなかった人生でどっちがおもしろかったかは、オレの中で明らかだ。

すっかり忘れていたけれど、こんなネタがまだまだたくさんあるよなぁと。

こんなネタの溢れた人生をこれからも自然の流れと共に創っていきたい。

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