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乳がん記録 #12 職場と高齢母への報告


職場への報告

乳がんになって、悩んだことの1つが「周囲にどのように報告するか」という問題。
相手との関係性や相手の状況によって色んな配慮が必要なので本当に気を遣った。

職場でまず最初に報告したのは、社長、直属の上司、普段一緒に仕事をしているごく一部の同僚だった。
当初は部分摘出の予定だったため、入院は長くて1週間、早ければ3〜4日で退院できると聞いていたため、有休もそんなに取らなくても良さそうだし、事前に報告するのは必要最小限の人に留め、社内の人には必要に応じて事後報告すればいいや、と思っていた。

「乳がんと言っても現時点では何の自覚症状もないため、少なくとも、入院までは普通に仕事をしますので、病人扱いは無用にてお願います」
と伝えたのだが、さすがに皆んな気を遣って、そこから誰も私に仕事を頼まなくなってしまった。
これが有難い反面、結構寂しくて。
忙しいのも困るけど、あまり暇だと病気のことばかり考えてしまうし、「ほどほどに仕事ある」状況が本当は一番理想。
案の定、ガクンと気持ちが落ちてしまい、もっと直前に報告すべきだった、と後悔した。

ただ、そんな中、術式が全摘+同時再建に変更になり、入院期間も2週間と長くなってしまったため、さすがにキチンと引き継ぎしないといけない状況になり、「引き継ぎ」という仕事が増えて、気持ちがすぅっとラクになった。
私はいわゆる「仕事人間」ではないけれど、仕事がないと社会から取り残されたような気持ちになってしまうんだな。
新しい発見だった。
「退院後もしばらくは休んだ方がいいよ」と言ってくれる人もいるが、リモートワークで体調管理もしやすいし、できるだけ早く、デスクワークから少しずつでも、仕事に復帰しようと思った。

母への報告

さて、今回乳がんになって一番と言ってもいいくらい悩んだのが、高齢の母への報告だった。
母は81歳。3年前に脳出血を患ったものの回復し、今は高血圧の薬で再発を抑えつつ、遠く離れた福岡で一人暮らしをしている。
まだまだ元気で暮らせているものの、80歳を過ぎてからグッと歳を取り、気持ちが弱くなってしまった。
更に、母は25年前に夫(私の父)を大腸がんで亡くす、という辛い経験をしため、「がん」に対して恐怖心があるのは間違いない。
そんな母にとって「娘が乳がんになった」という事実はどんなに辛いことだろう。
近くに住んでいるならまだしも、遠く離れていては、もし母がショックで血圧が上がって倒れたりしてもサポートできない。

そういうわけで、最初は「事後報告にしよう」と考えた。
部分切除の予定だった時は手術時間も入院期間も短かったので、なんとか誤魔化せると思ったのだ。
事後報告で「もう治ったよ!」と伝えれば、手術前にあれこれ悪いことを考えたり心配することもない。
手術が終わってちょっと落ち着いたら帰省でもして、その時に話せばいいや、と思っていた。
ところが、2週間の入院ともなるとそうもいかない。
手術時間も長いし、翌日もベッドから起き上がれないかもしれないし、もしその間に電話でもあって、丸2日も連絡が取れない、となれば、もっと心配を掛けてしまうだろう。

結局、母に伝えたのは入院の2週間前。
母の調子が良さそうな日に、
「定期検診でちょっと引っかかったのよ。右の胸にちょっと怪しい影があるみたいで。悪いものの可能性があるから手術して取ることにしたの」
と伝えた。
自分の中でのポイントは「ガン」とか「乳がん」というショッキングなワードを使わなかったこと。
これまで、何人かに直接会って「乳がんで手術することになった」と伝えたのだが、皆一様に「えっ?!」と衝撃を受ける。
これは、いくら「早期発見ならガンは治る病気」と言われるようになっても、やっぱり「ガン」という言葉が「死」を連想させるショッキングな言葉だからなんだと思う。

「ガン」という言葉を使わなかったことが良かったのかはわからないが、母は冷静に受け止めてくれたようで、無事難関をクリア。
ただ、後から聞いたら「一瞬、頭の中が真っ白になったわよ」とは言っていたので、ワード選びはあんまり関係なかったのかも(笑)
「お父さんも今の医療ならもっと長生きできたのかもね」と言っていたので、母の中では「ガン=死」というイメージはなくなっていたのかもしれない。

その数日後、「そばに付いていてあげられなくてごめんね。がんばれ!」という手紙とともに、子供の頃、家族で毎年初詣をしていた神社のお守りが送られてきた。


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