~箱根駅伝に想う 我が母校と我が街~
神奈川県横浜市戸塚区の女性ライダー弁護士西村紀子です。
一人の弁護士として、一人のライダーとして、そして、一人の人間として、日々感じたり観察したりしたことで、皆様のお役に立つと思えることを、つぶやき発信していきます。
1月2日~3日、毎年のお正月の風物詩である箱根駅伝が行われ、熱い戦いが繰り広げられました。
目標を達成したり見事な勝利を掴み取った選手達がいる一方で、優勝を狙って果たせなかったこと、シード権を逃したことなどを悔しく想う選手達もたくさんいるのだろうと想います。
ですが、観戦する立場からすると、この大手町から箱根までの往復の距離をチームで走りきろうとする姿が素晴らしく、勇気づけられるもの。
初出場でたすきをつなぎきった大学だけでなく、たすきはつなげなくて繰り上げスタートになった大学であっても、走りきる姿に、感動と勇気をもらえました。
ちなみに私の母校である早稲田大学は、総合13位でシード権を逃してしまいましたが、きっと、予選から登ってきて来年も素晴らしい走りを見せてくれると信じています。
ところで、箱根駅伝で、「戸塚中継所」として出てきた戸塚は、私が所属する「横浜みなみ法律事務所」の所在地です。
戸塚は、江戸時代の東海道五十三次程ケ谷(保土ケ谷)と藤沢の間にあった宿駅(精選版 日本国語大辞典より)として有名です。
1604年(慶長9年)に伝馬宿に定められ、江戸ー小田原間の中間で栄えました(日本大百科全書より)。
起点の日本橋から約42キロの距離にあって、朝江戸を発った当時の旅人の一番目の宿泊地として最適で、かつ、鎌倉への遊山の道、大山参詣の道お分岐の宿として大変な賑わいを見せていたそうです(戸塚区のHPより)。
なお、特に往路においては、第2区の鶴見中継所から戸塚中継所に向かう道程で「権太坂」「戸塚の壁」などの言葉が中継でも飛び交いました。
これは、第2区にある「権太坂」(東海道五十三次で箱根越えに次ぐ難所と言われた)と戸塚中継所手前3キロ地点の急勾配を「戸塚の壁」と呼んでいるもの。この区間で、例年に漏れず、今年も、ごぼう抜きなどのドラマが起こりました。
そんなことに想いを馳せながら、今年のお正月三が日も終えます。
出場された選手達や関係の方達全員に感謝の気持ちでいっぱいになったお正月でした。
(終わり)