TheBazaarExpress53、情熱のシェフ・日仏の架け橋となる料理人・プロローグ~松嶋啓介編

世界の美食家からの招待状

 この日、ニース旧市街の東端にあるリンピア港に現れた白亜の豪華客船は、周囲の景観のバランスを歪ませるかのような巨大なシルエットを見せていた。港の西側にある旧城址の丘から眺めると、港の周囲に群がる5、6階建てのビルがやけに小さく見える。小人の国に突然ガリバーの乗る船が現れたかのような異様さだ。

 The World号。

 異様なのはその光景だけではない。約4・3万トンもの巨体でありながら、通常の収容人員は100名から300名。それでいて乗員は260名を数える。同じ規模の飛鳥2が定員約700名、乗員が約260名であることを考えると、その贅沢さがわかる。

 海に浮かぶ超豪華マンション。

 この船はそう呼ばれている。客室は全て分譲型で、売り出し当初の価格は最高で一室約7億3000万円、最低でも約8000万円。オーナーになるにはさらに、年間管理費レストラン維持費として毎年客室価格の約1割を支払わなければならない。ボードに名を連ねたのは、アメリカの超大手銀行の頭取、アイルランドで松下電気との合弁企業を持つオーナー、日本の大手ゲームメーカーの創業者等々、世界19カ国の大富豪たち。しかもすでに現役を終えたか終えようとしているシルバー世代が多いことは言うまでもない。

船は、誕生寺にはノルウェー船籍として就航したが、やがて所有権はオーナーたちが作った協同組合に移り、今はこの組合の自主運航となっている。組合内には6つのコミッティー(委員会)が作られ、運航スケジュールから船内で行われるエンタテインメント・プログラムまで、全てをオーナーたちが自主決定する。区分所有の割合に応じてそれぞれが投票権を持ち、どこに行きたいか、どの港にどれだけ停泊したいか、どんなゲストを呼びたいか、全てはボランティアで運営されるコミッティーで決定されるシステムだ。

だから船の別称は、海に浮かぶコミュニティ。

船内では基本的に貨幣を持たずとも生活できるから、世界の大富豪たちは俗世間と貨幣経済のしがらみから離れ、世俗を超越したボランティア精神を発揮してある意味で世界で唯一のコミューンを形成している。

 The Unique。

 スタッフたちが胸を張ってこの船のことをそう呼ぶのも道理だ。

 07年12月、オーナーたちがつくるライフスタイル・コミッティーは、ニース-バルセロナ間の招待シェフとして、30歳の誕生日を迎える直前の若きシェフを招聘した。

 Keisuke Matsushima=松嶋啓介、フランスでの通称「ケイ」。

 2002年暮れ、自らの25歳の誕生日に「情熱」という名のレストランをニースに出したケイは、06年02月、ミシュランの一つ星に輝いた。以降、07年にはあえてフランス人には覚えにくい自らの日本語の名前を冠した店名に変え、3年間その星を守り続けている。いや守るというよりも、近い将来東京へ、バルセロナへ、ニューヨークへ、「世界へ」の「攻め」の出店計画を胸に秘めていることが、ケイの本領だ。

 今回のゲストシェフへの招聘は、ケイにとって、二つの喜びに満ちていた。

 一つは、オーナーたちがつくる異文化の集合体からの支持を得たこと。同時にそれは、世界の美食家たちにその存在を認められた証でもある。

 そしてもう一つ。この旅はケイにとって、少年時代からの夢の具現化でもあった。

「子どもの頃、海外に夢を馳せたのは伝記漫画で読んだコロンブスに影響されたからでした。今回、「世界」という名の船でコロンブス像が建つバルセロナに向かって航海する。まるでボクの少年時代からの夢を形にしたような旅です」

 船がニース港を離れた日、昼に行われた料理のデモンストレーションの場で、ケイは居並ぶオーナー夫人たちを前にそうスピーチした。

 この日ケイが用意した主なメニューは、以下の通り。

Noix de coquilles St-Jacques=ブルターニュ産ホタテのソテーとラディッキオのグリル、レモンとたんぽぽ添え

Foie gras de canard du Gers=フォアグラのフラン(茶碗蒸し)とソテー、野生のキノコ添え

Filet de Loup de mediteranee=スズキのシチリア風カラスミ添え

Mille feuill de Boeuf au WASABI=牛肉のミルフィーユ、ワサビ添え

 日頃からケイは、フランス料理は「どこで生まれたか」が大きな意味を持つと語る。世界からやってきた美食家たちを歓待するのは、何よりもコート・ダ・ジュールの豊穣な食材でなければならない。いうまでもなくまずは地中海の恵、海の幸だ。

 船がニース港を離れる日の朝6時半、ケイはいつものように後部が冷蔵庫になった白い軽トラックを走らせて、約40キロ離れたフランスとイタリアの国境の街ヴィンチミリアの市場に向かった。

 「PESCHERIA 、POISSONERIE」

 フランス語とイタリア語、二カ国語で「魚屋」と書かれた一角では、この朝サン・レモ港に水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が山盛りになっている。この市場は、モナコにあるアラン・デュカス経営の3つ星レストラン、『Le Louis XV=ルイ・キャーンズ』のシェフ、フランコ・チェルッティが買い出しに来る場所としても有名だ。

ホウボウ、シャコ、カラマレッティという名のイカ、ルージュ(ヒメジ、赤魚)、小イワシ、白魚、ボンゴレ(アサリ)、ムール貝等々。

「今日はいい品揃えですねぇ。何にしましょうかねぇ」「このイカはアーティチョークと合わせて炒めると美味しいんです」「イカはイカソーメンにして上から熱いスープを掛けただけでいけますね」「シャコは細かく刻んで炒めてスープを取ります」―――、そんな言葉を呟きながら、ケイは無造作に魚介類を選んでいく。

 この仕入れの途中で閃いた一皿が、「スズキのシチリア風カラスミ添え」だった。

 スズキの実をレアに焼いて、3層に重ねる。その間にアーティチョークとこの日仕入れたイカをボイルしたものを挟んでいく。一番上には、プータルグと呼ばれるカラスミとパン粉をミキサーに掛けた粉をまぶす。

 船の厨房でこの一品の仕込みをしていると、船内の4つのレストランを司る総料理長ピーター・ヘフラーがケイに不思議そうに訊ねてきた。

「この黄色いパウダーは何だ?」

「フィッシュ・エッグ・パウダー」

 アメリカではあまり目にしない食材かもしれないが、スペインやイタリアでは市場に行けば必ずカラスミがある。そのことを知るケイが用意した「コート・ダ・ジュール」の味の決め手が、このカラスミ・パウダーだった。

 あるいは味覚について、ケイは日頃からこう語っている。

「ボクは味覚をまずは二次元の図形で考えます。甘味、辛味、酸味、苦味、渋味。世界で言われるこの五味を五角形で現すのです。さらに、日本人特有の味覚と言われるうま味は塩で引き出す。五味は「加える」ものですが、うま味だけは「引き出す」もの。時には和食のように「引き算」をしながら味覚のバランスを考えることもあります。

 そしてこの上にもう一つ、「食感」という要素を加えて図形を3次元で描きます。こうやっていくと、味覚の立体図形で見えてくるでしょう」

 たとえば「ホタテのソテー、ラディッキオのグリル、レモンとタンポポ添え」は、ブルターニュ産のホタテの甘味がメインになる。ソースはホタテのホヤで出汁を取って乳化させて泡立てたごく軽いものだ。ここに、タンポポの苦味とレモンの酸味、そしてイタリア野菜ラディッキオの深みを加えて五味のバランスを取る。さらにレモン・チップスのカリカリとした食感で立体感を出す。

 あるいは「フォアグラのフラン(茶碗蒸し)とソテー、野生のキノコ添え」はこんな立体図形からできている。

この季節、フォアグラとキノコの組み合わせは黄金のコンビだ。どこのレストランでも定番のメニューとなっている。例えばニース港内にありかつてミシュランの一つ星を持っていたレストラン『L’Ane Rouge=アン・ルージュ』では、この季節、フォアグラのソテーをキノコのスープの中に入れて出していた。この季節のキノコのうま味とフォアグラの相性を考えたらそれだけでも十分だ。けれどケイは自らのオリジナリティを出すために、そこにもう一つ「食感」という要素を加えた。

それが、欧米人には珍しい茶碗蒸しのふわふわ感だった。

通常欧米人には、白子やコンニャクのようなふわふわした食感の食材は舌に馴染まないと言われている。かつてケイも、自分の店でサクラ餅を食べてもらおうと様々なソースをかけて試したことがあった。けれどどんなに工夫を加えても、常連客からの支持は得られなかった。とはいえタピオカはいける。そして茶碗蒸し(フラン)も。その食感を添えることで、ケイは二次元の黄金コンビにふわふわ感という意外性を加えて三次元の立体に仕上げたのだ。

キノコは、この日ヴィンチミリアからの帰りに寄ったニースの市場で仕入れたラクテール、ジロール、シャントレの3種類。ソースはマッシュルームと鳥の出汁、クリーム等を煮詰めて最後に泡立てたもの。ケイの創造する皿には、従来のフランス料理のような手の込んだ重いソースで味を決定づけるというコンセプトはない。むしろ三次元の立体を確かに作り、ソースはあくまでも食材の鮮度とうま味を引き立てる存在という位置づけだ。

 そしてもう一つ、ニースにおけるケイの成功を裏付けるコンセプトがこのメニューにもしっかりと刻まれている。

 それは、「味を翻訳する」という要素だ。

味を翻訳する

 ミシュランの星を取った後、ケイが店名をあえて自分の日本名にしたのにはわけがある。

それは、日本人のフランス料理への情熱をフランス人にわかってほしかったから、だ。

自分の料理がどこで生まれたのかと問われたら、もちろんそれは4年間修行を積み愛してやまないコート・ダ・ジュールであることは間違いない。けれどそのDNAはと問われたら、ケイは「ジャポン」と胸を張る。

 だからその料理にも、我が愛する故郷の香が立ち上らなければならない。それは必然だ。

 折しもフランス料理界では、料理と料理人に「アイデンティティ」を問う風潮が生まれている。フランス料理界のワールドカップとも呼ばれる世界的コンテスト「ボキューズ・ドール」では、07年の大会から「アイデンティティ賞」が新設された。

コンテストを主宰するポール・ボキューズは、すでにヌーベル・キュイジーヌが生まれた70年代には「若者よ、故郷に帰れ」と提唱していた。08年に開かれる北京オリンピックを期に、これまで不毛の地だった中国にまで広まろうとしているフランス料理は、「世界の果てでもフランス風の味を出せる」ことよりも、「その料理はどこで生まれたか」を本格的に問うようになった。

その問いに対するケイの一つの答えが、「牛肉のミルフィーユ、ワサビ添え」だ。この一皿は、02年のオープン前にケイの中で閃いたもの。オープン後は多くの客に絶賛され、ケイのレストランが話題となるきっかけの作品だった。

そこに描かれた立体図は、まさにオールジャパンの要素に満ちている。

牛肉自体はドイツとスイス国境のシメンタル地方のビールを飲ませて飼育した肉を取り寄せているが、それを薄切りにして何枚か重ねて焼くアイディアはケイが大阪の高級鉄板焼き店で経験した味だった。添えるワサビは本山葵ではなく、ケイはフランスでも手軽に入手できるSB社製のネリワサビを使った。

ワサビを使うアイディアが閃いた時、ケイはいくつかのワサビを試してみたが、SB社製のものが最適だと直感した。その時は自分でもその理由は明確にはわからなかった。この味ならフランス人も好みそうだという、修行の中で鍛え獲得していた「フランス人の味覚」としか言いようがない。後から聞いてみると、フランスで販売されているSB社のネリワサビの原料には西洋ワサビ(レフォール)が使われていることがわかった。本山葵よりも大きく、細めの大根といった印象の、ヨーロッパでも一般的な野菜だ。そこにはワサビと同じ辛味成分のアリルイソシアネートが含まれ、本山葵と同じ辛味が得られる。当然価格的にも日本から本山葵を空輸するよりはるかにリーズナブルなことから、ヨーロッパ用の製品にはこの原料が使われている。調べてみると、この製品のフランスでの売上高は、04年を100とすると06年には155に増えている。フランス人にも馴染みの味なのだ。これを使ったのが、この作品をヨーロッパで成功させるポイントだった。

仮にケイがこだわって日本から本山葵を取り寄せて使ったら、鼻にツンと来る刺激はフランス人には馴染まなかったはずだ。ところが西洋ワサビならそれがない。ケイは肉を4枚重ねる中の一枚にこのワサビを塗り込み、それに熱を加えることで辛味を飛ばして香りを引き立てた。それはまさに、西洋人が好む「日本の香り」の演出だった。

ケイは、ワサビを使った理由をこう語る。

「西洋人は寿司を好んで食べるようになりましたが、ワサビは苦手という人が多かった。ボクは何とかしてワサビの香りの良さを西洋人に味わってほしかったのです」

さらにこの皿には、季節ごとに旬の野菜の天ぷらが添えられる。言うまでもなく日本料理の代表的なテイストだ。肉を薄切りにするには、日本製の包丁が威力を発揮する。最近でこそ西洋包丁も切れ味の素晴らしいものが生まれているが、つい最近まで、日本の料理人が母国から持ち込む包丁はフランス人のシェフにも大好評だった。

「お前が帰るのは仕方ないけれど、その包丁は置いていけ」

70年代にスイスとフランスで修行を経験した現ホテル・オークラの総料理長、根岸規雄がそんなエピソードを語ってくれたことがある。肉を薄切りにするためには包丁の切れ味も不可欠だったのだ。

つまりケイは、素材も調理法もアイディアも道具も、全て日本の料理界の智慧を駆使してこの一皿を生み出した。まさにジャポンのアイデンティティ香る一品だ。

とはいえ、同時にこうも言う。

「ボクがもし日本で店を出すなら、この一皿は創りませんでした」

何故なら日本では、鉄板焼き屋へ行けばもっと美味しい薄切りステーキが食べられる。天ぷらを食べるなら専門店に行けばいい。ワサビも日本で日本人を相手にするなら本山葵でなければ納得してもらえなかったはずだ。そこがヨーロッパだからこそこの一品が通用するであろうことを、ケイは冷静に読んでいた。

反面教師としてあげられるのは、昨今東京に乱立するフランス人有名シェフが開く高級フランス料理店の不可解なメニューだ。ある時は牛肉のステーキに素麺のテンプラがあしらわれていたことがある。魚のソテーにバラバラに切られた刻み海苔が添えられていたこともあった。

そんな料理に出会ってしまったら、日本人としてはどう評価すればいいのか。それがフランス人の食感と味覚で創造された一品と言われたらそれまでだが、シェフのコンセプトが理解できるかといえば、答えはノンだ。

つまり文章と同じで、場所と相手を考えずに単語を直訳して並べただけでは作家の意図は伝わらない。ケイがニースでレストランを開く以上、フランス人の味覚とこれまでの食歴、日本の食材の魅力とその使い方の双方を知り尽くしていなければ、一皿の中に「日本というアイデンティティ」は立ち上がってこない。

味覚を翻訳するとは、そういうことだ。

全ての仕事がグローバル化しつつある今日の世界において、どんな業界でもこの「翻訳」は大切な要素だ。かつて06年に雑誌の対談で出会い、その後もケイと親交が続くデザイナー・佐藤可士和の仕事の一つにも同じ翻訳の妙を使ったものがある。ユニクロがニューヨークに旗艦店をオープンした折り、店舗設計からショッピングバックのデザインまで全てを任された佐藤は、カタカナで「ユニクロ」と書いたロゴを創りマンハッタン中にばらまいた。佐藤はその理由をこう語っている。

「国籍を不明にするのではなくて日本、東京発というのを明確にしたかった」「カタカナは東京ポップの象徴。漢字だと日本や中国とすぐに想像つくけれど、カタカナだからこそ“今の東京”を表現できるんじゃないかと思った」「予想以上に、ニューヨークでカタカナのロゴがインパクトがあった」

この仕事もまた、異文化を意識しつくした「翻訳」の勝利。ケイが佐藤との出会いを今も印象的に語るのは、こんな「翻訳作業」の苦勞と醍醐味を知り尽くした「戦友」として佐藤を見ているからに他ならない。

異文化の中での挑戦

「Something to remember.」「Very beautiful dinner.Thank you very much」

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