私のキャリアプランは渦潮型①
私はロンドン出身だが、生まれと家族の拠点は徳島だ。気づけば自分の将来像の描き方が、どことなく故郷の渦潮に似ている。常に新しい流れを取り入れながら回転し、ゆっくりどこかへと動く。(②に続く)
MBAを取るまでのキャリアプラン
2009年の就職氷河期に就職活動を行い、2011年に外資系金融機関に入社した。根拠の無い自信の持ち主の私は、自分が決めた1社に受かると思い込んでいたので、吟味して入社の応募をしていた。
(今思うととんでもない自惚だった)
当時(21歳の私が)考えていた将来像:
24歳で婚約、25歳で結婚、26歳で第1子出産
産休前の年収は1000万円
仕事復帰後は時短で、会社にあるバイリンガル保育園に子供を預ける。
30歳までに第2子出産
社会人でも毎日ヴァイオリンを練習し、週末はアマチュア・ヴァイオリニストとして活動
不思議だが、第2子を産んだ後の自分の人生に関しては考えておらず、「人生で何をしたいのか」などのヴィジョンはまるでなった。
目先10年のことだけを考え、企業説明会や面接では仕事内容やキャリアのこと以外に、上記のプラン実現を目的とし、福利厚生の内容をしっかり確認していた。
実際は26歳でうつ病診断
入社翌年から真剣に付き合っていた相手がいたが、24歳はプロポーズの気配も無く過ぎた。絶望(?)した私は「とりあえずバリバリキャリアを磨こう!」と気持ちを切り替え、25歳で社内異動を希望した。
異動した先は、同じ外資系金融機関だったにも関わらず、まるで北朝鮮と化した昭和の日本の会社だった。
パワハラ、モラハラ、いじめのオンパレード。しかも指揮・監督は全て本部長※。「忠実」な手下による1人の特定人物への攻撃が後を経たなかった。不運なことに、私が異動したころ、前の「特定人物」が別の部署に異動したばかりだったので、新たな獲物を探していたそうだ。
知らぬ間に私が「特定人物」の座を獲得したのだった。
家族や知人の間では、底抜けに明るくポジティブな性格で知られる私がうつ病を診断され、休職した。
※この話の数年後、その本部長は度重なるパワハラでクビになっているので、この状況は決して私の妄想ではない。
人生ヴィジョンを初めて考えた26歳
休職中、自宅で療養していた。最初は家で何もせず、リビングに座っているだけで1日が過ぎていたが、軽いうつ病の診断だったからか、1ヶ月もすると「何かしよう」という気持ちが湧いてきた。
ただ、当時26歳。就職活動中に一所懸命考えた私の人生プランでは、既に子供を産んでいるはず。妊娠はおろか、やはりプロポーズの気配が無いまま同じ相手と付き合っていた状況だった。
真剣に問いを立てた。
本当に結婚したいのか?子供が欲しいのか?何のために?
仕事は何のために?ヴァイオリンを弾き続けるために?
ゆっくり考える時間があったからこそ気付いた:
私は特に結婚したいわけではない(周りが結婚していたから嫉妬していただけ)
子供はうるさいし好きではないので、特別欲しいとは思わない
ヴァイオリンを弾くためのお金欲しさに仕事しているなら、外資系金融機関じゃなくてもいい(もっと楽に必要資金を稼げる方法がある)
ヴァイオリンを弾くことだけで人生が終わって欲しくない
自由に働き、自由に生きたい
言い方悪いかもしれないが、私はうつ病になってよかった気がする。
一度人生をリセットし、自分が本当に何をしたいかを真剣に考えるきっかけになったからだ。
と見えた瞬間、今までの人生プランが自分目線ではなく「人から見てどういう人生か」という他人目線であったことに気付いた。
これは大変!気付けたのは万歳だが、仕切り直さなくては!
(長いので②で続きを!)
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