ゲシュタルト療法自主トレ
ゲシュタルトアプローチセミナーの後、仲間と自主トレ。
それぞれがファシリテーターとクライエントになってワークしあう。
このワークの時、私に起きたこと、感じたこと、心がけたことの記録。
まずはクライエント。
大切な人に大切なことを言うのって、ものすっごーーーーーくハードルが高い。
断られる悲しさ・辛さを味わうくらいなら、言えない・言わない寂しさの方がマシ!
関係を深めたい・結びつきを強くしたい、なんだけど、関係にヒビを入れたり、壊れたりはイヤ!!の恐れエネルギー、ハンパない。
断られたら再起不能。立て直す気力なんて湧かない。だけど、平気なフリするんだよ、それってしんど過ぎ。予防線張りまくって、張ってることも隠す。
↑
私が勝手に決めつけてるんだよねーー、コレ。
傷つきたくない繊細な私←あ、コレも被害者演技だ!!あちゃーーー。
信じてない、もあるんだな。
それは、私自身についても、相手のことも。
全くもって、失礼な話だ。
そこら辺のところをファシリテーターは、丁寧に、大切に、解きほぐすように。時にズバリと。
『もう一度、言ってみて』も響いたな。
遠慮・遠慮・遠慮。
伝わるわけないじゃん!!
伝えたいことのまわりに、紛らわしいごちゃごちゃがくっつき過ぎじゃないか!!
怖いんだよなーー。
無垢なままに感じて。無防備に感じて。
イヤな体験を精度高く探す私。
やらない理由を見つけまくり。
もう一回やってみて、で、
すこーーーしはごちゃごちゃが減ったかな?
そして、信じること。
まず自分自身。そして相手。
どこにエルギー、注ぐの?
自分で選ぶ。選べるんだよ。
選べる私。
ちょっと照れくさい。
次にファシリテーター。
これは大切!と心がけたこと、それは自分自身でいること。これがほぼ8割でいるように。
自分自身の感覚を感じる・捉えることに自分自身を開いていること。正直でいること・向き合っていること・素直でいること。
私自身が「今、ここ」でいるあり方が、ワークの土台、と捉えているから。
私自身が「今、ここ」にいなくて、どうやってクライエントが「今、ここ」にいられるのか⁉︎
「今、ここ」の存在として、コンタクトしたいんだ。
私自身が感じることを、クライエントに提案する。こうしてみませんか?
そして、実際に身体を使って体感・体験。
体感・体験することで、起こることを知りたくなって、提案。知りたい!という私自身のエネルギーを感じたから。
この時のクライエントの動きについて、〜〜になってますよ、と伝えたり。
クライエント自身に起こっていることを表現してもらったり。
体感・体験がもたらすのは、身体感覚を伴う表現。
身体感覚を伴う表現。コレだ。コレなんだ。
今回ここまでnoteを書いてて、今気づいた。
身体感覚を伴う表現。
頭でっかちじゃなく。
思考で繰り出す想像・妄想じゃなく。
自分自身とつながっている表現。
自分自身が乗っかっている表現。
自分自身にコンタクト。
コレを求めてたんだ!私は。
私が私自身であることと、クライエントがクライエント自身であることがつながる・響く。
終盤、私だったら、こう感じますって伝えたんだけど、ちょっと言い過ぎかな、と感じた。
何か、サイコドラマってこんな感じなのかな?私なんだけど、私じゃないみたいな。言葉が降りてくる感じ。私の口は媒介なだけ。
それとも、私のイタズラっ子が出たのかな。
今回のファシリテーションは、体感・体験、が底を流れていたな。
自主トレ、またやるぞ!
仲間がいて、嬉しい。