TheBazaarExpress85、ゴーストライター文化論~幽霊はなぜ書き続けるのか?まえがき

ゴーストライター元年

「全聾の天才作曲家」「現代のヴェートーベン」と言われていた存在が、実は全て虚構だったという事実が明らかになった「佐村河内守事件」。平成の大ペテン師のうしろには、18年間にわたってゴーストライティング(代作)をしていた作曲家・新垣隆氏の存在があった―――。

 この衝撃的な事実が明らかになった2014年は、まさに「ゴーストライター元年」といっていい状況だった。

 2月には、文化庁が後援する書道中心の公募美術展「全日展」において、23にも及ぶ県の知事賞受賞作品が、代作だったことが判明した。朝日新聞デジタル(2014年2月15日)は、「架空の人物に知事賞を出していたのは2011年は15県、12年は17県、13年は16県」と報じている。のちに前会長が16の県の知事賞を自分が代作したとして謝罪した。

また3月7日午後2時には、漫画家の佐藤秀峰氏が、「出版におけるゴーストライター問題が気になる」と自身のブログに書き込み、自分が表紙を描いた堀江貴文氏の小説「拝金」と「成金」には、ゴーストライターがいることを明らかにした。

この書き込みの日時は、虚構が明らかになって以来姿をくらましていた佐村河内氏が約一カ月ぶりに世間に姿を表し、「謝罪」の記者会見を行った直後にあたる。佐藤氏は記者会見の中継を見て、良心の呵責に耐えかねて突然の告白に至ったとみられている。

佐藤氏は、堀江氏が執筆していないことを知りながら表紙のイラストを描いたと告白し、「絶対に描くべきではなかった。読者に不誠実だった」と謝罪の文章を書き込んだ。

翌年1月からは、フジテレビ系列で「ゴーストライター」というドラマも放送された。

「連載の女王」と呼ばれる売れっ子作家の遠野リサ。デビューから15年たったある時から突然筆が進まなくなり、たまたま事務所に現れた作家志望の川原由樹がゴーストライターを務めることになる。最初は先輩作家の葬儀用の追悼文の代筆に始まり、物語のプロット作り、その修正加筆作業を経て、遠野は川原の力を認めて小説自体を書かせるようになる。文学少女が憧れの作家の事務所にアシスタントとして採用され、作家と身近に接することができる高揚感が次第に変化して、自分が代筆した作品が書店で飛ぶように売れていく様を見て「先生、ご自分で書けばいいじゃないですか。本当は書けないんじゃないですか?」と主従関係が逆転していく。ついには川原の前で遠野が、「原稿をく・だ・さ・い」と土下座するシーンは、主人公を演じる女優中谷美紀の迫真の演技もあり、圧巻だった。

佐村河内事件が世の中に及ぼしたゴーストライターの光と影の諸問題は、ここに極まったといっていい。現実の事件であれドラマであれ、現在の複雑高度化した社会において、「幽霊」と名付けられた者の存在と悲喜劇、必要性を多くの人が認識したという意味で、私は「ゴーストライター元年」と呼びたいと思う。

子どもたちに恥ずかしくない社会を

私は、14年2月に始まった週刊文春での「佐村河内事件」の記事を執筆してきた。

その前年の暮れに義手のヴァイオリニストみっくんのご家族から「佐村河内さんは実は楽譜も書けない人でした」と告白を受けて以降、佐村河内氏が築いていた虚構の裏側を複数の記者と共に取材し、同年12月には事件の全貌を綴った著書『ペテン師と天才~佐村河内事件の全貌』(文藝春秋)も上梓した。

新垣氏に初めて会ったのは14年1月12日だった。その段階での新垣氏の希望は、「このまま佐村河内さんと共に世間からフェイドアウトして、音楽業界から引退する」というものだった。ゴーストライティングの実態や「佐村河内守という虚構」が明らかになったら、多くの音楽関係者を巻き込むスキャンダルになってしまう。それは避けたいというのが当初の新垣氏の希望だったのだ。

その後の展開は拙書に詳しく書いた。結論から言えば、佐村河内氏のペテンぶりをみっくんとその妹が知っている以上、子どもたちに「この世の中は嘘も突き通せば通用する」と思わせてしまっていいのか。大人がふんばって、子どもたちに恥ずかしくない世の中にしていかなければいけないのではないかと説得して、同年2月6日、新垣氏の単独謝罪記者会見を開くに至った。

ここから先は

6,209字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?