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高くも低くもない。

人との比較。向上心となる場合もあるだろうが、それはほんの3%位の要素であって自分らしさを失ったりムダに自信をなくしたりするきっかけになる事の方が多いように思う。

だがしかし「他人との比較」というのは大抵の場合、他人のわずかな一部分だけを見て比較している事の方が多く、正確にその人を捉えている事も、ましてや正確に比較できているなんて到底いえない。

それなのに人は自分の勝手な思い込みに過ぎない結果に確信を持ち、あの人よりも自分は劣っているだの、自分ももっとこう”しなければならない”などという必要のないミッションを自分に課す。

かく言う私も気分が下がっている時などはその沼に落ちる事もあるが、幸いにもその状況に気付くスキルを身に付けた、というのは鶏卵のような話で、気分が下がる時というのは自分に焦点があってないだけだと気付いてからはすぐさま視線を自分だけに向き直すようにしている。

いつも自分だけを見る。今何がしたくて何がイヤで何を考えているのか。などなどノートに書き留める。その瞬間には解決しなかった事もノートを振り返ると大抵どうでも良い事だったと気付くし、問題と感じた事も誰かや何かが悪いのではなく結局自分の心の中にある事に気付く事ができる。

大体、人に位が高いも低いもないのだ。あるのは何が得意で何が苦手か、好きか嫌いかそれだけである。お金を稼ぐのが得意な人もいれば苦手な人もいるし料理が得意な人もいれば苦手な人もいる。苦手だからといって自分の価値が下がる訳ではない。誰だって得意な事、好きな事、ひとつくらいはあるでしょう。それは誰かからすごいと言われることでなくたってい。むしろすごいと言われる事を探すことは比較という思考に繋がるだけである。

逆に人からすごいと言われる時も気をつけねばならない。自分をただすごいと認めるだけなら良いのだが、みんなよりもすごいと思えばそれはまた比較に繋がり、自分よりも優れた人が現れた時に劣等感を持つだけである。

例えば目の前に富士山が見える。

それはとても美しく神々しく見える。だけどそれ以外の山が劣る訳ではない。他の山に比べて富士山が美しいと思うのは一個人の感覚であり、富士山も他の山も山なのだ。

チューリップよりもバラが好き、或いはその逆も然り。赤が好きで青は嫌い、あるいはその逆も然り。

そんな一個人の感情に振り回されて自分を否定したり、蔑んだりするなんてもったいないがすぎる!!!!

あなたも私も素敵。それが真理だと思う。

先週ウォーキング中に見たサンセット。キレイだねぇ。


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