岳物語

カヌーイストの方が亡くなられたと昨日ニュースで知った。あ、確か椎名誠さんと仲が良かった記憶もある…。久々椎名誠さんを調べた。そっちかよと自分ツッコミ。どうやら椎名誠さん御歳77歳くらい。自分の親父と同じ歳じゃん。時の流れを感じる。

椎名誠さんを知ったのは、中学生の頃だったか国語の教科書に岳物語という本の一部が載っていて、国語の教科書あるあるで、授業ではやらなかった。国語の教科書は結構好きで取り敢えず受け取ったら全て読んでいた。


父親と息子の日常の一部を書いてる内容だったけど、兎に角その関係性が羨ましかった。息子の頭を丸刈りにするシーンだった気がする。

当時父親とは仲が悪いなんてものじゃなくて、人格全否定・存在無視。良い成績を取らなければ存在してはいけない。頭を良く叩かれていたけれど、自分がバカなのは父親に良く叩かれたから脳細胞が破壊されてしまったからなのだと思う。


いいなあ。


読んで思った。それから岳物語の一部分しか載っていなかったから、本を図書館で探して借りて全て読んだ。それから椎名誠さんの本を読み漁った。


こんな人が自分の父親だったら、楽しいだろうなあ…。羨ましくて仕方なかった。父親が入れ替わる事が出来たら、どんなに良かっただろうか。


椎名誠さんを自分の理想の父親に重ねて、椎名誠さんの本が出れば買ったり図書館で借りては読んだ。モンゴルに行った記憶を映画にしたのも読んだし。スーホの白い馬をベースにした内容だったっけ。過去の記憶って、兎に角断片的で。

嫌な記憶と共に殆ど抹消されているけど、たまに思い出す。甦ってくる。


昔から気になる作家さんが出来ると、その人の作品ではなくてエッセイばかに読むようになる。椎名誠さんはエッセイの方がどちらかと言うと多くて臨場感があって面白かった。こんな日常生きてる人が居るんだと新しい世界を知れた。

さらば国分寺書店のオババとかも最高に好きだったなあ。地元近くに椎名誠さんが存在するんだという事もワクワクする要因の一つではあったかも知れない。


小説を書き出してからか、父親に重ねているという所に気づいてからは、逆に読むのをやめたのかも知れない。


理想を押し付けても仕方ない。現実・父親の代わりなんかなれはしない。夢を見る事の虚しさとか。現実、家に居るのは頑固で怖いこの人でしかない絶望感。逃げ道にはしたくなかった。辛くても変わらないのだもの。きらきらした理想の父親が目の前にいても代わりはしないなら絶望するしかないじゃないか。


あれから随分時間が流れたんだなあ。

理想の父親像とか押し付けられて父親も辛かったかも知れない。まあ叩くのは良くないよ。うん。

大人になって、色んな事が分かってきて。

でもあの頃しんどかった自分を慰めたいよ。

まあもう大分昇華出来てる気はする。

椎名誠さんを自分の父親と重ねたり比較したりしない。もう一度読んで見ようかなあ。今度は父親とではなく自分の生き方と比べられるかも知れない。椎名誠さんそのものの物語として楽しめるかも知れない。前も楽しめていたかも知れないけど、前以上に。







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