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何故にDuolingoは、こうまで私を魅了するのか

最近noteがおざなりなのにも訳がある。
Duolingo熱、再燃。


出合いは2020年3月半ば。COVID-19によるロックダウンが始まり、あり余る不可分時間を如何に過ごそうかと考えていた矢先のことだった。
まずは、どんなに頑張っても覚えられない中国語を選択してみたら。

あっさり250日で当時の全ステージクリア。その後、残念ながらマレーシアの国語であるマレー語はないため、似通ったインドネシア語を始め450日、1年以上経過した。

あまりにも語彙を知らなさすぎるので、のんびり1年以上かけているけどそろそろ、全ステージクリア目前。にしても、とハタと立ち止まる。


なんでここまで続けられんやろ?


「何故Duolingoが語学学習にいいのか(もしくは悪いのか)」といった議論は散々語られており目新しい観点はないんだけれども、私個人的にツボったところを列挙してみる。





連続記録更新中

自分の性癖として、「連続xx日達成!」みたいな値にからっきし弱い。しかも今は700日を超えているので、「ここで記録を途切れさせる訳には…!」と更に燃えてしまう。まんまとDuolingoの術中にハマっているとしか考えられない。苦笑
在宅勤務で集中力が続くようスマホの通知はほとんど切っているのだが、Duolingoだけは通知がなくてもいつも同じ時間、だいたい仕事終わって夜7時や8時から自動的に始めてしまうくらい、習慣付いてしまった。



世界中の人たち(含む日本)と競い合う

DuolingoにはLeague, リーグという仕掛けがある。ランダムに振り分けられたリーグの中で上位5人が次のステータスへ上がることができる。ステータスは銅から始まって次は銀、金、サファイア、ルビー、・・・黒曜石、ダイアモンドといった具合だ。
まずはじめは、どんどんポイント稼げば瞬く間に上位5人に食い込めて、ステータスを上げていけることにハマった。最高位であるダイアモンドまで行ってしまうと今度は、下位5人が下のステータスへ落とされるため気を抜けない。
(いやまぁ抜いてもいいんやけども)

ダイアモンドレベルにもなると、めちゃめちゃやり込んでいる猛者が現れ、プロフィール(もちろんDuolingoに特化した)を眺めているのもおもしろい。例えば、

1日当たりの獲得ポイントが千単位の人。
(いや私、せいぜい百単位です…)

全ポイントが100万超えているような人。
(いったいどうやってそこまでいけるんでしょうか?)

学習できるほぼ全ての言語を網羅してそうな人。
(いったいあなたは何語を習得したいのでしょうか?)

連続学習継続日数が1000日を超えているような人。
(まもなく3年…)

2020年以降Joinした人が多い中、2013年からJoinしている人。
(まもなく10年…)

こういうのも、頑張って続けよう!という気持ちになる。
この頃は名前が日本語(ひらがな・カタカナ・漢字)の人、”Noriko”のようにアルファベットだけど明らかに日本人名と思われる人が増えてきた。前者は必ずしも日本人とは限らない。日本語学習者も一定数いるので。でも後者は、「おー我らが日本人も頑張ってんな?!」と謎の上から目線。苦笑



「わかる」ことの楽しさ

最後は平凡だけど、これに尽きるだろう。

結局Duolingoは、逐語訳なので実用向けじゃないなとは、薄々感じるところではある。あくまでも語学学習の入り口、とっかかりをつくるのには非常によくできていると思う。

例を挙げれば、

英語:I like apples.
中国語:我喜欢苹果。
インドネシア語:Saya suka apel.

なんて文が、手を変え品を変え何度も何度も、記憶に定着するよう繰返し繰返し出題される。
簡単なうちは、「りんご」が”apple””苹果””apel”であることが問われる。
その後穴埋め問題になったり、文章の並べ替え問題になったり。
流れて来る英語/中国語/インドネシア語を聞いて、書取りをしたり。
最終形態は、英訳/中国語訳/インドネシア語訳、つまり「私はりんごが好きです」から”I like apples.””我喜欢苹果。””Saya suka apel."を導けるようにする。もしくは逆もあり。

それがスペルミスもなくできるようになると、やっぱり嬉しい。
で、ここから、単語のバリエーションが増えていく。

「りんご」が「バナナ」、”banana””香蕉””pisang”になったり。
「好き」が「欲しい」、”want””要””mau”になったり。
主語も「私」から「あなた」、”you””你””kamu”に。

少しずつわかることが増えていくのは楽しいし、更にマレーシアは、中国語、インドネシア語に近いマレー語がそこここに溢れている。覚えたての言葉を、すぐに使える機会がすぐそばにあるってこと。有難や~


その一例、自家引用をお許しくだされ。

ある日、Mee Siam(所謂ビーフンですね)を頼んだときのこと。マレー語だったので詳細はわからないけれど、バナナをオマケでつけてくれました。
前日ちょうど、Duolingoで”Pisang(インドネシア語・マレー語でバナナのこと)”を覚えたてだったので嬉しくって、「Pisang!Pisang!」と復唱しまくりました笑

覚えたことを即実践できる環境の素晴らしさ。もう最近、こういう場所では
「Satu Nasi Lemak~(ナシレマッひとつくださーい)」
「Terima Kasih~~(ありがとー)」
ってマレー語を話すようにしてます笑




私がDuolingoに再び、激ハマりしている理由をつらつら述べてみた。
特に1点目は私個人の性格によるものが大きいし、3点目に至っては今住む環境にモロに影響を受けていることでもあり、万人受けはしないんだろうな。正直。
いやしかし、2点目、世界中の人たちと繋がれるとか、3点目でも「わからないことが、わかる」愉悦は、語学学習の一般的な醍醐味であると言いたい。

たかが言語、されど言語?

こんなツールを使いこなさなくて、何が21世紀人か。

私は単に、言語的に全地球を支配したいだけなのかも知れない。
AI、通訳アプリよりもその先へ。




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