Hippy shake
ストレスこそが最も肉体と精神を蝕むものらしい。そして文明社会というものは、便利さと快適さを人間に与えてはいるが、同時に過度なストレスを押し付け続けるものなのだそうな。
野生の中に生きる動物がストレスフリーなのかと問われたならば、答えはノーだ。野生の中に生きる……、それは常に飢餓に陥る不安と、襲われ捕食される危険というストレスに晒され続ける事に他ならない。文明社会に生きる人間と、野生に生きる動物のどちらがより大きなストレスを受け続けているのか、それは比べようがない。
そんな事を考えながら、オレは服を脱ぎ、全ての荷物をロッカーに入れて生態認証の鍵をかけた。真っ裸で何も持たずに、オレは一人でドアに向かう。平日午前のこの場所は人が少なくていい。ドアを開け、一歩踏み出す。しっとりとした土の感触が心地いい。
ここは自由の森。文明によってもたらされるストレスを解消するには、野生に回帰するのが効果的なのだという学説の下に、いくつかの外国で同時発生的にヌーディストフォレスト運動が興った。海で裸になるのもいいが、知るはずがない猿であった頃の原初の記憶が呼び覚まされる森で、あらゆる文明から解き放たれる事こそが、文明起因のストレスを解消するのに最も良いのだ、という。
『ヌーディストフォレストがストレス解消にとても良いらしい。安全管理のシステムも確立されてきたようだし、新たなビジネスモデルとして日本でもやってみよう』と、いつもの調子で、世界から何歩遅れかで日本にもヌーディストフォレストが生まれた。ま、ヌーディストフォレストに温泉を足して、【自由の森】と命名したのは日本らしくて悪くないが。
オレはゆっくりと森の中を歩いている。尖った石ころや木の枝やその棘で傷を負う事さえも、現代人にとっては癒しなのだと提唱者は言っていたらしいが、なるべくなら怪我したくない。オレは足元と、周囲の木々に注意を払いながら進む。この森の中央辺りに温泉があるというが、オレはまだ行った事がない。なにせ、自然の森に無いようなものを極力排除する事こそが自由の森――ヌーディストフォレスト――の基本コンセプトなのだから、温泉へ案内するような看板もここにはないのだ。だから、オレは未だ温泉には辿り着けていない。
自由の森を散策し、その地形を少しづつ覚え、自分なりのお気に入りの場所を見つける、それこそが自由の森のサイコーの楽しみ方だとオレは思っている。そして、オレはいくつかのポイントを見つけた。そこで何も考えずボーっと過ごす事で日々のストレスが洗い流される。
ふと、人の気配を感じた。周りを見回し、木々の間、なだらかな坂の奥、薮の陰に視線を走らせる。すると、背後の方向の十メートルほど向こうに一人の女が立っていた。若い女だ。珍しい。当然、彼女も裸だが堂々としたものだ。ただ、衣類を着ていたとしても同様であろう警戒をオレに向けている。
「何か用か?」オレは少し大きめの声で女に話しかける。
「あの、私、自由の森初めてで」女は立ち止まったオレに近づきながら言う。
「そうか。道も案内もないのが森の良さだからな。気を付けて行け」オレはそう言って元どおりに歩き始める。
「あの!」女の声が背後からオレにぶつけられる。
「なんだ」再び立ち止まって振り返りオレは言う。
「つ、ついて行ってもいいですか?」
「好きにしろ」
自由の森の中では何をしようが自由だ。もちろん暴力沙汰や殺人などはご法度だが、オレが女について来てはダメだと言う理由はない。
「自由の森には良くいらっしゃるんですか?」距離を詰めて来た女は背後から問いかけて来た。
「あぁ。いくつかのお気に入りの場所があるくらいには」素っ気なくオレは言う。裸の若い女に話しかけられて、近づいて来られるなんて事は日常では考えられないが、自由の森の中では珍しくない。
オレは黙々と歩みを進め、いつもの場所に着いた。そこは背の高い木が立っていない平地の広場で、中央には巨石が鎮座している。
「わぁ。いいトコですねー」後ろで女が感嘆の声を上げた。
「あぁ、いい場所なんだ」オレは巨石に近づき、その横に空いている小さな洞に手を突っ込む。取り出したのは小さなシガーケース。それを持ってオレは巨石によじ登る。巨石の上は平坦でなめらかで、正午には真上から射す日光が熱い位に巨石を温めてしまうが、今は丁度いい。冷たくもなく熱くもない。
「わ、私もそこに行っていいですか?」女が聞いてくる。
「ここは自由の森だ。好きにしろ」
シガーケースから取り出した一本を咥え、オレはライターで火をつける。青臭いにおいが鼻に抜ける。
「それはタバコ……、ですか?」女が聞いてきた。
「タバコが良けりゃ、タバコもあるが。コレはマリファナだ」
自由の森に隠したマリファナ。コレを奨めて断った女などいない。その後はお決まりの野生の男女の営みだ。
自由の森では都会のストレスが洗い流される。
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