仲良きことは美しきかな
自慢じゃないが、子どもたち、とくに第2子、第3子の男兄弟2人は(私から見れば)実に仲がいい。
本人たちにはそんな意識はずっとなかったようだが、彼らがそれぞれ大学4年生、1年生くらいの時に兄が私にこう言った。
「おかあさん、僕と○○くん(弟の名)って、よその兄弟とは違うみたい。Mに聞いたら、弟とはその日の鍵のありかとか事務的なことしか話さないんだって」
M君というのは兄の中高の同級生で学部は違うが大学も一緒、彼の弟さんも同じく、弟の中高の同級生で学部は違うが大学も一緒なのだ。
そのM君と久しぶりに会ってそんな話をしたらしい。
いやいや、やっぱり自覚なかったんかいな。
大学生になっても一緒にお風呂に入ったり、中高の時の話題で盛り上がったり、桃鉄やパワプロを何時間もやっている兄弟ってあまりいないのでは?
…なんてその時思ったものだ。
それが、それから10年ほど経った今でも、二人の関係はほとんど変わらない。
兄は結婚して家を出ているというのに、たまにうちの近くの大学に用があるとやってきて、同じようなことをやっている。
どちらかといえば兄の思いが強いのが玉に瑕だが、、
翻ってわが身のことを振り返れば、私にも二つ違いの妹がいた。
私の子らと同様に幼いときはすごく仲が良かった。
家に帰っても両親は不在で、遠くの小学校に通っていた私たちには近所に親しい友もいなかった。
妹と二人で過ごすのは必然だったのかもしれない。
通っている学校のこととか、高校野球やプロ野球、まんが、日常のたわいのない話。
一緒に雑誌もどきを作って、学園まんがを二人で書いたりもした。
長じて別の大学に進学し、住む場所も遠く離れたが、ことあるごとに一緒にいろいろな場所に行った。
上野動物園や横浜球場(昔だからね)、私の通っていた大学で催された大江健三郎氏の講演(小さい教室なのに彼の前に大岡昇平氏も話すという超豪華なそれ)、、
私が結婚してからもしばらくそれは変わらなかった。
それが、いつのまにか疎遠になっていた。
理由はわかっている。
田舎から上京した母が私と同居したからだ。
もっと言えば、母が妹と私の間に入って、会話を仲介するようになってしまったからだ。
子育てに追われていた私は妹と直接話すことが少なくなり、母を介してしか妹の言葉を聞かなくなっていた。
妹も、電話や直接会った時に母から私の言葉を聞いていたと思う。
母が電話口で妹に私の愚痴をこぼしているのを聞くことが続くと、たまに彼女と話をしても母の言っていた彼女の言葉が気にかかり、穿った見方をするようになった。
彼女のほうは違ったかもしれないのに。
結果として、お互いに避け、直接顔を合わせることが皆無となってしまった。
もちろん、電話や手紙のやりとりもなくなった。
彼女は良い叔母で私の子どもたち、つまり、姪、甥の面倒はよく見てくれたのに。
やがて母は家を出、妹のところに身を寄せた。
そんな彼女が突然私に電話をしてきたのが、十数年前のことだ。
体調が悪いと思って医者にかかったら、「家族を呼んで」と言われたという。
それだけ病状が深刻だったのである。
離婚してひとり身、かつ私のもとを出て行った母親の面倒を見ていた彼女が
「家族って言っても、おねえちゃんしかおらん」
と電話してきたのだ。
彼女の闘病中、精一杯のことをしたつもりだったが、それが十分かと自問すれば首を縦に振ることはできない。
ずっとあったわだかまりのためにきちんと苦しむ彼女に向き合えなかったのだ。
その気持ちは彼女の死後、今度は母を責める方向に向いてしまった。
老いた母にはもう私たちの幼い頃のように抑えつける力はなく、私の言葉にただ頷くだけだった。
そしてその母も他界した。
妹に対しても母に対してもその時その時はそれでよかったと思っていたが、振り返ればやはりもっとできることはあったのではないかと悔やむ。
先日、兄がまた家にやってきた。
珍しく兄弟で声を荒げて話していると思ったら、研究者の募集について「女性限定是か非か」「任期付き是か非か」で議論している。
意見は真っ向から対立しているが、それで険悪になることもないのはやっぱりそもそも仲がいいからと思う私は単純すぎか。
仲良きことは美しきかな。