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日記 10・26 人生の難所

適応障害と発達障害の疑い。人生でもほとんど行ったことがない心療内科で言われたのが、その2つだ。今思ってみれば会社では随分と負担があったように思える。きっかけはなんですか、と医師に聞かれたとき、ふと今までの自分の環境は通常ではなかったと言うことに初めて気がついた。

根本的な理由はわからない。しかし今年の2月に自身の会社が投資会社に身売りされてしまったところから、少しずつ心に影を落としていたのかもしれない。症状は寝付きが悪いくらいしかなく、物忘れもあったが仕事に支障が出るほどでもなかった。当時は新入社員として少しでも貢献したいと言う気持ちが強かったので、休むことなく、仕事を積極的に受けた。

2年目に突入した途端、世間を新型コロナウイルスが襲った。製造業・不動産開発業を営む勤め先の会社は、随分と業績を悪化させた。5月くらいから自分の部署の人たちは常に余裕がなく、私も仕事で重要な相談があっても誰かになかな言えない日々が続いた。

会社は難しい状況ではあったが、当時は私が信頼できる、理想とする先輩がいた。その先輩は30代後半で地方で苦労した後東京に戻ってきた方で、若者と上司と言ったいわば歳が離れている方たちとの架け橋的存在であった。私が遠慮がちに客先からの無理難題や自分の失敗に関して相談すると、裏での根回しや私が作成した資料を客先の目線でチェックなどすぐにフォローをしてくれた。先輩のフォローのおかげで、私はなんとか激動の会社の中でもやっていけていたと今更ながら思う。

しかしその「やる気の支えになっていた」先輩が会社に来れなくなってしまったところから、状況は最悪になった。先輩は重度のうつ病となり、復帰が困難な状況になってしまったのだ。上司からはいなくなった先輩の仕事を手伝うように、と言われ仕事量はかなり増え、いきなりの慣れない仕事にミスも増加した。さらに追い討ちをかけるように所属部署である製造業が分社化されることになり、兼ねてから将来的に行きたいと思っていた不動産開発への道が閉ざされてしまった。分社化に関しては正直かなりショックだった上に、客先への説明など短期間で行わなければならない多くの仕事をいきなり押し付けられた。

そこから病院に行くまでは、あまり記憶がない。感情の起伏があまりにも激しく、アルコールにも依存気味であったため、周りの友人や恋人が随分心配していた。そして友人や恋人に「今日病院行かないと、壊れるまで行かなくなっちゃうよ」と言う言葉を聞いて、病院をやっと受診したのである。

適応障害と発達障害は、正直自分はならないし、先天的なものも持っていないだろうと思っていた。なんせ大学受験や会社も1年以上やってこれたんんだから、メンタルは強い方だと思っていた。会社の先輩からも「君はメンタルが強いから、大丈夫だろう」と言われていた。

これから休職と言う人生で初めての経験をする。不安とこれからのことをつい考えてしまいがちだか、今は何も考えず、自分を大切にしようと思う。

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