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「恩送り」がプレゼントしてくれた奇跡 ペイ・フォワード記事Vol.38

ある日ベストセラー作家さんからいただいたメッセージ

私がこのnoteで「ペイ・フォワード」や「恩送り」「お互いさまの街ふくしま」などを発信し始めたのは2022年11月のこと。一年半かけてこれまで38記事書いてきましたが、ある時びっくりすることが起こりました。ベストセラー作家の志賀内泰弘さんからnote記事にコメントをいただいたのでです!

友人から、「志賀内さんのメールマガジンはとても読みごたえがあるからフォローするといいよ!」とすすめられ、毎週メルマガを読ませていただいていました。「心がホッとする『いい話•いい仲間のプラットフォーム』」というホームページのタイトルの通り、明るい話題、じーんとする話題、学びの深い内容が盛りだくさんで、30年間の取材と体験を元に書き続けてきた志賀内さんの人生の一幕をうかがい知ることができます。ご興味のある方は以下のURLをのぞいてみてください。メルマガ登録もそこからできますよ。

その志賀内泰弘さんが「恩送り」というキーワードでnoteを検索していた際に偶然にも私のnoteを見つけメッセージをくださったのです!いつかお会いしたいと思っていた作家さんから直々にご連絡をいただくなんて、、、そして志賀内さんが福島市のお互いさまスポットにいらっしゃるということで感動の対面を果たしました!恩送りについて発信し続けていて起こった奇跡の一つです。

ご本人にお会いできて感激です!

お土産に隠された「恩送り」の奇跡

そして、面白いことに、名古屋在住の志賀内さんからいただいたお土産がこちらの「縁(ゆかり)」おせんべい。「恩送り」の「ご縁」を感じられる一品です。

さらにさらに、もう一つ子どものためにいただいたお土産がミラクルでした。

愛知県近辺では知らない人はいない人気のおかしが福島と愛知を繋いでくれました

この「おにぎりせんべい」のパッケージはひまわりです。実はこれは名古屋と福島を繋ぐ意味を持っているのです!ひまわりは「お互いさまの街ふくしま」を広めるチームふくしまが展開している「福島ひまわり里親プロジェクト」を、そして中身のおにぎりの形のおせんべいは、志賀内さんのバックアップのおかげで今年の子どもの日に名古屋市栄にオープンした恩送りおむすびやさんを象徴しています!「恩送り」の意識を敏感にしていると、世の中全ての出来事が奇跡的に捉えられるような気がしてきます。

「福島ひまわり里親プロジェクト」についてはこちらをご覧ください↓

名古屋市栄にオープンした恩送りおむすびやさん「まんまる村」についてはこちらをご覧ください↓


ご自分の生き方で人の生き方を変える奇跡

この日は志賀内さん含む数名で福島市内にあるお互いさまスポット巡りをされていました。お互いさまチケットのメッカ、BLTカフェが設置している「みんなの食糧庫」の一角に、志賀内さんが起こした奇跡があったのです!ご本人はまだそのことを知らないので、チームふくしまの半田理事長が種明かし。
下の写真に見えている黒い棚は、BLTカフェ元オーナーでお互いさまチケットを始めた今は亡きハグさん(吉成さん)が設置したもの。他の人が必要としそうなものを誰でも置いていっていいし、誰でも持ち帰っていいという交流の場です。
そこに置かれている可愛らしい木箱。これが実は志賀内さんが遠隔で起こした奇跡なのです。

実はこの木箱は、東北少年院の青年が手作りしたもの。この木箱ができたのは、志賀内さんが恩送りについて書かれた記事をこの青年が読んだことがきっかけでした。


この「恩送り」の話や「みんなの食糧庫」の話を受けて、『社会貢献作業』の一環として木箱を3か月かけて作製されました。そして、いつか自分も恩を送る側となって自作の木箱に何かを入れたい、と決意したのだそうです。
そこで、作った木箱をチームふくしまさんに寄贈し、「みんなの食糧庫」の一角においてもらったということです。

箱の内側に描かれているのは、地元のお祭りの様子だとか。地域に根ざした賑やかなお祭りのモチーフは、地域の方との繋がりを大事にしている「みんなの食糧庫」と相性がぴったりですね!

この日はお米や五目飯の素が入っていました


このように、志賀内さんの発信したことが遠く離れた若者に届き、生きる指針となったことに大変喜ばれていました。

「恩送り」の二種類の法則を伝えているお二方大集合の奇跡

志賀内さんが恩送りの精神についてお話しする際に触れるのが『客家の法則』です。それはこのホームページにも取り上げられています。

 中国南部の福建省に客家(はっか)という少数民族がいます。元々は中国全土を支配していた漢民族の末裔らしいのです。しかし、大昔、北方民族が攻めて来た際に、難を逃れて今の地にやってきました。彼らは特殊な建築様式の家(客家土楼)に住んでいます。イタリアのコロッセオのように、円型の外周部分が三、四階建てになっていて、各階に何軒もの家族が住んでいます。ちょうど中庭の見下ろせる高層筒型アパートといったイメージです。
 (中略)しかし、少数民族にもかかわらず、世界中の華僑の大富豪や鄧小平、リ・クワンユー、孫文など有能な指導者を輩出したことでも知られています。
 ここの村(建物)の長老に、テレビ番組のレポーターがこんな質問をしました。
 「なぜ、この小さな村は優れた人物を大勢輩出しているのですか」
 すると、長老いわく、
 「この村には、こんな教えがあるんじゃ。右隣の人に親切にしてもらったら、その人にお返しをしてはならない」
と言うのです。それは妙だな、親切をしてもらったらお礼をするのは当然じゃないかと首を傾げていると、長老はこう続けました。
 「右隣の家に人に親切にされたら、反対の左隣の家に人に親切をしなさい」と。 ハッとしました。眼から鱗とはこのことです。円型ドームのアパートみたいな住まいなので、次々に親切をぐるぐると回して行けば、いつの日か回りまわって自分に還ってくるというわけです。そういう「生き方」を実践して、多くの偉人を輩出してきたのです。

「志賀内泰弘公式サイト」より抜粋

偉人と呼ばれる人たちの精神・生き方の根底に「恩送り」が根付いているのでしょう。「偉人」は生き方の結果なので、「偉人」になることを目的に生きている訳ではありません。その人たちが育つ中で常に刺激を受け、自分のお役目を果たしたくなると思えた環境が大切なのだと思います。私たちも世の中にいる親切な人の姿にほっとして、自らも他の方に親切にするようになり、結果的に多くの方がお互いさまの精神で助け合う社会になるのですね。

そして、この日一緒にいらしてくださった田村茂さん(元モスフードサービス専務)も、二宮金次郎の「たらいの水」の法則について伝え広げていらっしゃいます。こちらも恩送りと深い繋がりがある逸話ですので、これからの記事で詳しくご紹介しますね。

この恩送りの法則を伝えていらっしゃるお二方が一堂に会することも奇跡的。一期一会とはよく言ったもので、お互いさまの街ふくしまに「恩送り」を常日頃のご活動の中で伝え続けている方々が集うことの意義深さと感謝の氣持ちが感じられました。そして、お互いさまの街ふくしまが本当に「OTAGAISAMA FUKUSHIMA」として世界に広がっていく未来が見えました。

恩送りの奇跡でいつも包まれているBLTカフェ

BLTカフェは、お互いさまの街ふくしまの発祥の地として、これまでのたくさんの方をお迎えし、おいしいハンバーガーでおなかを、そしてじんわり温かくなる恩送りの話題で心を満たしてくれています。訪れる人、関わる人が和むBLTカフェで、今回はどんなストーリーが生まれるのでしょうか。

BLTカフェに初めて足を運んでくださった志賀内さん、今年の初めにお互いさまスポット巡りをしてくださった小栗さん、そして田村さんもBLTカフェのハンバーガーを楽しんでくださいました。
小栗さんと前回回ったお互いさまスポット巡りの様子は以下の記事をご覧ください。


一條店長が語るエピソード集「子どもが毎日満たされる30カ所の居場所」

BLTカフェで食事をした後は、一條りか店長のお互いさまスポットエピソードやBLTカフェの元オーナーでお互いさまチケットの考案者ハグさんのエピソードを聞かせていただくことが恒例となっています。
「お互いさまチケットはどのように生まれたのですか?」という質問に一條店長が答えてくださいました。

吉成(ハグさん)が福島市の児童養護施設で働く方の話を聞いたときに、おなかをすかせている子どもがいるということにひどく驚いた彼は、子ども食堂をやりたいと考えていたようです。でも、子ども食堂を月に一度しか行わないのであれば、残りの日々を子どもたちはおなかをすかせてしまう。そこで何ができるか考えていたときに、外国のニュースを見て、誰でも何かをおいていったり持ち帰ったりできるという仕組みを知り、さっそくBLTカフェの外にみんなの食糧庫を設置しようと思い立ったようです。そして、この仕組みが福島市に30カ所できれば、子どもたちは毎日違う場所に行っておなかをすかせることはなくなると考えました。

このお話にあるように、ハグさんはみんなの食糧庫、お互いさまチケット、子ども食堂など、さまざまな取り組みを実践し、お互いさまの街ふくしまを展開していました。たくさんのお互いさまスポットを作ろうとしていたのは、子どもたちのおなかと心が満たされるためだったのですね。

一條店長語るエピソード集「Yちゃんとハグさん」

そんな子どもの満たされた生活のために活動をしていたハグさんには、もう一つの想いがありました。それは、子どももお年寄りも自分の居場所があって「ひとりじゃないよ」と思える関係作りです。このことについて一條店長がもう一つエピソードを紹介してくれました。

一條店長のお話は臨場感がありいつも引き込まれます

みんなの食糧庫の活動を始めたときに、毎日のように遊びに来てくれるおばあちゃん「Hちゃん」がいました。ハグさんはこのHちゃんに、子ども食堂を手伝ってほしいなと心の中で思っていました。助けられるのではなくて誰かのことを助ける立場になると元氣が出るのだとハグさんは身をもって知っていたからです。東日本大震災直後の炊き出しボランティアをしているとき、料理人のハグさんは本当は自分でも料理ができるのに、わざと包丁が使えないふりをして「それなら私が作ってあげるよ」とおばちゃんたちが自主的に料理をして自らの役割を得るという状況を作ったそうです。それと同様に、みんなの食糧庫に通ってくれているHちゃんにも、自分のできることで関わってほしいなと思っていたハグさん。でもHちゃんは最初、「自分には何もできないから」とボランティアを断っていたそうです。
ある日のこと。Hちゃんが袋を持ってきて言いました。「素人のばあちゃんが作った野菜なんか食べる人いるか分からないけども。」とハグさんに渡しました。中を見ると、根っこをきれいに洗った小松菜がたくさん入っていました。ハグさんは、Hちゃんが誰かに自分の育てた小松菜を食べてほしいと思って一所懸命洗って準備してきてくれたということに感激し「俺が食うから!」ともらったそうです。ハグさんの密かな想いがかなった瞬間です。ハグさんがHちゃんのその小松菜にどれほど喜んだことか。
スタッフさんでその小松菜を小分けにしてみんなの食糧庫に入れたところ、あっという間になくなったとのこと。Hちゃんも自分が提供した小松菜がどうなったか氣になって、一時間ごとにのぞきに来ていたとか。
自分できることで他の人のお役に立てる、ということが、どれほど自分自身を嬉しくさせ、周りの人まで幸せにさせるのか、Hちゃんとハグさんが私たちに語りかけてくれます。

郵便受けに舞い込んだ幸せの葉書

恩送りで繋がった皆さんとの幸せな時間を回想してしみじみとしていた今日。この記事を書き上げようとしていたら、郵便受けに予期しない葉書が届きました。それは先日お会いした志賀内さんからのお葉書でした。先日はnoteのメッセージで、そしてお会いした翌日はメールでやりとりをさせていただいていましたが、今度は直筆の葉書です!志賀内さんについての記事を書いている日にご本人からの直筆の葉書が届くなんて、またまた奇跡です。志賀内さんの率直なメッセージに、心の一句が添えられていました。一流の方は、人との巡り合わせをこのように大切にしてくださるのかと、心から嬉しく、感謝しました。ご縁への感謝が、恩送りへの原動力になって、じわじわと私からお隣さんへ、お隣さんから世界へ広がっていきますように。

恩送りの精神が詰まった志賀内さんの著書


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