新時代の【飲む打つ買う】考
友人の奥さんの名前を聞いた時に、「へー。どんな漢字?」と尋ねたら「ひらがなやねん。漢字には必ずいい意味と悪い意味があって、その悪い意味を乗せない為にひらがなの名前をつけられた、とか言うとったな」みたいな返答をされた事がある。かれこれ20年ほど昔の話で、あやふやな記憶だけども。
漢字に必ず良い意味と悪い意味があるのなら、悪い意味の言葉を良い意味の言葉として取り入れたりも出来るんじゃね? 名づけとは別の話になるけど。
【飲む打つ買うの三拍子】と言えば、大酒を飲み、博打を打ち、女を買うという【昭和という時代くらいまで、なんとなく男に許されていた生き様】かと思う。
令和の時代に「飲む打つ買うは男の嗜みじゃないか」なんて言ったら糾弾の対象になっちゃうけども、これら三つの言葉の良き意味を拾って令和時代の【飲む打つ買う】にしたら面白いんとちゃうかな、なんて思う。
・飲む→【清濁併せ呑む】
人はキレイゴトだけでは成り立たない生き物ですからね。たとえ自分が高い理想を掲げて清らかに邁進していたとしても、他人の持っている業のような清らかでない部分や、他人の行動の表に出すぎた原罪をむやみに否定せずに受け入れ、自分の高い理想の実現に彼らをも巻き込んで行く……みたいな英雄的な行動は令和の時代にも求められるものかと思う。
・打つ→【他人の心を打つ】
薄い言葉や浅い論理を振りかざしたりせず、言葉で他人を動かそうだなんて思っておらず、自らの表裏のない行動とその背中で他人を魅了し、そして、ひとたび話をし始めると楽しい話の中に含蓄があって、その中の人生哲学に触れた人は、普段のその人の生き様も相まって心を動かされずにはいられない……みたいなストイックな主人公的生き様も令和の時代に求められているものじゃないかな。
・買う→【一役買う】
「オレが生まれて来た意味はココにある」と言わんばかりに、何かの役割を買って出る事ができるか否か。それは自分の人生に意味や彩りを与えられるか否かの差にもなる、のかも知れない。また、「金とは経済における血液だからな。一か所に停滞するの良くない」と貯めこまず、「ワシはあんたから買いたいんや」と、人に投資するようにお金を使う……みたいな利己と利他のバランスがステキな人も令和の時代に求められているように思う。
いささか言葉遊びの感が強いかとは思うけど、こんな新時代の【飲む打つ買うの三拍子】良くね?良くね?
昭和は遠くになりにけり。令和のカッコイイこんな【飲む打つ買うの三拍子】って概念があっても良くね?
甘いかな。虚しい理想論かな。
輝かしい結果を残し、英雄として称えられる事は難し過ぎるけど、英雄のように生きるのはそこまでは難しくない。
それに、一人の英雄を戴くよりも、そのへんのオッサンオバハンが英雄的に生きてた方が面白いと思うねん。
というわけで、さあ、レッツ【飲む打つ買う】!
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