TheBazaarExpress93、新世界三大料理~和食は世界料理たりうるのか、序章
・フランス料理と中国料理の特徴~歴史と戦略
―――世界の3大料理といえば、どこの国の料理を指すでしょうか?
この問いに、読者のみなさんはどうお考えになりますか。
この質問は、どこの国の人に訊ねるか、どこの国で訊ねるか、いつの時代に訊ねるか、何を基準に訊ねるかでその答えは大きく違ってくるはずです。
そこで普遍的な意味での「世界3大料理の条件」を、本書で監修に当たっていただく3人の方に聞いてみたいと思います。
まずは、日本料理の監修にあたっていただく大阪阿倍野辻調理師専門学校校長の辻芳樹さんです。辻さんは、1960年に大阪阿倍野に辻調理師専門学校を開校し、フランスやヨーロッパの料理人と交歓しながら日本に初めてガストロノミー(美食学)の概念を持ち込んだ故・辻静雄さんのご長男であり、8歳の誕生日から大阪『高麗橋吉兆』で故・湯木貞一さんの料理を食べ始めたという食通です。また12歳からスコットランドに留学し、27歳で帰国するまで15年間異文化に暮らしました。その間一緒生活した西欧人の味覚も把握していますので、「日本料理の味覚をネイティブな英語で語ることができ、かつ西欧人の味覚も理解している」希有な国際人でもあります。2013年に出版された「和食の知られざる世界」では、和食の伝統と多様性、変換力にも言及されてもいますので、今回和食の世界的な広がりを書くにあたり監修をお願いしました。
世界3大料理の条件を訊ねると、辻さんからはこんな答えが返ってきました。
「その条件の一つは、まず継続性だと思います。長い時間軸の中で王朝が変わったり都が移ったりしても、そこに一本筋が通っていること。歴史にもまれて強靱さやしなやかさ、オリジナリティが出てきていること。そこがポイントです。次に、地方料理の豊穣さもあげられるでしょう。中央にだけ華やかな宮廷料理があっても、地方の食文化が貧困ではその国の料理文化が豊穣だとはいえません。テロワール(地域性)に根ざした豊かな地方料理があること。それも3大料理の条件といえるのではないでしょうか」
歴史性ということになると、本書で中国料理の監修をしていただく吉祥寺『竹炉山房』のオーナーシェフ山本豊さんのいつもの早口が、一層熱を帯びて止まらなくなります。本書中国料理編でも詳述しますが、山本さんは若くして東京湯島聖堂にあった中国料理研究会に入り、原書に当たりながら料理の研鑽を積み、中国本土にも何回も足を運んで研究を重ねてきました。オフィスの書架には中国料理に関する原書が山積みになっています。お店では、本書でも述べる「五行思想」や「気」を意識した本格的な中国料理を提供されていますが、料理人としてだけでなく研究者としての一面もお持ちです。山本さんはこう語ります。
「以前とあるフランス料理の有名シェフと対談したことがあります。中国料理とフランス料理の歴史を対比したのですが、最後にはそのシェフが言いました。『フランス料理も凄いと思っていたけれど、中国料理の歴史にはとてもかなわない。降参しました』って。フランス料理の歴史は、フランス革命(1789年)を境にその前は宮廷料理、以降は料理人たちが町場にレストランを出し始めてブルジョワ階級以下市民のものになっていくわけですが、イタリアから近代的な料理文化、たとえばフォークがフランスにやってきたのは16世紀から17世紀にかけてです。中国では、北宋代(10~11世紀)にはすでに素食店や素食分茶店と呼ばれる現在の居酒屋のような店があったという資料が残っています。日本でいえば奈良平安時代ですね。そういう歴史から見ると、世界3大料理の一つに中国料理がはいることは、世界中の誰もが納得しているはずです」。
確かに中国には4000年といわれる長い歴史があります。その継続性という点では、世界でも他に類を見ないスケールです。けれどその歴史は常に戦とともにあり、次々と王朝が変わっています。同時に都も転々としていますから、その時代の王朝が都を置いた地方の料理が時の「中国料理」とされたということになります。
北京に初めて都が置かれたのは13世紀の元の時代(この時の呼称は大都)です。この時以降、北京には地方から役人たちが料理人をつれてやってきて、その地方料理を競うようにして振る舞ったと言われています。だから現在の北京料理は、それらの料理の入り交じった、全中国の地方料理の共通項的な料理といっていいと思います。
一方、世界中で世界3大料理の一つに数えられるフランス料理にはどんな特徴があるでしょうか。本書では、フランス料理編の監修を中村勝宏シェフ(日本ホテル株式会社統括名誉料理長)にお願いしました。中村さんは1970年からフランスに渡り、15年間者修行を経験されました。その間いくつもの2つ星、3つ星レストランの調理場に立っていらっしゃいますが、その白眉は、1979年パリにおいて日本人シェフとして史上初めてミシュランの一つ星を獲得したことです。帰国後は日本のフランス料理界の重責を務め、2008年の洞爺湖サミットでは総料理長を務められています。中村さんはこう語ります。
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