のりくろーの古代妄想 素人の疑問
❍みなさまこんにちは、のりくろーです
古代の妄想シリーズです。いつもの妄想です。
ちらちら、邪馬台国についてブログや動画、本を見ていますとやっぱり気になる事が浮かんできてしまいます。
❍魏志倭人伝でやっぱり気になる
魏志倭人伝は次のようなパートでわける事ができます。
倭国の地理
倭国の政治情勢・風俗
漢や魏など大陸国家との交流史
です。
この3つのパートのうち倭国の地理、そして、倭国の政治情勢・風俗を紹介するパートは、倭国での現地調査にもとづくと思われます。
そして、漢や魏など大陸国家との交流史のパートは、漢や魏に残る記録をもとにしたものと考えられます。
この中の、倭国での現地調査パートの最後に次のような記述があります。これが非常に気になってしまうのです。
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可五千餘里
参問せし倭の地は、海の中で孤立していて、大陸棚の上に存在します。
その海岸線はあるいは連なり、あるいは途切れている。仮に一周するとすると、その長さはおよそ五千里と考えることが出来る。(かなり個人的思いのある恣意的な訳)
まず、「周旋可五千餘里」のこの五千余里という数値が気になります。
この一文について、本やネットで調べてみました。すると、多くの人が短かすぎるとか、逆に、長すぎるとか極端な数値と、とらえている人ばかりです。
なぜなのでしょうか?
歴史的には、魏の時代一里は約435mと決められていたそうです。すると、五千里は
5,000X435m=2175,000m
2,175kmになります。
ひぇーとんでもない数値だとなるかもしれません。しかし、そうでもないんですよ。
wikipediaによると
九州の海岸線は
3,888kmです。
まさか、当時において現代のように、くねくねした海岸線を測れるわけがありません。そのように考えると、非常に正確な数値であると、考えてよいのでないでしょうか。
まさか、わざわざ一周するわけはないので、ある程度調べてそれから計算などで導き出したと考えられます。
高い調査能力を持っていたのではないでしょうか。
このように考えると、
絶在海中洲㠀之上 或絶或連
という文章が九州を表わしているように思えてきませんか。九州の西部と北西部の海岸線は、恐ろしく複雑です。或絶或連(あるいは絶え、あるいは連なり)にふさわしいと思います。
ちなみに、四国の海岸線は、
2,091kmだそうです。
ピタリです。でも、四国ではない気がする。
なぜ、本やネットでは五千里という数値が極端な数値だと考えるのでしょうか。それは、魏志倭人伝においては短里が用いられていると考えられているからです。
導き出された短里は、人によって50m〜100mとさまざまです。
しかし、なぜ歴史的に証明されている里数を用いればわりと正確なのに、わざわざ別の数値を使うのか素人的にはちょっと疑問に思うのでした。
それとも、基礎的なところで、わたしの計算がおかしいのか。その可能性も十分考えられる。
❍最後までお読みいただきましてありがとうございます
これまで、本当にこの五千余里を435mで考える人は見た事がありません。やっぱり、わたしが間違っているのか、たぶんそうだ。