ありがとうスティーブ・ジョブス
*2011年に他ブログに書いたものの転載です。
おそらく本日は世界中で何百万人もの人がこの同じテーマで何かをコンピュータのようなものに書いているだろう。すべてジョブスが発明した機械に向かって。
Appleとの出会いはよく覚えてる。中学生ごろからパソコンに興味を持ち始めたが、当時はパソコンといえばPC-8001のこと。その後大学に入ってもそのままNECを使っていた。当時の日本のパソコン好きはみんなそうだった。そのころ月刊ASCIIに今でも覚えている衝撃的な記事が載った。それは「Lisa」についてのレポートであった。それはもう別世界の話だった。マウス?マルチウィンドウ?何それ??だった。「Lisa」のその後の顛末は色々あるが、それは今のMacintoshそのものだった。ほどなくして、私はたまたまMacintoshを少し詳しく調べることになった。
私の大学の修士論文のテーマは「Human Interfaceを考慮したマルチメディアデータベース構築ツール」というお題だった。このテーマは前年に研究室に在室していたすごくコンピュータに詳しい先輩(私の心の師匠)が立ち上げたもので、それを引き継いだ。好きにやっていいと言われていたので、PC98上でマルチメディア(といっても白黒の写真とテキストのみ、ビデオは何とVHSをRS-232Cでコントロール)のデータベースを誰でも作れるようしようと思った。その時に参考にしたのがMacintosh128Kのソフトアーキテクチャだ。正直参考と言うのはおこがましい出来だったが、それでも当時あまりなかったMacintoshの解説本、そしてInside Macintosh(英語のみ!)を見ながらPC98上にHandleアクセスできるメモリマネージャや簡易Finderによるダイアログのようなものを実装していった。読めば読むほどMacのアーキテクチャの凄さに陶酔していった。
当時のAppleの状況を書いた本は色々あるが、それを読むと当時のスティーブ・ジョブスは今の世間からの捉えられ方とは少し違うことがわかる。クリエイティブさは認められていたが、万人に好かれる対象では無かった。特にLisaからMacへの流れの中でAppleで起こっていたことに関する記述は、あまりジョブスにとってポジティブな内容ではない。それらを読んだ私も同様に考えていたので、当時の私のAppleのアイドルはジョブスではなく、ウォズやビル・アトキンソン、スティーブ・キャップスなどのエンジニアであった。技術屋として気位だけがいっちょまえに高かった私はジョブスのことはあまり良くは思ってなかったのだ。
会社に入って驚いたのはMacを使っている人がとにかく多いことだった。DOS/VやWin3.1前夜で、配属されたのが開発部門だったこともあり職場の中はMacだらけだった。SE/30,Mac IIなど触り放題の環境に「会社に入ってよかった」と思った。資料の作成などの業務だけでなく、HyperCardなどで遊びまくった。お金ができたので、その後のWin/Mac戦争の間にMacを買い続けた。ノート型を中心に何台買ったかわからない。特に60万円(!)も出して買ったPowerbook Duo280cの出来は最高だった。日本でのAppleの認知度もどんどん上がり、Mac雑誌も増え、私はどっぷりMacの世界に浸かっていた。
だがDOS/Vパソコンの勃興とWindows95の発売とともにAppleの商品力に陰りが見え、ジョブスはAppleを追放された。Appleは下降線を描いたが、PCの隆盛とInternetの登場で業界はどんどん盛り上がっていった。私のいつしかPC(ThinkPad)を使うようになり、Appleのことを忘れていった。その後のジョブスの動向についても雑誌のニュースで見る程度であまり興味を持ってなかった。ここに興味を持っていた人が私のなかでは本物のジョブスファンだと思う。そういう意味では私はやっぱりジョブスファンではなかった。
ジョブス復帰後のiPodの成功を予見した人はその時点ではほとんどいなかったと思う。革命的な商品で一気に世の中を席巻したように語られることが多いiPodだが、デビュー時はひっそりしたもんだった。周囲で買ったのも1名の音楽好き(こいつは先見性があったな)だけ。音楽のデジタル時代はまだ先が見えない状態だった。だが、私は少し気になることがあった。
ジョブスの変化に気がついたのはその頃だった。象徴的だったのはiTunesがWindowsに対応したこと。私はこれがiPod成功の最大の要因だと今でも考えている。そのとき、なんだかよくわからないけど未来を感じた私は容量UPしたiPod2Gを購入した。その後のiPod miniの成功(これが第2の要因)でiPodは頂点に立った。このときに”ジョブスは完全に変わった”と感じた。ジョブスはよく自分の美学を貫くと評されるが、それは違う。ここでのジョブスは”自分のやりたいこと”を「より多くの人に届ける」ことが最大の目的になったように見えた。それは復帰前と復帰後の商品の価格設定を見れば明らかだ。
その後のAppleの成功はわざわざ書くまでもないだろう。私もその後も複雑な感じを抱えながらApple商品を買い続けた。なぜ複雑なのか、それは自分の会社が、自分のやっていることがどんどんAppleに負け続けるからだ。私は難なくInnovationを起こし続ける(ように見える)Appleとそれに対する自分の環境に苛立ち続け、嫉妬した。Apple商品を買いながら、打倒Appleと思っていた。そして今もそれは変わらない。
そういうことなのだ。
MLBと少年野球くらいの違いがあるのをわかっていながら恥ずかしげもなく書くと、私にとってのスティーブ・ジョブスは「強敵」であり「ライバル」だった。そう思って仕事していた。少なくとも昨日までは。
今日訃報に接して驚いたのは、自分が泣きそうなことだ。そしてはっきりわかったことは、「嫌い」だの「ライバル」だのは自分の表面的な感情であって、本当のところは私にとって「とてつもない目標」だったんだなということ。ジョブスがいてAppleがあったから私は未来に思いを馳せることがどんなに楽しいかがわかった。人々を驚かせ喜ばせる商品を世に出すことがどんなに面白いことなのかを知った。そしていつかは自分もこんな商品を作ってやると闘志を燃やすことができた。そう、ジョブスのAppleが無かったら色々な意味で私の人生はもっともっとつまんないものだったに違いない。
だから今は素直に言えます。ありがとう、ジョブス。安らかに。