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幼い日、父を「おじいさん?」と言われて

勤務先の最寄り駅近くに、幼稚園から高校まである私立の女子校がある。
そして出勤時には、その付属幼稚園に急ぐ親子を何組か必ず見かける。
先日の朝、道を隔てた向こう側にいたのは
スーツを着た恰幅の良い男性と制服姿の女の子だった。
男性はおそらくは女の子の父親なのだろうが、
遠目にも頭に白いものが目立った。
やがて歩行者信号が青になり、親子とすれ違うとき、
男性が私と同年代であることを確信した。
決して早くない結婚をし、かつ、長女が30歳を過ぎようとするこの私と。
そして女の子にかつての自分が重なった。

私は父が53歳のときの子どもだ。
私が小学校に通っていた頃のこと。
一度車で私を学校まで送ったあと、すぐ、
忘れ物を届けるなどの口実をつくって、
よく父は学校に顔を見せた。

私はそれがとても嫌だった。
クラスの子たちから必ず「おじいさん?」と言われ、笑われるのだ。
もちろん、父親だということを知っていて、からかうのである。
そのとき自分が否定したか、黙っていたか、無視したか、
どんな反応をしたのかは、もう覚えていない。
けれど、そういわれた日はいつも、家に帰ると
父に「もうぜったいに学校に来ないで」と声を荒げてしまい、
父は悲しそうな表情をした。
今も覚えている。
その記憶の最後は小学校4年生だ。
まもなく入院し、運転もできなくなった。
そして、私が6年生の秋、他界した。

晩婚化が進み、少し前の記事ではあるが、
2015年に第一子として生まれた子どものうち父親が50代だったのは、
20年前の3倍という。

とすれば、半世紀前の何倍になっているだろう。
少なくとも、父親が高齢であることがいじめやからかいの理由になることは
今はあまりないのではないか。

私は優しい父が大好きだった。
本当は父に八つ当たりなどしたくなかった。
父も私からそんなふうに言われて、見せた表情以上につらかっただろう。
小学校のころ、私をからかった同級生たちは
私がかからかわれるたびに傷ついていたことなど知る由もない。
意図はしていないのだろうが「自分たちと違う」ことは、
どんなことでもからかいやいじめの理由となる。
「集団にとっての『当たり前』」から外れることは差別や嘲笑の対象だ。

人から見れば、このからかいなど、些細なことだろう。
けれど、そうした些細なことの積み重ねが
重篤な結果を招きうることも忘れてはならない。
逆に言えば、たとえ些細なことであっても、少しずつでも
違いを認め合うことを積み重ねれば、
もっと穏やかな世界となるはずだ。

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