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英語を話す私って、みんなよりも日本人じゃないのかな

この前カウンセリングに行ってきた。
そこで自分から出た言葉について振り返り。

大学院進学のためにロンドンに引っ越してからもうそろそろ3ヶ月ほど経ちますが、なかなかいい感じに適応してきました。

むしろ、関東にいた頃より精神的に健康になった気がしました。
ただ、ロンドンで日本人の友人と何度か会った時に何か心に毎回違和感が残ることがあって、

いろいろ理由はありそうだけど、カウンセリングの中で主に話したのは、
バイリンガルとしての自分のアイデンティティについて。

何があったかというと、
日本人同士の会話で、必ずと言っていいほど聞かれる質問は、
「のりかは英語に問題がなさそうだけど、帰国子女なの?」と。

結論私は帰国子女でもなく、ゴリゴリ勉強したのと、
英語で話す環境にいる年数がそろそろ6年目になるということで、日常的に英語を話します。

英語を話すってことは、当然アイデンティティとして英語が話されている国の文化も一緒にくっついて来るわけで、振る舞いとか見た目が欧米風になったりするんですよね、多少。

そういう私を見て、日本から来た友人たちはのりかはちょっと変わってる人だからね、いつも自信があるし、英語もペラペラだし、

と褒め言葉かどうかわからない言葉をくれたんです。

英語がメインの生活になってよく感じるのは、英語を話すことで、
のりかは国際教養学部の人だからね〜、とか、

みんなから「英語を話す異文化の人」と判定されて、別のカテゴリーに自動に仕分けされるこの感じ?

が非常に寂しくて。

同郷から来ている人たちと話せば話すほど、なんだか「あなたは違うよね」と言われてる気がしてどんどん寂しくなるという期間がありました。

だから、
極力日本人グループの中でも発言を控えて和を乱さないようにしよう、とか
意見に全然賛同できないけど、

自分らしさを出しすぎるとまた「のりかはやっぱりちょっと違うね」と言われるから頷いて黙っていようとか
考えるようになっていきました。

一時期は、同郷の集まりに行くのがなんか苦しくて、
またどうせ自分らしさを認めてもらえないんじゃないかと
考えがぐるぐる回って

その時のカウンセラーから、
「どんな言葉を話してもあなたは日本人であることは変わらないし、『自分らしさを出しすぎる』ことなんてないよ」と
「自分らしくあることが評価されないコミュニティの方が問題視されるべきじゃないか?」と

冗談抜きで、今まで生きてきて初めて
「自分らしく」あることが認められた
気がして、
なんかよくわからないけど涙が出るほど嬉しかった。

違っていいんだよ、と言われたことでこんなにも救われるのか、
と心がめちゃくちゃ軽くなりました。

これからもカウンセリングは続くんですが、
今まで気づいていなかっただけで、実は

「自分らしさ」を表現することに対してこんなに怖いと思っていたんだ、
と気付かされました。

子供達に「自分らしく」生きようねとか言っている自分は
彼らにものすごく難しい課題をぶん投げてたんだなとも気づきました笑

自分らしさをどうやってうまく表現していくか、修行は続きます!


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