最愛の人を亡くすということ
最愛の祖母が亡くなった
大好きな祖母が2023年2月25日(土)7時58分に95歳10ヶ月で永眠しました。
5年半前から娘と祖母との3人暮らし。
きっとそろそろだ、どんなに長くてもこの週末だ。
それはもうはっきりと分かっていた。
いろいろな予定を少しずつ変更させていただいていた。
でもその日は、朝の5時55分~スタートする経営者コミュニティの司会の日。
交代してもらおうかな?と思っていたけれど、スタートのタイミングではまだ息をしていた。
1時間半だから大丈夫だろうと司会をしていたら・・・
1時間半後に見に行った時は、1時間半前に見たそのままの姿で永遠の眠りについていた。
何度も何度も確かめた。
本当に息をしていないのを確かめて病院の先生へ連絡した。
でもその瞬間は、自分が想像していたような時間ではなかった。
祖母が息をしていないのを発見したら・・・
動揺して混乱してしまうんじゃないか。
耐えられるだろうか。
そんな風にずっと思っていた。
必ずいつか訪れるその瞬間を想像しては、耐えられないと思い、涙が出ることもあった。
でも、実際に訪れたその瞬間は。
とても穏やかで、とてもやさしくて、とてもゆっくりとした時間だった。
祖母が亡くなる前日
祖母が亡くなる前日の夜。
明らかに下顎呼吸に変わっていた。
老衰で亡くなる人の状況をさんざん調べていた私は、きっとこれが最後の呼吸になるんだろうと、なんとなく気付いていた。
寝る前に娘に、「おばあちゃんに挨拶した方が良いよ。」と伝えると娘から、「明日の朝起きたら挨拶するから。」という返事。
「いや、明日だともう遅いと思う。今、会っておいた方が良い。」と言って娘を祖母の部屋に連れて行った。
2人ともなんとなく、明日だろうという覚悟が出来た時間だった。
私を救ってくれた言葉
祖母が亡くなる2日前。
まだ生きたいと思っている祖母の気持ちを知っていた私は、そんな祖母の願いを叶えてあげられることが出来ないことに無力さを感じていた。
せめて、何も分からずに逝かせてあげたい。
寂しい気持ちももちろんあったけど、悔しい気持ちが大きくて耐え切れずにその気持ちをある人に打ち明けた。
「ただただ寂しいよ。
でも何よりも、まだ生きたいと認識してしまっていることが辛い。」
そんな泣き言を伝えた私にその人が言ってくれたことが、私を救ってくれた。
「おばあちゃんがまだ生きたいと思っているのは、今が幸せだからだよ。それで良いんだよ。おばあちゃんは幸せだったと思うよ。早くあの世に行きたいって言われる方が辛くない?」
確かにそうだ。
3人で暮らしている間、おばあちゃんはいつも幸せそうだった。
いつも笑っていた。
いつも穏やかだった。
いつも一生懸命に生きようとしていた。
きっと3人の暮らしが辛かったら・・・
そんな風には思わなかったと思う。
その言葉が、最期の瞬間を穏やかにしてくれたんだと思う。
そう、私もただただ幸せだったから。
ただただ幸せな時間
祖母と暮らして5年半。
最初は元気だった祖母も90歳を超えて少しずついろいろなことが出来なくなってきていた。
みんなには大変だね、よくやってるね、偉いねとずっと言われていた。
確かに、それなりに大変なこともあった。
挫けそうになったこともあった。
でも、お世話をやめたいと思ったことは一度もなかった。
そんなことよりも、自分に限界がきて、施設に預けるしかなくなってしまったらどうしよう・・・という不安の方が大きかった。
なぜなら。
子どもの頃からずっとお世話になってきた祖母。
祖母からはいつも穏やかな幸せをもらっていた。
だから、自分が出来ることで恩返しをしたかった。
祖母から幸せをもらったように、私も祖母に幸せを感じて欲しかった。
祖母の最期の時間は私がお世話をしたい。
それがずっと私の夢だった。
けど、叶うことなんてないと思っていた。
そんな状況になると思ってもいなかった。
でも、めぐりめぐり、いろんな状況の変化の中で、祖母の最期の時間を一緒に過ごす権利を得ることが出来た。
私はただただ嬉しかった。ただただ幸せだった。
祖母の為に自分がしてあげられることがあることが幸せだった。
叶わないと思っていた夢が叶っていることが幸せだった。
毎日のように祖母の優しくて穏やかな笑顔を見ることが幸せだった。
でも今はもう。
祖母に自分がしてあげることがなくなってしまったことが何よりも寂しい。
ずっとずっと、祖母のお世話をしながら生きていきたかった。
祖母を亡くした後の役割
祖母は強くて優しくて生命力のある、本当にかっこいい憧れの女性でした。
でも、祖母が亡くなったということは、これからの私の役割はきっと別のところにあるんだということだと思っています。
この5年半、私は全力で祖母のサポートをしてきた。
全部は無理だったけど、祖母の願いはほとんど叶えてあげることは出来たと思う。
何よりも、最期まで自宅にいたいという想いを叶えてあげることができた。
葬儀も自宅で行うことにした。
私はプロじゃないから、至らないこともたくさんあったと思う。
でも、出来るサポートは全てしてきた。
全てが祖母中心の生活だった。
そんな祖母との生活が終わり、もう祖母にしてあげられることはない。
というより、「もう他のことで力を出しなさい。もういいよ。」と祖母が言ってくれているようにも感じる。
これからは、私と娘の本当に2人きりの生活が始まる。
娘も4月からは大学生で新しい生活になる。
お互いに新しいチャレンジ。
祖母が走り出させてくれた新しい未来!!!
最愛の娘と、サポートしてくれるメンバーとママ秘書®メンバーのみんなと一緒に全力で進んでいこうと思います!
最愛の人を亡くすということは
新しい未来へのスタートなんだと。
今はそんな風に思っています。
祖母との日々については改めてアップしていきたいと思います。
長文にお付き合いいただきありがとうございました!