年の初め ~その後~
今年も3日になった。
あれから電話はないが、午後になったらあるかもしれない。
おおまかなことは理解できた。
わたしは別にメンタルやスピ系の専門家でもないが。
親の性格を考慮すると・・・思い込み、過度な心配不安からくるものかなと推察する。
根っこの原因は「ムスコへの心配」だろう。
「実際来ていないのに、ムスコ夫婦の会話が聞こえる」現象からもわかる。
ムスコ夫婦の声が聞こえなくなると、知らないふたりの霊が出現。
霊の話に出てくるキーワードは・・・〇〇寺、供養、交通事故。
交通事故が起きた場所は、親が住んでいる市内の公園と〇〇寺の近所である。
場所に関していえば、やたら「関西」をアピールしてくるらしい。
(〇〇寺の大本山は東京だが、関西にもある)
〇〇寺と供養は結び付く。
供養金額は千円と言っているらしい。
霊はふたりだから一件500円か。
〇〇寺は霊の供養は一件500円らしいから、ここはつじつまが合う。
さて、、、「実際来ていないのに、ムスコ夫婦の会話が聞こえる」現象との共通点はというと。
〇〇寺だ。
ムスコ夫婦は〇〇寺でなく、カトリック教会に毎週通っている。
〇〇寺に行きたい、と言うはずはない。
最初の現象を聞いたとき、「ああ、それはお母さんの願望だな」
カトリック教会より〇〇寺に行くほうがいい。
心のどこかにそうした思いがあるんだろう。
でもその願いは叶わない。
ムスコ夫婦への願いは叶わない・・・と諦めよう。
諦めようとしても諦められない。
その結果、見知らぬふたりが現れたのである。
「大変なことが起こってるの」
「〇〇たち(ムスコ夫婦)が現れた原因が分かった」
「自分はこの見知らぬふたりに憑かれているからだ」
「このふたりを供養してやらないといけない」
原因と結果が逆だろうと思う。
憑かれているから、ではなくて、自分の願望が強すぎるからだ。
その願望には強い心配不安が付きまとっている。
「〇〇が自分より先にいったらどうしよう」
昨年末に放映されていた『大奥』を思い出す。
和宮のおたあさんは、京に残したムスコが可愛い。
からだも弱いし、自分が傍にいてやらなければと思うだけでなく
口にも出してしまう。「あの子が夢枕に立つのよ。どうか京に帰らせて」と懇願する。
「思い込み、過度の心配不安」、そしていまだに子離れできていないこと。
それらが積み重なり、親自身が起こしている現象だと、わたしは解釈している。
「お母さんが見聞きしたことを箇条書きでメモかノートにまとめてみて」
「几帳面なお母さんだからできると思うよ」
「その内容をそのままわたしに話してください」
「(関西の)〇〇寺にそのまま伝えるから」
とりあえずこういう手を出してみた。