TheBazaarExpress70、「しあわせ運べるように」~神戸市音楽教諭・臼井真編
日本列島の北半分、約500㎞に渡って地震と津波の被災地が続く東北一帯にあって、一曲の歌がじわじわと被災者の心に深くしみ入りつつある。
『しあわせ運べるように』
震災から4カ月目となる7月11日、仙台国際センターで営まれた「東日本大震災慰霊祭」でこの歌を歌ったのは、震災直後には約450人の避難所になった仙台市若林区の市立八軒中学校の合唱部員たちだった。
「地震にも負けない 強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた「ふるさと」を 元の姿に戻そう
支えあう心と明日への 希望を胸に
響きわたれ僕たちの歌
生まれ変わる「ふるさと」のまちに
届けたいわたしたちの歌
しあわせ運べるように」(ふるさとバージョン)
部長の佐藤志織さんは「この歌を通じて全国の皆さんの願いでもある復興への思いを被災者の皆さんに伝えたい」と話す。
8月5日、福島県で開かれていた全国高等学校総合文化祭では、「合唱部門」で宮城県立塩釜高校合唱部がこの歌を熱唱した。顧問の平山俊幸教諭は「大好きです、この歌。歌の出だしがストレートに心に入ってくる。メロディも美しい。ぜひこの歌を子どもたちの合唱で被災地の皆さんに聴いてほしい」と語る。
歌が生まれたのは1995年、阪神淡路大震災の直後のことだった。自宅が全壊する被害を受けた神戸市立吾妻小学校の音楽専科教諭・臼井真の身体の奥底から、ある時突然歌詞がわき上がり、メロディは天から舞い降りてきた。
臼井が振り返る。
「地震が起きた時は、6年生対象の金管バンドの早朝練習のために、4時半頃には起きて二階の部屋で出勤の用意をしていました」
5時46分、突然ゴーッという地鳴りと共に、両頬を激しく揺さぶられる縦揺れが襲った。家の脇を走るJRの列車が脱線して突っ込んできたのかと思ったほどだ。目覚めていたことで生命だけは助かったが、揺れが納まると家の一階はぺしゃんこ、ピアノもどーんと一階に沈んでいた。
真っ暗な外から、誰かの声がした。
「淡路島が沈んだらしいぞ!」
何の情報もないままに、傾いた部屋の中で何回も続く余震に震える恐怖。日の出と共にやっと外に出て、スリッパのままで親戚の家まで約10㎞を歩いた。一本3000円の売値がついた焼き芋。コンビニに並んだ長蛇の列。対照的に「どうぞお持ちください」と被災者に物資を配る商店主。そこで展開されていたのは、人間世界の縮図だった。だが、試練はむしろこれが始まりだった。
「数日後、やっとの思いで学校に出勤してみたら、校舎にも体育館にも被災者が溢れている。他の先生方はすでに役割分担して被災者のお世話をしているのに、僕だけ取り残されてしまった。何をやってるんだ、これだったら地震で死んだ方がましやったと激しい自己嫌悪に襲われました」
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