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スコヴィルモンスターズ

「戦う為にコイツを食うんだ。俺たちは強くならなくてはならない」
 そう言ってギギはソイツを指し示す。
「そうは言うけどよ。コイツは劇薬みたいなモノなんだろ?コイツを食った事でおっんじまったヤツもいるじゃねえか。強くなるために食って、それで死ぬだなんて本末転倒だろ」
 ギトは目の前のソイツに触れようともしない。
「コレを食って死ぬようなヤツはどの道使い物になんてならない。コイツを食わずに戦場に行って一瞬でアイツらに殺されるか、コイツを食って生き延びてアイツらを蹂躙するか、どちらかだ」
「なんだよ、それ」
「コイツを食わずに弱いままのオマエを1とすれば、コイツを食って生き延びたオマエはの強さは10だ。そして、コイツを食って死なない確率は7割を超えている。オマエにコイツを食わせないという選択はないんだ。軍としても、オレとしても」
 そう言ってギギは赤い顔をギトに近づける。
「現在、我が軍は劣勢だ。だが、コイツを食った戦士が戦況を変えてくれている。しかし、今や全面戦争の局面に入った。コイツを食って強くなった戦士を増やさなければ、どの道死ぬ。オレも、オマエもな。当然、オレも食った。さぁ、食え。食うんだ」
 ギギに詰め寄られ、ギトはその真っ赤な物体に顔を近づける。強烈な刺激がギトの触角を震わせる。『コイツは断じて食いモノではない』とギトの触角が警鐘を鳴らす。ギトは一歩、そして二歩と後ずさりをする。
「どうしても食えないと言うのなら仕方がない。オレがオマエを食う。使い物にならない戦士はせめて戦友の血肉となれ」
 感情のない昏い目でギギはそう言い、ギトに牙を見せる。
「分かった。分かった、食う。食うよ。幼馴染のオマエに食い殺されるのなんてゴメンだ」
 そう言うと、ギトは目の前の赤い果肉に噛りついた。その瞬間、ギトの身体は小さく跳ね、小さく震えた。そして、そのまま動かない。ギトは咀嚼を止めて微動だにせず、赤い果肉に口をうずめたままジッとしている。
「うむ。しっかりと飲み込んだようだな。コイツを食ったヤツは全てそんな反応をする。オレもそうだった」
 ギギはギトに向けて呟く。
「強くなるか、死ぬかはこの瞬間に決まる訳じゃないようだがな。そして、コイツは食えば食う程強くなる。だから、次の出撃までのメシは全てそれになる。なぁに、美味いモノはこの戦争に勝った後にたらふく食えばいい。それまでは、強くなるためにコイツだけを食うんだ」
 ギギの呟きを聞いているのかいないのか。ギトは虚ろな目をして止まったままだ。
「全ては勝利の為だ」
 ギギは続けてそう言う。
「コイツを、コイツだけを食い続けるだなんて」
 ギトはようやく口を開く。
「もう、この世が地獄じゃねえか」
 その赤い果肉は地獄の様な味だったらしい。

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「現在交戦中のH-206ポイントは、我が軍にとっての大動脈と言える輸送、流通路上にある。今回の作戦はH-206ポイントでの敵の殲滅と排除にある。そして、殲滅と排除は確実にやり遂げなければならない。また、その結果は迅速に出さなくてはならない」
 ギギとギトを含むその小隊は円陣を組み、隊長であるギギが感情のこもらない抑揚で隊員に話している。
「――。以上だ。良し、分かったようだな。では、オレに続け」
 作戦を説明し終えたギギは戦地に足を向け動き出す。ギトと他の隊員はその後に続く。一列になってギギの小隊は戦地へ向かう。
 あの赤い果肉を食べ続けた者は全てその体表を赤く変化させ、興奮状態を維持したまま冷静に振る舞うようになる。そして、いざ戦闘が始まると、タガが外れたように殺戮衝動のままに相手を嬲り殺し、そのまま相手を喰らいつくす。それは、軍からも説明があった。ギトもその説明を受けた。もちろん、あの赤い果肉を食い続けたその後に、だ。ギトがその説明を受けた時、何かを思ったのか、何も思わなかったのか、ギトはただその触角を小さく揺らしただけだった。

 やがて、小隊は交戦ポイントに辿り着いた。一息つく間もなくギギは言う。
「突撃だ。オレに続け」
 小隊は戦場に駆けて行く。ぬらりと赤く光る翅が興奮で微かに浮き上がる、そんな自身の肉体と精神の変化を自覚しながら、ギトは近づいてくる敵兵の一体を睨みつける。黒い体色の者は全て敵。その黒の一体にギトは駆け寄り牙を立て、食らいつく。
「美味い……」
 ギトの口から喜びが漏れる。
 その声はその黒の敵兵に届いたのか届かなったのか。弱々しく垂れ下がった黒の敵兵の触角はもう生気を纏っていない。

 やがて勝鬨かちどきが上った。
 ギトの耳にもギギの耳にも、勝鬨は聞こえていたが、敵兵の肉を喰らいつくすのに忙しい。終わった戦場で、ギトの小隊は黙々と喰らい続けている。

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「あんなに美味いモノは食った事がない」
 本拠地に帰ったギトがギギに言う。
「あぁ、そうだろう?あれに勝るメシなどない」
 ギギはそう言って、優雅に触角を揺らす。
「また、食いたい。もっと味わい尽くしたい」
「そうだろう。その為にはあの赤い果肉でこの強さを維持する必要がある」
「あぁ。分かっている。強くなって、アイツらを喰らう為なら、あの地獄のような味も悪くないさ」
「オマエも分かってきたな」
 ギギとギトは触角を交差させあい喜びあっている。

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 彼らを凶行に駆り立てる敵兵の肉の味とは、果たして、どのような因果なのであろう。

 衣服やカバンや毛布といったものが堆積したゴミ箱さながらのその部屋には若い人間の男が住んでいる。その堆積物の下の空間に、ポイと打ち捨てられていたのが地獄のような味とギトに言わしめた赤い果肉、キャロライナ・リーパーという唐辛子だ。度の過ぎた罰ゲームとして、この部屋の住人の友人によって持ち込まれたものだ。その世界一辛いとされる唐辛子は、二人の男を悶絶させた後、打ち捨てられ、ギギやギトの、すなわちゴキブリたちの巣に鎮座する事となった。

 唐辛子の辛味は、動物を凶暴にさせる。それは昆虫さえも。
 獰猛さを表すように体表を赤く、そして殺戮衝動を肥大化させ、食えども食えどもなお渇いていく……、キャロライナ・リーパーはゴキブリにそんな変化を与えた。
 キャロライナ・リーパーのその世界一の辛味は、ゴキブリの肉体をたぎらせ、精神に乾きを与えた。その乾きを唯一慰め潤す事が出来たのは、同属の、キャロライナ・リーパーを食べていないゴキブリの一群のその肉であったのだ。

 目的を達成する為に手段を講じる。生物の本来のことわりはそうであるはずだ。だが、手段に主眼を置いてしまうという逆転現象が時折起こり、目的はいつしかグロテスクなナニカにすり替わり、手段の為の目的となってしまう。

 また、キャロライナ・リーパーの副次作用は、キャロライナ・リーパーを食べたゴキブリの身体自体に辛味成分を蓄積させた。そして生まれた世界一辛いゴキブリは、天敵であったはずのアシダカグモさえをも忌避させた。堆積物の下の世界で、彼らが覇権を取る事はもう、揺るがない。

 この部屋の住人は、それを、まるで、知らない。

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