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メディアが報じないウクライナ戦争の裏側③ ~ウクライナ内戦とクリミア騒乱~
【前回②の内容】
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マイダン革命というクーデターにより親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領が退陣した後、第5代ウクライナ大統領の座に就いたのは親欧米派のペトロ・ポロシェンコである。2014年6月7日に正式に大統領に就任した。
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マイダン革命(2014年2月22日)の直後から、ロシア系ウクライナ住民の多い東部地域・南部地域において、親欧米政権の誕生に反対する抗議デモ・反乱活動が頻発するようになり、ウクライナは内戦さながらの紛争状態に突入した。
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1.クリミア騒乱とロシアへの併合
2014年2月27日、ウクライナ南部の黒海に面するクリミア半島では、所属不明の武装勢力がクリミア共和国の議会を占拠して共和国首相を解任し、親ロシア派の首相を後任に指名した。
3月1日、ロシアは、クリミア共和国において社会・政治情勢が鎮静化するまで軍事力を行使することを決定し、クリミア半島を実行支配下においた。
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3月11日、クリミア共和国とセヴァストポリ市の議会は、ウクライナからの独立を宣言し、ロシアへの併合を問う住民投票を実施することを決定した。
3月16日に住民投票が実施され、投票率83%で賛成96%という結果をもって、翌17日にはウクライナからの独立とロシアに併合を求める決議が採択された。
すぐさまロシアのプーチン大統領はクリミア共和国の独立を承認し、3月21日にはロシア上下院議会が「クリミアとセヴァストポリの併合に関する条約」に批准した。ロシアによるクリミア併合が完了した。
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なお、プーチンは、ロシア併合を宣言した演説で次のことを語っている。
・クーデターで誕生したウクライナの暫定政権は違法のものである。
・今後もウクライナに住むロシア人、ロシア語を話す人々の利益を守る
2.ハリコフ騒乱
2014年3月1日、ウクライナ北東部のロシア国境沿いのハリコフでは、親ロシア活動家がハリコフ州庁舎を襲撃し、そこを占拠していたマイダン派の活動家を追い出して、州庁舎にロシア国旗を掲げるという事件が発生した。
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この州庁舎占拠事件は、警察の出動により当日夕方までには鎮静化したものの、翌月4月6日には、再び親ロシア活動家が州庁舎を占拠して、ハリコフ人民共和国としてウクライナからの独立を宣言するという事件が発生した。
ウクライナ政府はすぐさま特殊部隊を動員し、2日後の4月8日までに州庁舎を奪還して親ロシア活動家70人を逮捕した。
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なお、アメリカ国務長官のジョン・ケリー(John Kerry) は「ウクライナの反政府運動には間違いなくロシアが関与している」と語っている。
3.オデッサの悲劇
2014年5月2日、ウクライナ南西部の黒海に面する港町オデッサでも、中心部のカテドラル広場においてマイダン革命支持派グループと反マイダン革命派グループ(ロシア系住人)との間に武力衝突が発生している。
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この日のオデッサでは、ハリコフのサッカーチームとの試合があり、街中に過激なサッカーファン(フーリガン)が溢れかえっている状態だった。
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ウクライナのサッカーファンの一部は「ウクライナに栄光あれ」をスローガンとする過激なウクライナ民族主義者のネオナチとして知られている。
とくに、FCハリコフの応援団Sect 82は、後にアゾフ大隊の中核メンバーとなる程の過激なフーリガンであった。
このフーリガンSect 82を含むマイダン革命支持派約1500人と、ロシア系住人を中心とする反マイダン革命派約300人との小競り合いが徐々にエスカレートしてゆき、ついには火炎瓶の投げ合いや銃撃戦へと発展した。
圧倒的に人数で劣る反マイダン革命派(ロシア系住人)はカテドラル広場から撤退し、付近の労働組合会館に避難して、木製家具等でバリケードを築いて籠城した。
この木製バリケードに向けて、マイダン革命支持派が次々と火炎瓶を投げ込んだことで建物に引火し、出入口が炎で塞がれる事態に陥ってしまった。
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建物に居た300人のうち大多数の人が、屋上や窓から飛び降り大怪我をしながらも逃げることができたが、結局、42人のロシア系住民が生きたまま焼き殺されるという悲劇的な事件(オデッサの悲劇)が発生することとなった。
【④に続く】
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