今も必ず5:46に目が覚める:阪神淡路大震災から30年
生まれも育ちも神戸で、神戸から出たことがない生粋の神戸っ子です。
今から30年前、そろそろ起きようと思ったときに地鳴りが響き、突然下から突き上げられ、その後大きな横揺れが起こりました。
人生で経験したことがないことで、一瞬なにが起こったのか分からず…。
怖いと感じるヒマもなく、ただただ布団に潜って揺れが収まるのをまちました。
その記憶は、今でも薄れることはないのです。
今朝も5:46に目が覚めて、手を合わせました。
亡くなられた方の冥福を祈り、今もなお辛い思いをされている方が笑顔で過ごせるように祈り、こうやって今生きていることに感謝をしました。
1995年(平成7年)1月17日(火)5時46分
神戸市中央区の咲美堂漢方薬房で、漢方カウンセラーとして診断して10年。
「本物の中医学」で薬膳を伝えて15年。きた池田のりこです。
漢方薬店では、症状の対症療法だり「イメージを膨らませて感覚を身につけて実践する」ことを大切にして、中医学・薬膳と九星気学を伝えています。
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当時私は23歳で、社会人1年目でした。
突然の大きな揺れは、縦に横にと過去に経験したことがないものでした。
あのときは本当に長く感じて、ひとり布団の中で震えていました。
ただ、そのときの震えはあとになれば小さなことで、それから現実を受け止めることの方が辛かったです…。
寝ていた部屋の本棚が倒れ、寝る場所が違っていたら、間違いなく命を落としていました。
実家の2階で寝ていたので、階段を降りようにも天井が落ちてきていて、しかも真っ暗…。
なんとかキッチンにたどり着いたら、呆然と立ち尽くす母がいました。
食器棚からはすべての食器が出て割れていて、「来たらあかん!ケガするから!」と母が近づくのを拒んだほどです。
幸い両親は無事でしたが、電気が止まっているのでテレビも見れず、父が「駅まで行ってくる」と行って出かけていきました。
「電車が止まってる…」と言ったあとに、「世界が違う」と言ったときの青ざめた父の顔は今でも忘れられません。
しばらく自宅待機でしたが、家の中は足の踏み場もなく…。
そして、とにかく寒くて寒くて毛布にくるまっていました。
変わってしまった神戸の街
当時、私は全国に支店のある会社の神戸支店で働いており、しばらくすると一度出勤することになりました。
ところが、電車もバスも通っていないので、リュックにスニーカーで3時間ほど歩いて三宮の会社に行きました。
途中、倒壊した建物や焼け野原となった地域を通り、なんともいえない焦げ臭い匂いもして、その間も余震があって…
会社に着くと、窓からいつも見えていた神戸市役所二号館の裏側の今まで見えていな方リクリートビルが見えていました。
二号館の3・4階部分が潰れて下がってしまい、今まで見えていなかった裏のビルが見えたのです。
当時、父は神戸市職員で災害対策本部で指揮を取っていました。
泊まり込みで帰ってこず、余震のたびに母と一緒に毛布にくるまっていました。
何を食べていたのかもう思い出せないのですが、とにかく毎日必死で生きていました。
お風呂に入るどころか顔も洗えないし、トイレも流せないし、買い物したくてもどこも開いていないし…。
がんばろや!神戸
「あそこで水もらえるよ!」「炊き出しやってるよ!」とみんなが声を掛け合っていました。
助け合い、全国からの支援をいただき、「がんばろう!」という気が増えてきました。
やっと少し日常を取り戻せるようになったころ、オリックス・ブルーウェーブが腕に「がんばろう!神戸」つけてリーグ優勝をしました。
本当に勇気をもらって感動したことを覚えています。
街中いろいろなところに「がんばろや!神戸」と書かれていて、先が見えない中でも一歩を踏み出せた、あのときの神戸の人は本当に強かったです。
できなかったら工夫する
諦めない
みんなと協力する
水が出るだけでありがたい
暖を取れることが幸せ
命があるだけでありがたい
今、こういうことができなくなっている自分が情けなくなります…。
つまらないことで悩み、無駄に時間を過ごすのは、辛いと思うかもしれませんが、とても贅沢なことです。
天皇・皇后両陛下が神戸へ
昨日から神戸は、大規模な交通規制をしています。
天皇皇后両陛下が今日の記念式典のために、来神されているからです。
宿泊されているホテルと式典会場の間に、うちのマンションとお店があるもので、今朝の出勤はかなり時間が掛かりました。
国旗を持った人たちがたくさんいて、白バイや警察車両もたくさんあったので、もうそろそろ通られるのだな…とわかりました。
人が多すぎるのと、お店の準備があるので、拝謁したいなぁ…と思いつつもお店へ…。
先週はそのための訓練もありました。
大勢の方が警備に携わっていてびっくりしました…。
天皇皇后両陛下の来神について様々な意見がありますが、私はありがたいことだと思います。
大きなニュースになることで、多くの方に阪神淡路大震災のことを思い出してもらえるし、「気」も変わるように思います。
SNSを見ていて、どなたの投稿かは忘れてしまったのですが「震災30年で来て、なぜ笑顔なのか理解できない」と書かれていました。
確かに大きな被害があり、多くの方が命を失い、被災者にとっては辛いできごとです。
でも、それから神戸は復興してきました。
明るく前向きにがんばってきました。
天皇皇后両陛下は笑顔ではなく、微笑みでした。
そこには愛があると思います。
うちはテレビがないのでYouTubeで見ましたが、不快に感じることはありませんでした。
人それぞれ、いろいろな考えや意見があります。
それを「自分が正しい」と思ってしまうと、争い事が生じます。
「そういう意見もある」という受容が、もうすぐ始まる2025年のテーマです。
心して過ごしたいと思います。
30年を迎えて
神戸市民でも震災を知らない人が大半だそうです。
私たち被災者は、この経験を伝え続けるべきだと思っています。
地震対策もですが、「人はみんなと協力してがんばれば何だってできる」「今辛くても、とてもありがたくて幸せなことなんだ」ということです。
毎年、この日に猛省します…。
あのときは文句を言わずがんばったのに、今はちょっとしたことで不平不満が出てしまい、サボってしまい、ありがたさや感謝を忘れてしまっている…と。
そして、もうひとつ。
復興の裏には、大きなものを背負っている人がいるということも。
私の友人は、震災で両親を亡くして、まだ中学生だった弟と二人ぐらしになりました。
家のローンが二重になって、必死で働いていました。
20代の女性でしたいこともたくさんあったのに…。
親の会社が倒産して、家もなくなり、精神的に立ち直れなくなってしまった知人もいます。
保証人になっていた会社の建物が倒壊し、多額の借金を背負った人もいます。
このような人がいることを知ることも大切なことです。
報道されていないことも、たくさんあります。
私の力では、この方達を救うことはできないけれど、だからこそ自分がやるべきことを一生懸命やって、社会貢献をしたいと考えています。
私は、今でもヘリコプターの音が怖いです…。
震災のときを思い出すから。
昨日と今日は神戸上空には絶えずヘリコプターが飛んでいて、正直なところ落ち着かないです…。
でも、当時の状況よりはるかに恵まれているので、そのことに感謝をして1日を大切に過ごします。
阪神・淡路大震災で犠牲になった6,400名以上の方の御冥福を祈り、今もなお辛い思いをされている方が少しでも癒やされるようにお祈りします。
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それでは、今日も心と体とご機嫌を整えて笑顔で過ごしましょう~♪
おしまい。