流行りの「繊細さん」にはなりたくなかった私。
少し前から、「繊細さん」という言葉が言われるようになっていますよね。
HSPとか、エンパスとか、
スピリチュアルでは、インディゴチルドレンとか、クリスタルチルドレンとか、レインボーチルドレンとかも少し関連しているかなと思います。
調べると、特徴はそれぞれ違っていますが、
12、3年以上前、
自分の中の息苦しさからずっと何かを模索している時そんな言葉たちに出会って、
インディゴチルドレンの性質や抱えていた気持ちが、ほとんど当てはまっていた当時の私は、
衝撃と共に、こんな見方があるんだ…と、
認めてもらえたような、ホッとした気持ちで涙が出たのを覚えています。
だから、この「繊細さん」という言葉が広がったことで、
とてもホッとしたり、自分が生きるのが楽になった方も多いのではないかな〜と思っています。
良い世の中になってきてますよね😌✨
でもその時の私は…
世の中まだまだそんな大きな声で言える感じではなかったので、
この世の中でうまく生きていけないことの言い訳になってしまう気がして、
自分の胸の中にそっとしまって、
誰にも言わなかったのを覚えています。
それから時を経て、
いつしかそういう名称に囚われることではないな、と思うようになって、
自分の性質を認めながらも、この一般的な世の中で、どうちゃんと生きていくか、
ちゃんと働いて、稼いで、生きていく、
周りの人達と同じように、できるように…
できる人になりたくて、
がんばってしまいました…
(カラダ壊すまで…)
そして、そんな色々を超えて、
改めて自分に優しく、自分を認めて過ごし始めたのですが、
がんばってしまう思考のクセは、
とても当たり前に自分に染み込んでいて、
良いと思って前向きにがんばろうとしていたことが、結局、自分を否定していた😨ということ、
そして、
「自分を認める」とか「自分に優しくする」とかって、
とっても簡単でシンプルだった、
というお話を今日は書きたいなと思います🍀
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2020年始め、勤めていた会社が倒産してから、しばらくカラダを休めて過ごしていたのですが、
ゆっくり過ごすうちに、自分の色々な感覚が戻ってきたな…という感触と同時に、
体調面ではデトックスするものを飲んでいたことでアトピーがひどくなり、
何もできない状態に。
そうしたら、
【動けない、働けない】→【生きていけない】
という恐怖から、
昔に解決したと思っていたトラウマ的な発作が出るようになりました。
それは「別れ」や「死んでもう会えない」「声が届かない」「分からない」みたいなキーワードにスイッチが押される感じで、
そのようなドラマを見たり、話を聞いたりすると反応してしまって、
息が苦しくて、部屋のドアや窓を開け放さないと居ても立っても居られない感覚、
宇宙の真ん中で1人きり、真空状態で大声で叫んでも、誰にも声が届かない、というような恐怖の感覚で、
気がおかしくなりそうで、怖くて叫びたくなったり、気が遠くなるような感じを毎日味わうようになってしまいました。
夜中でも誰かに電話をして繋がることをしないと息が苦しくてパニック状態になりそうで、
友達やメンター的な方達にお願いしながら、
どうしたら良いのか、本当に心身ともに、
疲弊してしまった時期でした。
(今も書いていると少しヤバそうになりますね…🥲)
そんな状態が、ある気づきから回復するのですが、(これはまた違う回に書きますね🙏)
回復してきて少し日常を取り戻してきた時、
映画「竜とそばかすの姫」に惹かれて、一人で観に行きました。
映像も内容もワクワクしながら観に行ったのですが、
途中、ストーリーの中で、主人公の女の子が、虐待されている兄弟を助けに行くために電車?に乗りながら、お父さんの手紙か何かを読むシーンがあったのですが、
そのお父さんの言葉の中に、お母さんと死に別れていることの内容が入っていて、
そのお父さんの手紙の内容が流れてきた瞬間から、
ソワソワしてきてしまい、
息苦しくなってきてしまい、席に座っていられなくなってきて、、
座っている方の前を横切ってでも、急いで映画館の外へ出た方がいいのか、、
でも出たあと、そのあとのことも気になって、分からないことが余計に苦しくなってしまうような気もして、
「発作みたいになってきちゃった、どうしよう!」
となりました😭
その時、アトピーの炎症を冷やすために、小さい保冷剤をカバンに入れていたのですが、
ふと、それに手が触れた時に「ヒヤッ」と少し我にかえれた感じになったので、
それを手に持って、意識を落ち着かせて、
そうしている間にそのシーンが終わり、
どうにか最後まで観ることができた、ということがありました。
外にいて、そんな発作的なものが出るなんて生まれて初めてで、
自分でもショックというか、
パニック障害の方の気持ちが分かる気がしました🥲
家に戻ってから、あまりにもそれが自分の中で衝撃で、
お世話になっていたヒーラーさんに連絡をして話をしました。
「だいぶ出なくなっていたのに、まさか映画館で出てしまうなんて…
もっと〜していけば、出なくなってくるかな〜…。なんか病的になってきちゃった感じがして…」と話すと、その方は、
「うーん、、でもね、それが norikoさんなんじゃないかと思うんだよね。
病気とかじゃなくて、その繊細な部分があるのがnorikoさんなんだと思うよ。
それを見ないようにしてきて、もうそれが限界なんじゃないかな、自分らしくなってきてるから、それが出てるんじゃないかな?」と…。
『ガーーーーーーーン❗️❗️❗️』
マジかーーー😵
そういうことなの⁉️そういうことか😭
それが私なの?!
私は、ずっとずっと苦しさをどうにかしたくて、
20代の頃からカウンセリングやセラピー、自分でも色々やってきて、
どんどん生きやすくはなってきて、変わってきたから、
これからも、何か問題と思えることがあったら、
がんばって、直そう、変えよう、と
もう無意識レベルで思考していました。
でもそれはいつしか、(最初から)
「今の自分ではダメだ」
「みんなと同じようにならないと、普通にならないと」
と思っていたんだ、
ということに気づかされました。。
前向きにチャレンジして克服していくことなんだ、
と思っていたことは、
自分を否定して、それを強化していることだった〜😭
のです😱
そして、ぶっちゃけ、、
流行りの「繊細さん」になりたくなかった〜笑
「私、繊細さんだからー」とか、言う人になりたくなかったんです😅
(実際、言っている人に会ったことはないのだけれど笑)
映画みて、発作がでちゃう自分、
厳しくて、キツい人は怖くて辛くなっちゃう自分、
楽しくてワクワクすることには、瞬発的にエネルギー出て行動できるのに、
すぐに疲れて一人で休む時間が必要な自分、
でも一人だと寂しさや孤独感で、また発作出そうになってしまう自分、、
もう色々、治さなくていいんだ…
って思えた時、涙が出ました。。
そして、それに気付いてから、
ほぼほぼ、(あやしいときはかあるけど)
発作は出ないでいます😌🙏🌿🌿🌿🌿
自分を認めてあげるってこういうことだったんですね…🥹✨
まずは、
【どんな自分でもそのままでいい】
そこに立つことが、幸せ感じられることだったんだなぁ。
長くなりました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます💖