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衝撃の7月8日のその後の経過で
7月8日、日本中が大きな衝撃に襲われました。
直後の筆者の想いは、以下の7月9日の記事でつぶやきました。
筆者は、この記事の中で、以下のようにつぶやきました。
「歴史を見ると、この方のような立場にまでのぼりつめた人物の悲劇は、偶然と必然が結びついたような不思議を感じさせられるものが多いのです。
もしかしたら、この悲劇の背景にも、解明されなくてはならないなにかがあるのかもしれません。」
そのときは、具体的な背景など、全く想像もしていませんでした。
ただただ、安部元首相の死に衝撃を受け、不安を感じていたのです。
その後、、、少しずつ、本件発生の背景であるところの犯人の動機が明らかになってきました。
これが明らかになるにつれて、、、
多くの人たちが、犯人に対して、切なくていたたまれない想いを抱くようになっているようです。彼の犯行は絶対に許されるものではないとしても、、、、、。
彼は、一体どうすればよかったというのか?
私自身も、犯人の境遇に衝撃を受けました。
そして、切なさといたたまれなさと無力感にさいなまれています。
安部元首相の非業の死と、犯人の悲しい生い立ちと。
二重に苦しい事件となってしまいました。
ただ、、、。
一つだけ救いを感じたことは、犯人が生きていること。理屈ではなく、
“生きている”
ことに、ほっとしたような、大きな救いを感じることができています。
間違っても、犯行後に自死、ということにならなくてよかった。
彼はやっと、人に話を聞いて貰える状況になったのだろう。
そして、彼がこのような悲劇を引き起こした背景は、間違いなく、解明されなくてはならないことだったと強く感じる。
やったことは決して許されないけれど、彼には、自分自身をしっかりと振り返った上で、生きて、罪を償っていってほしい。
こんな経験をした彼だからこそやれることが、必ずあるはずだと想う。
(終)
(終)