パン生地を育てるように母親のエネルギーを醸成しようペイ・フォワード記事Vol.61
前回の記事で、あいコープ主催のパレスチナについての学習会で感じたことを書きました。
https://note.com/noriko_c_o/n/nf213bb47bf07
その時に友人と隣同士で受講することができ、話を聴いた後に二人で語り合いました。そのときの話は母親のエネルギーが世界に与えるインパクトについて考える内容だったので、是非皆さんにシェアしたいと思います。
彼女は出産前、国際的な課題を解決する規模の大きなプロジェクトに携わっていました。その彼女がパレスチナの学習会に姿を現した時は、「やっぱりこういうことに興味があるよね!私と一緒!」と思ったのです。
彼女は、「育児をしていて以来、ほとんど初めてと行ってもいいくらいに初めて、自分で今回の話を聴きたい!と思って参加申し込みをした」と教えてくれました。
パレスチナの問題はどの国の人も注目していることです。ところが、母親業をしていると、出産前に世界の最前線で自分が働いて、課題を解決してきたという実感があったとしても、そういう分野へアンテナを張っていることが難しくなってきます。私も2人の子どもの育児休暇を経て復職したばかりで、子育てと仕事をした上で世界の痛みのために何か大規模なアクションを起こすことができるかというと、その余裕は正直言ってありません。
でも、復職して気付いたことがあります。それは、「母親たちは哲学の実践者であり、尊い存在だ」ということです。私たち母親は、我が子のためにどういう教育が求められるのだろう、どういう食事がいいのだろう、どういう接し方がいいのだろう、と日々考え抜き、学び、そしてそれを実践しようとしています。私と友人は、子どもの尊厳を尊重した自由への教育であるシュタイナー教育を実践している場に子どもたちを通わせていました。シュタイナーの哲学は奥が深く、その良さを納得していたとしても、実践に移すとなるととたんに難しさを感じます。それでも、我が子のため、という一心で哲学を実行しようというのが親心です。分かっていてもできない、うまくいかない、どうしたらいいのか分からない、でも諦めるわけにはいかない。そういう氣持ちで日々を精一杯過ごしているのが、愛する我が子を育てる母親なのです。
このことを友人に伝えると、「そうだね、だから子育てに専念するためにこういう世界の問題の情報をいれないようにして、世界のために何かしたいという自分の氣持ちを眠らせていたのかも知れない。」と言っていました。
私は思います。母親は、自分の持てる分のエネルギーを、我が子という、次世代を担う人間を育てるために費やしているのだと。だから私は、我が子のために無我夢中で子育てをする母親がとても偉大な存在だと思っています。
彼女はこうも言っていました。「子育てする中で私たちが学んでいることはとても大きな物だよね。精神的な学びは、特にこれまで仕事をしていた生活の中では得られなかったものだし。」
そう考えると、母親はそれまで自分がしてきたことを眠らせているというよりも、心の奥底で醸成させているのだと思うのです。自分を選んでお空からやってきた、子どもの形をした「未来」を慈しむ。誰にも取って代われない、私だけの役割を愛しみながら果たす。そうすることで母親が母親になる前の経験は、パンの生地のように、寝かせて、じっくり醗酵させることで、ぐんぐんふくらんでいきます。これまでの経験、子育てをしていることで得られる経験が十分なじんだときこそ、次のステージの幕開けです。
こんな風に、人々はじゅんぐりじゅんぐり、自分の出番が来るまでにエネルギーを蓄えて備えているのではないでしょうか。今朝、通勤で使っている駅から職場まで歩きながら、自然の音に耳を傾けていました。2ヶ月ほど前は、様々な種類の蝉の声が桜の木の上から降ってきていたというのに、今は涼しげで軽やかな鈴虫の声が跳ね回っています。それに気がついたときに、「人間もずっと最前線で活躍するわけではない。自然界の動植物のように、自分が前に出るべき瞬間を逃さず、そしてまた次のものたちに出番を譲るのだ。」という一つの真理を自然から教わったのでした。
人間も同じ。母親も同じ。世界の問題解決のために分かりやすく何か行動に移していなくても大丈夫。だって、私たちは手元から未来を創っているんだから。こんな風に自分への受容がなされたときに、今前線で活動してくれている人への感謝の念や、自分が子育てに専念できていることへの感動が大きくなってくる氣がしてなりません。