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J病院のこと―長女の入院と長男の入院

前回のnoteで長女が川崎病に2度かかったことを書いた。

そのとき、思い出したことがある。
2度目にかかった時のことだ。
入院した病院から転院したのである。
どうしてその病院に入院したのか、いきさつは忘れてしまった。
けれど検査や薬など(細かなことは覚えていないが)
どうにも納得がいかなかったのだ。
小児科のないその病院では
「子どもの病気」ということは考えつかなかったのかもしれない。
小児病棟もなく、
中年男性と未就学の娘が同じ病室なのも、
とても気になった。

―このままではこの子は治らないかもしれない

すごく悩み、2日目だったかに思い余って
以前に川崎病で入院していたI病院に電話した。

今思えば、私によくあんなことができた、と思う。
「この子を助けなくては」という使命感だけで動いていた。

実はI病院は前回の川崎病後の定期健診でずっと通院していた。
電話に出てくださったのは主治医ではなかったが、
お顔をよく存じ上げている先生だった。
2つ返事でご了解くださり、ご担当でもないのに手はずを整えて下さった。
そしてその日のうちに入院先から転院の話があり、
I病院に移り、適切な治療を受けることができた。

I病院と先生方には今もほんとうに感謝している。

いっぽう先に入院した病院のことは、
それ以前には近所の同級生の保護者の方から
「いい病院だよ」と聞いていた。
けれどその経験もあり、避ける気持ちを持っていた。

ところが、これには後日談がある。

その2年後、今度は長男が入院することになった。
近場の企業のプール開放に子ども3人を連れて行った時のことだ。
次男に気を取られていて、ふと長女に長男のことを聞いた。
すると長女は「泳いでいるよ」と言う。
そんなはずはない、彼は泳げないのだから。
慌てて探すと、ずっと流されたあと、沈んでいた。
監視員の方が引き上げてくださり、救急車を呼んでくださった。
その時、息をしていなかった。
救急隊員の方がT病院のことを私に尋ねる。
T病院なら長男の診察券もある。
けれど、空きがなかった。
いくつか病院をあたった後、やっとJ病院が受け入れてくれた。
J病院、と聞いて一瞬「えっ」と思った。
長女が2度目の川崎病で最初に入院した病院だ。
だが、処置をしてくださることには安堵の気持ちしかない。
水着のまま3人で救急車に乗ったことを覚えている。
頭の中でなぜか翌春の卒園や入学のことがぐるぐる回っていた。
幸い、J病院で迅速にまた適切に処置をしてくださった。
担当医の言葉も心強かった。
数日間手厚い治療を受け、無事退院することができた。
J病院は長男にとっては命の恩人である。

同時に私のことも救ってくれた。
彼の溺水はあきらかに私の不注意だった。
あのまま彼がこの世からいなくなっていたら、
私はどうにかなってしまったかもしれない。

先日テレビでJ病院が取り上げられているのを見た。
新型コロナウィルス感染症予防に関連して
地域医療の核となっているとニュースでは言っていた。

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