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セブ旅行雑感 ~ 今この時、同じ地球上で起きていることを思う。

毎日を、生きるために生きる。
一日1.9ドル未満で暮らす絶対的貧困は、今この世界で現実に起こっていることだ。量子力学的な「可能世界」(自分が生きているこの現実と並行して存在する、似て非なる別の世界)ではなく、この同じ時代の、同じ地球上に。何不自由なく快適でそこそこ幸福な私たちの日常と、まさに今、まったく同時に。
知識としては知っていたそのことを、リアルに再認識する機会があった。

フィリピン、セブ島への旅。
観光客がそぞろ歩く小綺麗な街。
高級リゾートに、美しいビーチ。

そのすぐ傍らには、バラックの立ち並ぶスラム街。
電気も水道もない、ゴミ山や墓地で暮らす人々。
何世代も貧困地域から脱することなく、食べられるもの、売れるものを探して日々を生きている。

photo: nsマリアさん(TOPのゴミ山の写真も)

それでも、セブの子どもたちは笑顔で、大人たちは明るく陽気だった。
一方、豊かとされる国々には食物や住処、仕事があっても心を病み笑顔を失う人もいる。
豊かさも幸福も一概に定義することは出来ないし、簡単に比較することも出来ない。

同じ時代の、また別の場所では、紛争や飢餓による絶望的な悲惨のうちに生きる人々もいる。国際ニュースを観れば毎日のように報道されていること。
生まれた場所によって分かれる運命。
眼をそむけたくなる現実。
この不均衡、格差をどうこうすることは容易ではないし、個人の力はあまりに小さい。

命の危険を身近に感じることのない日常。
努力すればある程度は報われる社会。
それらを自らの幸運として感謝をもって享受することも、私たちのつとめだ。
同時代の困難に対して支援のアクションをするかどうかは個々人の状況次第でもあり、自由。

ただ誰にとっても重要だと思うのは、時に「自分の目の届く範囲外」に思いを馳せること。
まさに今この時にも、別の場所では自分の「当たり前」を越えた状況があると、リアリティをもって認識していること。
(足を運んで得た経験は、その大きな助けとなる。)

そのリアルな認識は、人間の精神の宝である想像力を育み、知性の源となるはずだ。
無数の多様な人生の時間が重層的に流れるこの世界の深淵に触れ、自らの内なる世界を押し広げていく力に。

幾多の難問にインパクトのあるアクションを取ることは難しい。
それでも、今この時に別の場所で起こっている何かを心の片隅に置いて生きていくことで、やがて「今の自分」にも出来ることが見つかり、現実をわずかでもよい方向へ変えられるかもしれない。

善き行いをするのに、成長して立派な人物になるまで待つ必要はない。
小さくても、無意味ではない。
旅を終えてから、そんなことをつらつらと考えている。

昨日よりも幸福な今日、今日よりも美しい明日を創るために。
小さなアクションを考えてみよう。
非力な今の自分のままで。

今回の旅では、貧困の根本的解決を目指して奮闘する人物にも出会った。
その話はまた、折を見て。


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