TheBazaarExpress94、不敗の格闘王、前田光世伝~文庫版あとがき
今を生きる男
「ちょっと待ってくれ。それが問題なんだ。その質問に答えることは難しい。その質問にどう答えるかということで、私という人間の考え方が決まってくると思うから―――」
それはインタビュー冒頭の出来事だった。私の前に座った男は、質問に対して居住まいをただしながらそう答えてきた。
時は95年の12月。この時私は、のちにデビュー作として発刊される『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』を書き上げ、第三回小学館ノンフィクション賞に応募したところだった。約3年間かけてブラジル、イギリス、キューバ、メキシコ等を取材して、約一世紀前の明治時代に生きた男、前田光世の素顔と魅力を精一杯書き切ったつもりだった。
ところが約500枚の原稿を書き上げてみると、前田とは別の一人の男の存在が以前にも増して脳裏にこびりつくようになった。明治の男を書いたにもかかわらず、現代に生きる一人の男の存在が気にかかる。しかもその男は、日本人ではなく、地球の反対側に生まれたブラジル人なのだ。
なぜ私はこれほどまでにその男のことが気になるのか。
自分でも整理できない感情をもちあぐねて、私はその男に会うために、海を渡ってロサンゼルスまできていた。
抜けるように真っ青な空の下、その男の豪邸は海岸から少し内陸に入った高台にあった。
室内は純白の壁と天井、ゆったりとしたソファまで白一色でコーディネートされている。
その大きなリビングルームで褐色の身体をソファに寛がせた男、ヒクソン・グレイシーこそが、私がはるばる海を渡って訪ねた人物だった。
私の抱いたえも言えぬ思いを強いて言葉で表せば、資料と取材で浮かび上がった前田光世の存在感と、ひりひりするような緊張感漲る異種格闘技戦のリング上で目の当たりにしたヒクソンのそれとの類似性にある。いや、二人の存在感は「似ている」などというよりも、ヒクソンは前田の生まれ変わりなのではないかと思わせるほどの「奇跡の関係」といってもいい。
本書に書いたように、彼の弟であるホイス・グレイシーが93年にアメリカのマット界に彗星のごとくデビューしたことで、私は前田光世の存在を知り、憑かれたようにその足跡を追う旅をくり返してきた。
その間、94年と95年にヒクソンは日本のマット界に登場し、その強さとしなやかさを存分に披瀝していった。
―――前田光世の肉体と精神が生きているとしたら、ヒクソンの中にしかない。
格闘技に興味を持つものならば、グレイシー柔術というブラジル生まれの格闘技の痺れるようなテクニックを目の当たりにした者ならば、誰もがそう思ったはずだ。
だから私は、前田とヒクソンの、国境と時代を超えた「伝承」を確かめるためにロサンゼルスまでやってきたのだ。
リビングの窓からは、12月とはいえカリフォルニアの柔らかな日差しが贅沢なくらい降り注ぎ、芝生に並んだ木立の間からは、目を凝らすとかすかに太平洋の白波を望むことができる。
この日道場での稽古を終え、心地よい潮風に当たりながら昼食をとり、約束通り家に戻ってインタビューを始めるまで、ヒクソンは終始上機嫌だった。
冒頭の答えが返ってきたときも、何も難しい質問をしたわけではない。一通りの経歴を聞き、その中で彼の生年月日が語られていなかったことから、「生まれは何年ですか?」と質問したとき、彼の中で何かが弾けたようだった。
彼はそれまでよりも心持ち真剣な表情をつくり、こう続けた。
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