ディオスクロイの復讐者適正について妄想する

※かなり偏った99%の願望と1%妄想です。解釈の域に達していません。ただ妄想をつらつらと書いているだけの読み物(15000文字)です。※


ディオスクロイのクラススキル多すぎてそれだけでもう大好きです。こんにちは。
今回はディオスクロイの復讐者適正について、大した根拠もなく願望と興奮だけで勝手に妄想を広げていく独り言になります。変な妄想が出てきてもオールオッケーな方、暇だからコイツの言い分でも読み流してやるか…程度で読んでいただければと思います。

※書いている人間はそこまでFate作品に詳しくないため、間違いやら勘違いも含まれている可能性があります。すべてすべて私の脳内で発生した妄想を書き留めただけのものと思って読んでいただければ幸いです。※

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はじめに、共通事項として、今回ディオスクロイの復讐者適正について妄想するための土台、すなわち私が持っている「アヴェンジャー」というクラスに対する基本的な解釈を説明させてもらいます。(これは前置きですが大事です…でもめちゃくちゃ長いですよ!)
「アヴェンジャー」というクラス、今もなお謎に包まれているクラスのひとつですね。

2020年4月。私は、Fate/GrandOrder2部5章オリュンポスの物語を三日三晩くり返し読み直し、気が狂いそうになりながらディオスクロイのセリフを手元にあったノートに一言一句間違えることなく写経、そして赤線を引いて彼らのセリフが発せられた状況や背景を妄想するという、異常者一歩手前ぐらいのところにいました(こんな怪文書を生成している時点で今も4月も大して変わらないだろうというツッコミは受け付けません。これでもあの頃よりは落ち着いたんじゃないかと思っているんです。)。シャープペンシルを持つのが人生においてひさしぶりすぎて、ペンを持つのが恐怖に感じる程度には手が痛くなりました。
そののち、カストロの復讐者適正に対してとある「願望」を抱いた私は家にある数少ないFate関連の書籍でアヴェンジャーについて書いてありそうなものを探したのですが、復讐者のクラススキルについてはよく分かりませんでした。
いや本当に意味が分からなかったんです。そもそもFate作品に対してあまり知識がないのもあるのかもしれないんですが…「人は多くを忘れやすい生き物だが、復讐者は決してそれを忘れない」とかクラススキルの説明を書かれても私にはチンプンカンプンなんですよ。「大抵の乗り物を乗りこなすことができるが竜種は無理」みたいにもっと分かりやすく説明してください。ネットサーフィンもしてアヴェンジャーに関連する考察を読み漁りながら、私は苦悶していました。
そうして出た私の結論はこうです。

「アヴェンジャー」というクラスにはまだ制作側が隠しておきたい情報がある

(アヴェンジャーの考察をしているように見えますが、ディオスクロイのことを考えています。)
これはこれでよいです。Fateシリーズは奥が深すぎて私の手に負えません。開示された情報の奇怪さに驚いて悶えるだけの身分でいいんです。私は。
ただ、「復讐者」について何もわからないとなると、ディオスクロイについても何もわからないことになってしまいます。これはだめです。ディオスクロイについてもっと理解を深めたいのに、その前段階、「復讐者」というクラスにそれを阻まれるなんて。そんなの許せない。自由を求めて私の心の中のエレン・イェーガーが吠えました。

…はい。
紆余曲折を経て私が得た解釈のなかで今回利用する説を端的に言うと、こうなります。

「復讐者(アヴェンジャー)は、聖杯への願いが固定されている」

他のアヴェンジャーがマイルームで聖杯に人類への復讐を謳っているかというとそういうわけではないのでこれはあんまり根拠にはならない…のですが、ここは大目に見ていただきたいです(この時点でこの文章がいかに願望まるだしかお分かりですね?)。
ただ、それなりに理解するところあってこの説を自分の解釈にとり入れましたので、軽く説明します。

聖杯戦争において、他のクラスのサーヴァントは、召喚された土地での経験や記憶により、聖杯への願いがブレたり変化することがあります。ですが、アヴェンジャーのクラスのサーヴァントにはそれがない。
これが「アヴェンジャーは聖杯への願いが固定されている」という説の核になります。復讐者となった時点で、「復讐の成就」がただ一つの望みとなるのでは、ということです。

復讐心を抱くのが先か、復讐者のクラススキルによって在り方を固定されるのが先か…というのは、今は考えません。考えすぎると頭がパーになるので。
例によってまた新宿を引き合いに出しますが、復讐心に終わりがないという時点で、アヴェンジャーというクラスのサーヴァントはやはり、どこか他のクラスのサーヴァントとは違うような印象を受けます。復讐を果たしたとしてもなおその恩讐の炎に灼かれる…というのは、本人の意思に反して「復讐者」の在り方を定義するクラススキルに踊らされているよう部分があるようにも見えますし。つまりこれは、「願いが叶っていようがいまいが、アヴェンジャーである彼らの目指すところは常にひとつ」と言っているのも同じですね。彼らが聖杯に頼りたいかそうでないかに関わらず、仮に聖杯戦争にアヴェンジャーが勝利したとすればそのサーヴァントが聖杯に願うのは「復讐の成就」以外に選び得ない。そういう説です。
「アヴェンジャーは聖杯への願いが固定されている」
大事なことかもしれないので3回言いました。

これにはある考察者さんの動画が絡んできます。
前編・中編・後編に分かれていて全部見ると長いのですが、分かりやすくて鳥肌が立つタイプの動画なので時間つぶしに見るのはかなりオススメです。この中に、「アヴェンジャーは聖杯への願いが固定されている」という説もこの方なりに根拠をもって説明されています。気になる方は参考までに。

《Fate考察序》アヴェンジャークラススキル考察 改 『忘却補正編』( https://www.nicovideo.jp/watch/sm32941105 )
《Fate考察破》アヴェンジャークラススキル考察 改 『復讐者編』( https://www.nicovideo.jp/watch/sm32996872
《Fate考察急》アヴェンジャークラススキル考察 改 『自己回復(魔力)編』( https://www.nicovideo.jp/watch/sm33073282 )

視聴の際にご注意いただきたいのですが、この考察は第三次聖杯戦争の聖杯の汚染要因に関して従来と一線を画した考察となっており、異端と称されても仕方のない類の考察なので人を選ぶ内容です。そこをご了承いただいた上、ご自身の判断での視聴をお願いします。
(私は話が分かりやすいひとにすぐほだされるのでこの説はすごくためになるなぁと思いました…。他の考察動画も面白かったです。)

とにかく、この「復讐者はそのクラスの特性上、スキルによって(聖杯への)願いが固定されている」という観点から、ディオスクロイ・カストロの抱く復讐心について穿った解釈を超えて妄想を繰り広げてゆきます。


前置き(?)が長くなりましたが、今回はとにかく、ディオスクロイのマイルームボイスからその復讐心の源泉を妄想したり異聞帯のディオスクロイが復讐心を抱いた経緯を妄想して発狂していく、妄想と脱線を繰り返す爆盛独り言セットになります。解釈の域に達していない妄想の墓場です!


-----ここから本文!?-----


プロフィールや本人の語るところによれば、ディオスクロイ・カストロはその復讐心の源泉を「人によって零落させられたこと」としています。これはゴルゴーンやSイシュタルにも共通していることで、「零落への怒り」を抱く存在は復讐者の適正を持つことが名言されています。

ディオスクロイのマイルームボイスは全てが魅力的ですね。私も、どのボイスも大好きです。その中でも特に好きなボイス、5本の指に入るボイスはどれかと問われれば指の本数を増やす方が早いくらいには全部好きです。
はい。というわけで、ディオスクロイの「聖杯について」のボイスに着目してみます。
「え、『嫌いなもの』ボイスでカストロが「人間人間人間…!!!」と憎悪たっぷりに叫んでいるのは考慮しないんですか?」と思った方。はい、その通りです。このボイスは「零落させられたから、人間が憎い」という意味を持っているものの、「じゃあなんで零落させられたことが復讐心のもとになったの?」ということを考えるには情報が足りません。なので、先ほどお話した「アヴェンジャーは聖杯への願いが固定されている」ということと、ディオスクロイがマイルームでおしゃべりしてくれる「聖杯について」のお言葉を強引に関連付けて解釈を通り越した妄想を爆裂させていきます。覚悟はできましたね?
察しのいい方はこの先の展開にお気づきでしょうが、まず、ディオスクロイの「聖杯について」のボイスの内容を確認しましょう。

「聖杯に願うことなどない」
「ありませんね」
「だが、酒盃としては悪くなさそうだ」
「ああ…それは、そうですね」

これだけでは何の変哲もない平和な神霊の会話ですね。私が注目するのはこの会話のなかでも前半、「聖杯に願うことはない」とカストロが名言し、「ありませんね」とポルクスも確認するように同意している点です。
ここに「復讐者は聖杯への願いが固定されている」という理論を当てはめましょう。実際に彼らが聖杯戦争に召喚されて(神霊だからないと思いますが)、復讐者としての勝利条件を満たすことができたとした場合。おそらく、ディオスクロイの願いは「人間への復讐」であると聖杯が認識するようなシステムがあるのではないでしょうか。他のアベンジャーずも、(みんな復讐は自分の手によって果たしたいと思っているでしょうが、)クラススキルに補正されている部分もあるのではないか…と、考えられなくもないです。
「ディオスクロイ・カストロは復讐者のクラススキルを持っているものの、聖杯への願いが固定されていない」と表現することができます。
これがどういう意味を持つのか考えてみましょう。
復讐者のクラススキルが、対象の願いを復讐へと固定する効果も持っていると仮定した場合、マイルームでは、「カストロの復讐者のクラススキルが弱い(ないし、発動していないに等しい?)ので、聖杯への願いが人間への復讐に固定されていない」と論じることができます。

(マイルームの聖杯ボイスはアテにならない詭弁?
…自分でも分かってます。でも、いいんです別に。だってこう妄想するのが個人的にすごく滾ったんです。妄想するのは自由です。)

話を本格的に進めます。この「聖杯への願いがない」→「カストロの復讐者としての側面が強く出ていない」→「”普段は”カストロの復讐心が表面に出ていない」というこじつけにより、ひとつの可能性が生まれてきます。というか事実を言語化することができます。

「普段のディオスクロイ・カストロはあんまり復讐心に燃やされていないのでは?」と。

汎人類史側としてマイルームでおしゃべりしているカストロはそれなりに人間への怨念を持っているように振る舞っていますが、絆4ボイスでは「俺は零落への怒りを拭い去れずにいる」と、本心では復讐心を抱きたくないとでもいうような、復讐心に踊らされているような印象を受ける発言をしています。ここから私は、「普段のディオスクロイ・カストロは人間のことは”嫌い”だが、心から”復讐”を望んでいるわけではないのでは?」と考えました。
何が言いたいかと言いますと。
汎人類史のサーヴァントとして召喚された際のカストロは、クラススキルによって付与されている(本人が必ずしも望んでいるとは限らない)、アヴェンジャーの資格を満たすための最低限度の復讐心のみを抱かされているだけなのではないか、と強引に言いたいのです。
またこれに関連してちょっと、余談の上位互換のような話をします。マイルームのボイスでは、ポルクスはあまりカストロの復讐心に触れることはしていません。後世の伝説によってゆがめられたことでカストロには人間らしい思考が植え付けられたけれど、神であるポルクスには復讐心が理解できていないのではないか…?と考えることもできます。ですが、あの「兄様を傷つけるものは皆殺す」と宝具を打つたび3分の1の確率で殺戮宣言を行う妹が、カストロを苦しませる原因たり得るアヴェンジャーのクラススキルに目をつけないわけがないのでは…とも思うのです。
つまるところ、とにかく。
理由は分からないけれど、ポルクスはカストロの零落への復讐心に執着はしていない、という事実が挙げられます。
カストロが本心から復讐を望んでいるわけではなく、またクラススキルによって復讐心を植え付けられていても、ポルクスが諫めてやれば兄は大して苦痛ではない…という可能性も考えられますね。これ、気になりますよね???どうなんでしょう…。

ここまで語ったこれらのことを踏まえて、「異聞帯のディオスクロイ・カストロの持っていた復讐心」と「汎人類史側のディオスクロイの持つ復讐心」の根源が厳密には違うのではないか、という疑問を持って妄想を広げていきます。

異聞帯のディオスクロイの復讐心の原理と、汎人類史側のディオスクロイの復讐心の原理が異なると仮定して話を進めていきましょう。一番手っ取り早く話を進めるため、異聞帯のディオスクロイと汎人類史側のディオスクロイの差異を考えてそこからアプローチしていきます。
異聞帯のディオスクロイと汎人類史側のディオスクロイ、細かく考えていくと大小さまざまな差異がありますが、一番大きなもとをたどればひとつ、「異聞帯のディオスクロイは一度死んでいる」という事実に辿り着きます。

「え?そんなの、お前すでにアホほど語ってるでしょ。異聞帯のディオスクロイは一度死んでしまったうえにバグっていたんだから、過剰な復讐心を抱いていてもおかしくないでしょう?」

そうなんです。でもそう考えるとこの話はここでおしまいになってしまいます。ここまで読んでくださった方は異聞帯のディオスクロイに少なからず夢を見ている人なのでは…と思うので、ここからは元気に私の妄想入りまくりの超主観的な考察(考察ではない)を披露させて頂きたいと思います。ここで止まるわけにはいきません。
私は、ギリシャ異聞帯が「神がヒトを愛玩する世界である」という固定観念によってポルクスを縛っていたとしても、だからといって、ただそれだけの理由でポルクスがカストロへの追従を選ぶはずはないと思うのです。そう思いたいのです。
マイルームであれほどカストロをたしなめて、あんなに仲睦まじくしているくせ大してカストロの復讐心に頓着を見せないポルクスが、簡単にカストロと同じ復讐心を抱くことに、完全には納得できないのです。

ここで、先ほどの発言を訂正します。ここからは、

「汎人類史のカストロの復讐心の根源」
「異聞帯のディオスクロイ・カストロの復讐心の根源」
「異聞帯のディオスクロイ・ポルクスの復讐心の根源」

の3つについて比較検討したいと思います。

前置きが長い?
全部本編のつもりで変わらぬ熱量で語り続けているのでどこも前置きなんかじゃないですよ…?

全然関係ない話なんですけど、字幕でカストロとポルクスの名前が『ディオスクロイ・カストロ』と『ディオスクロイ・ポルクス』なのめっちゃ強キャラ感を感じます。「なんかかっこいい」となるのでちょくちょく彼らをそう呼称したくなります。ちゅうにびょうかもしれない。

話を戻します。
カストロの復讐心の原理として表向きに語られているのは「神からヒトへの零落」となっています。実際にこれは間違いではないでしょう。

人の手によって零落された存在は、復讐者の適正を得る

この事実はFate作品でも言われていることであり、疑う余地はありません。ただのっぺりとした人生を歩んで、零落への怒りという感情を知らない私には少し疑問があるのです。
「零落させられるって自尊心を傷つけられたっていうこと?…なんか、それだけが復讐心の原理って英雄にしては短絡的すぎない?アヴェンジャー、なんとなく高潔な英霊という印象があるし、誇りを傷つけられでも気高く生きていきそうだけど…。」
まあ、神話なんてモノ、意味の分からないしょ~~もねぇ展開で物語が進んでいくものなので零落への怒りが十二分に復讐心を煽るものになることは理解しているのですが。
でも、です。
カストロにとって最大で唯一の理解者であるポルクスが常にすぐ傍にいるのに、それなのにどうして零落への怒りを感じるんでしょうか?
零落への怒り=自尊心や誇りが傷つけられた、ということであれば、カストロが復讐心を抱くことは少し違和感があるのではないでしょうか…。
どんなことがあっても絶対に離れない。たとえ姿かたちや在り方がゆがめられたとしても、絶対に一緒だ。悠久の刻を共に過ごし、これからも永遠に共に在り続けるであろうディオスクロイ。ひたすらに2人だけの世界で仲睦まじく会話しているあの双子。妹のポルクスが自分を理解してくれているのに。カストロは零落への復讐心や怒りを抱く必要が本当にあるのでしょうか?

ここでいったん、異聞帯のディオスクロイについて考えてみましょう。マテリアルでは「『汎人類史に於ける自分たち』の伝説を知った兄カストロは、汎人類での出来事とはいえ、自らを貶めた人類への巨大な憎悪を抱くに至った。」「妹のポルクスもまた、兄を貶めた人類への憎悪を抱いた。」とあります。
神の考えることは分かりませんね。
ここから、私が妄想している、ディオスクロイ・カストロが「ヒトに零落させられた」ことに対して憎悪を抱いた理由を深堀りしていきます。零落させられたという時点で復讐者となるというのは考えません。「零落させられると何が問題になるのか」を推測していきます。

カストロが神からヒトになるとどうなるのか?

ポルクスと神性がおそろっちじゃなくなる

端的に言うとこれです。

では、ポルクスと神性がお揃いでなくなるとどうなるのでしょうか。

カストロがポルクスを置いて先に死ぬ可能性を孕む

これです。
私は、異聞帯のディオスクロイ兄妹は「カストロが神からヒトに零落することで、カストロがポルクスを置いて逝く可能性」ができたこと、またその事実が許せなかったのではないか、と思うのです。

これは私の願望の入り混じった妄想なんですが、異聞帯のディオスクロイがキリシュタリア・ヴォーダイムに殺されたとき、キリシュタリアは「カストロがポルクスを庇って死ぬ」という逸話の特攻を突いたのではないかと思っています。
この記事では、これが事実と仮定して、以降の話を進めていきます。

本当の神霊であった異聞帯の「ディオスクロイ」は、カストロがキリシュタリアに殺された時点でその一心同体の存在の定義を保つことはできなくなっていますね。これが「キリシュタリアにディオスクロイが殺された」に対する解釈です。カストロが死に、ポルクスが残される。不死の神霊であったディオスクロイの在り方が破壊された。この時点で神霊のディオスクロイは「死んだ」ということになります。
しかし実際に、ポルクスはカストロが庇ったおかげで生き残っているのです。不死の神霊なのにどうして兄が死んだのか。ポルクスは現実を受け入れられずにいたことでしょう。
本編では、カイニスが「(ディオスクロイがゼウスに)泣きついた」と揶揄している場面がありますが、これはおそらく死した兄を抱えてポルクスがゼウスにカストロの復活を懇願したのではないか、と考えられます。カストロもポルクスも両方死んでたらゼウスに泣きつくことなんてできないので…。割とこの妄想、合ってたりしないかな…。
どうして兄が異邦から訪れた人間なぞに殺されたのか。ポルクスはきっとキリシュタリアから「汎人類史のディオスクロイ・カストロは人間として語られている」と聞いたのでしょう。そこを突いたのだと言われれば、この時点で「自分たちは永遠に一緒の神霊である」と信じて疑ったこともなかったであろうポルクスがカストロを零落させた人間に対して恨みを抱くのは当然ですね。ディオスクロイ・ポルクスは、人間の手によって最愛の兄を奪われたも同然です。
そりゃもう恨みますよ。
何があってもカストロと一緒にいたいはずのポルクス。絶対にカストロを離したくはないのですから、それだけで気が狂うほどの激情を抱いたでしょう。
ここから、ディオスクロイ・ポルクスが人間に対して恨みを抱いた理由を「自分からカストロを奪ったから」であると推定します。
余談ですが、ポルクスはきっともう絶対にカストロを失いたくない、なんでもいいから傍にいて欲しいと最期まで思い続けていたがために、カストロの行動も何もかもを容認してひたすらその在り方を愛していたのではないかと思えてきます。実際、カストロが命の危険に晒されそうになることだけは危惧して兄に声を掛けたり、難色を示す場面もありました。何があっても絶対に兄を離したくなかったんでしょうね…カルデアが来なければきっとあのまま、永遠に一緒にいたんでしょう…。涙です。涙。

ただ、ゼウスがカストロを復活させ、ディオスクロイが神霊のサーヴァントと化したあと。神であるままのポルクスの意思とは無関係に、双神は汎人類史での在り方に引っ張られてゆきます。地獄のような足枷ですね。

カストロは何を思っていたんでしょうか。命を賭して庇った妹が神霊としての在り方を放棄してでもなお自分と共に在りたいと願ったことを知って、どう思ったのでしょうね。
戦闘不能ボイスやバトルモーションから、カストロは、「自分の命はとにかくどうでもいい」と思ってポルクスをひたむきに庇っているのではないかと考えられます(妹への愛が強くて最高ですね。)。ですから、異聞帯のカストロは、ポルクスを庇って自分が死ぬことをさほど問題だと捉えていなかったのでは…と解釈できます。
では、異聞帯のカストロはなぜ、零落させられたことに怒りをおぼえたのでしょうか。神としての威厳を傷つけられたことへの怒りも、もちろんあったでしょうが…。


想像(妄想)してみましょう。カストロがゼウスによってふたたび力を与えられて、目を覚ます瞬間のことを(以下、完全な妄想による補完でお送りします。)。

目を覚ますと、泣きじゃくる妹の姿がそこにあります。どうして泣いているのかカストロには分かりません。ただ妹はひたすら、カストロをきつく抱きしめて泣いています。自分の状況も、周囲の状況も省みず、カストロは真っ先に妹の状況を気にするでしょう。だってカストロはポルクスの兄なのですから。どうして泣いているのか、カストロは尋ねます。そこで初めて、自分が(汎人類史ではヒトに零落していたがため)妹を庇って死んだことを知りました。

…と、ざっくりこのように推測します。

神の威厳を失い、ヒトのように無様に死した自分

これも、もちろんカストロの心に刺さったでしょう。ギリシャ異聞帯の神は、堕ちることなどあってはなりません。それがギリシャ異聞帯での神の共通認識ですから。

ただもうひとつ、もっと大事なものがあります。自分の命よりも大切なものが。目の前の事実が、カストロに突き刺さったのです。

妹が、泣いている

どうして泣いているのか。自分が死んだから泣いている。どうして自分は死んだのか。自分が神からヒトに零落していたから。
…自分が零落することで、妹を泣かせてしまった。
妹を泣かせてしまう兄の自分、零落させられることで妹を守ってやれない自分、救ってやれない自分がきっと悔しかったでしょう。力不足な自分を呪って、憎んで、そして同じくらい、自分を零落させた人間を憎んだのでしょう。

本当に私の妄想でしかありませんが、こういうできごとがあった可能性も…なくはない、のではないでしょうか。


ポルクスの助長やカルデアの人間への執心によりカストロはやがてその在り方をより過激に変貌させていきますが、登場した当初はごくありふれた(?)ギリシャ異聞帯の神とそう変わりません。なんかむっちゃ腕と腰が細くて可愛い顔した男の子がちょっと仰々しいくちを利いているなぁ、くらいです。サーヴァント化した当初は、カストロはそこまで過激ではなかった(17節あたりと比較したら明白です)。そう考えても大それた問題にはならないのではないでしょうか。


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ここで一度、さらに妄想に妄想を重ねた偏った解釈を述べたいと思います。妄想×妄想の暴走です。覚悟はいいでしょうか。
…もし仮に、壊れると同時に人としての視点を得ることでカストロの視界が変わっていたとします。その視点でカストロからポルクスを語ることができていたとしたら、どうなるでしょう。
カストロは、妹のポルクスが神としての在り方に縛られていることにも、気が付いた…という可能性も、出てきます。
それでもカストロにポルクスを神の鎖から解放してやることはできません。ヒトである以前に神であったカストロには、それはきっと敵わないことなのです。それにカストロはもう二度と妹を傷つけて悲しませたくないと願っていたはずです。
その状況に置かれたカストロができることはただひとつ。
妹の望むまま、傍にいてやることです。同じく人間に憎しみを持つ妹の望むままに振る舞って、殺戮を重ねてゆくこと。
それが、カストロが妹にしてやれる最大限の愛情表現だったのかもしれない…と思うと、涙が止まりません。妹によって自分がどう変貌を遂げてもいい。だから妹の願う通り、この復讐の檻の中でひたすら妹の傍に寄り添っていよう、と。
異聞帯のディオスクロ・カストロは、ギリシャ異聞帯の神としての在り方に歪められた妹に対して、自分の命も在り方も全て賭してただひたむきに「ポルクスの兄であろう」としただけなのかもしれないのです。
自分ができる最高の、全身全霊のお兄ちゃんムーヴをかましていた可能性がある、のです。なくはないのです。
もう号泣ですね。
色々なものでがんじがらめになって何が何だかわからなくなっていても、あの双子の姿はお互いを想いやった成れの果てだったのだと考えると鼻水まで出てきます。
これは妹と兄、どちらが先に相手に綻びを見せたかによって変わってもきますし、妄想の域を出ることは絶対にできません。ですが、復讐心を憶える前も後も、カストロの目にポルクスが映っていたことは、絶対の事実なのです。
前回ポルクスがカストロを傷つけたくはなかったのではと語りましたね。同様にカストロもそれ以上の愛でポルクスに答えていたとしたら。なんて壊れた愛情、なんて歪んだ愛の形。どれだけ返り血に濡れていたとしても、彼らが天空にて輝く愛であったことに変わりはないのです。ポルクスの愛情はちゃんと、カストロに通じていたのです。お互いが理解できていたわけではありません。その在り方はきっと、正しくはありませんでした。それでも、それでも、です。異聞帯のディオスクロイが何にもひけをとらないほどに愛し合っていたのは、確かなのです。
…以上、異聞帯のポルクスの独白シーンを読み返して、「もしかして、カストロの方はポルクスを理解できていたのではないか」と一瞬思いついた可能性から妄想を広げすぎた物語でした。
さらにもう少し、この妄想を発展させてしまいます。

「妹よ。俺は間違っているか?」

異聞帯のディオスクロイ・カストロがポルクスにそう尋ねるシーンがあります。この言葉、メタ的な視点を絡めると、筆者による「ポルクスのカストロへの追従の強調」のシーンと捉えるのが一般的(?)なのかな、と思いますが、私は最近、カストロのこの言葉にはもっと別な意味があるのではないか、と妄想を繰り広げています。
お互いを愛して愛し抜いて、その在り方を歪めていくディオスクロイ。
私には、このセリフは、ただカストロがポルクスの肯定を求めていただけではないように思えるのです。ポルクス視点ではもうカストロの考えていることが何もわからない、という独白があります。
しかし、逆の語りはありません。
もしも、異聞帯のカストロに、ポルクスの考えていることを慮る余地が残されていたのだとしたら?
ポルクスの望むままに振る舞う覚悟を決めていたのだとしたら?
…それでも、その在り方を選び取ることに苦痛があったのだと、したら。
カストロはポルクスに「自分を諫めてほしい、引き留めてほしい」と思っていたのではないか…私には、そう思えてくるのです。
ポルクスの望むままに振る舞って、その在り方をゆがめてきた、かもしれない、兄のカストロ。
カストロの行先を危惧はしつつも、カストロの言葉を全肯定する妹のポルクス。
「俺は間違っているか?」という問いは最後にして唯一の妹への「確認」であると同時に、妹が自分を正しい形に引き戻してくれないかという「妹への最初で最後の弱音」だったのではないか。妹の心を救ってやりたい一心で振る舞ってきたカストロが、カストロ本人も気づかぬうちに吐いてしまった「助けを求める声」だったのではないか…。
この言葉を発したカストロの心、そして追従を選ばざるを得なかったポルクスの心。お互いの愛だけは存在しているのに、致命的にすれ違っていたディオスクロイ。なんとも悲しいものです。

考えすぎ?ありえない?
いいんだよ!!妄想してて最狂に楽しいんだから!!!!!


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話を戻します。異聞帯のディオスクロイ・カストロが抱いた人間への復讐心についてです。
零落したカストロは、ひとえに自分の力ではポルクスを助けてやることができません。今までの話を踏まえると、異聞帯のディオスクロイ・カストロの抱いた復讐心の源泉をざっくり表現すると
・神としての尊厳を傷つけられたこと
・自分が(人間が)妹を傷つけてしまったこと
この二つに集約するのではないか。願望の入り混じる私の心は、こうささやきます。

まとめると、異聞帯のディオスクロイは「カストロがヒトに零落すると共に在ることができなくなる」という事実に対しておのおの抱いた感情から、人間への復讐心を燃やしていた、と考えられます。

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ここで少し余談です(余談多すぎ)。カイニスとディオスクロイの話です。
お互いをただしく救ってやることができない。そんな異聞帯のディオスクロイからは、涙の数だけ強くなって帰ってくるカイニスがひどくまぶしく見えたでしょう。
どれだけ相手を想って涙を流しても、自分たちにはどうにもできないことがあるのに、カイニスは、自分たちにできないことを簡単にやってのけたのです。
汎人類史の味方をするカイニス。自分たちと大差ない存在のはずなのに、何がそんなに違うのか。もしもあのように振る舞う力が、原理が自分たちにもそなわっていたなら、妹を/兄を、正しい形で助けだすことも、できたのではないか。お互いを、歪んだ愛の呪いのふちから救い出すこともできたのではないか。心のどこかで、そう思っていたのかもしれません。
カストロの他には何もいらない。兄がいればそれでいい。そう独白しているポルクスも、今の愛が本当に正しい形ではないことを少しは理解していたはずです。兄を救い出してやる正しい方法がわかっていれば、迷わずその手段を選び取ったでしょう。
カストロも、ポルクスを守る力が自分にあれば、ポルクスを救い出す力が自分にあれば、と思っていたかもしれません。
そんなディオスクロイがお互いのために力を求めていたとしても、おかしくはないでしょう。だからこそ、カイニスがうらやましかった。自分たちの在り方は間違っていない、愛の形はこれでよい。そう思いつつも、どこかで歪みを拭い去ることができなかったのでしょう。
…歪んだ形のまま固まってしまった愛情を抱えながら、それでもディオスクロイがお互いのために力不足を嘆いていたとしたら、こんなにせつないことはありません。

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余談2
「すまぬ…妹よ」のカストロの謝罪にどんな意味があるんでしょうかね…。ポルクスをおいていくことに対しての謝罪なのでしょうか。それとも、ポルクスと共に戦う力がなくなってしまうことに対しての謝罪なのでしょうか。カストロの本心が本当に一度たりとも語られていないので、謎が多すぎますね。というソボクな疑問です。

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余談3
ディオスクロイの血まみれ差分みなさんスクショしましたよね?
あれ、カストロもポルクスも血まみれになっています。カストロがポルクスを庇う余裕がなくてポルクスも傷を負っていたのかな…と思っていたのですが、「ポルクスもカストロを庇おうとしていた」と考えることもできますね…。
なんだかひどく悲しい傷の舐めあいに思えてきます。多くを語らずに人間の心をかき乱してふたりきりで去っていく異聞帯のディオスクロイ。アニメ化したら真相が分かるのでしょうが…異聞帯のディオスクロイがCM以外で動いている瞬間でも目にしようものなら発狂を通り越して発作を起こして死んでしまうでしょう…。オリュンポスのアニメ化は絶対にやめてほしいです。本当に。動きと声のついたディオスクロイが画面をクルクル舞うところを想像するだけで死にそう。容量オーバー。結構です。
…見たい、けど、ね。

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では、話を戻して汎人類史のディオスクロイ・カストロの話をしましょう。

「聖杯に願うことはない」
「ありませんね」

異聞帯のディオスクロイと比べて、もうそれはそれは穏やかなものに見えます。当然ですが…。
カストロのボイスを聞くと、「人間が嫌い」という感情は多く口にするものの、真に「人間が憎い」という感情が盛大に見え隠れすることはあまりありません。零落への怒りを拭い去れずにいるものの、アヴェンジャーらしく復讐心を露わにする瞬間はない、と言っても差し支えないほどです。
ここまで語ってきた理論(理論ではない)に則ると、ディオスクロイの復讐心には「お互いが引き離される瞬間があったかどうか」が大きく絡んでくることが考えられます。
カストロを失っていないポルクスは穏やかな性格のままであるのは当然ですが、カストロも随分と過激ななりをひそめています。
今回語った妄想の筋に乗せると、汎人類史のディオスクロイ・カストロは主に「神としての威厳を傷つけられた」ことが復讐心の源泉となっていると考えられます。(この解釈は私の願望にはそぐわないのですが(穴ぬけボロボロ理論なのでしょうがない)、今回の筋ではこういうことにしておきます。)
このカストロの復讐心にポルクスの感情が絡んできたらもっと過激なことになるのでしょう…という推測はできますね。
ポルクスがカストロを諫めるシーンも多く、そちらに注目が集まることも多いディオスクロイですが、私は、やはりカストロが兄なのだろうなと思っています(当たり前じゃん)。
(どちらかというと、ポルクスが妹なのかもしれないですが。)
ポルクスもカストロを敬愛していますが、カストロが兄らしくポルクスを尊重している点も、ディオスクロイの霊基を登録する際の中枢となっているのがポルクスである所以なのでしょうか…ね。

はい。以上、尻切れトンボ感がありますが、これにてディオスクロイの復讐心について語るのはひとまず区切りとさせて頂きます。好き放題に妄想をかたりながら脱線しまくってぐちゃぐちゃしていたと思いますが書く側としては好きに語ることができてとても楽しかったです。
ここまで読んでくださった方(がいらっしゃれば)。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

それでは以下よりオマケ、ディオスクロイのクラススキル「狂化B-」について妄想と願望をちょこっとだけ語りたいと思います。この件は私の脳内ではまったく決着がついておらず、マテリアルでの情報開示を待つばかりなのですが、せっかくなのでマテリアルで情報が公開される前に自分の妄想を書き留めておこう…という、その程度のものです。

狂化B-を持つサーヴァントはFGOにはディオスクロイの他に登場していません。狂化Cを持つサーヴァントにはタマモキャットやランスロット、狂化Bを持つサーヴァントにはヘラクレスやダレイオスなど、狂化B-までくると、かなり話の通じないサーヴァントも該当するランク帯になっています。

ディオスクロイには、大きく会話が不能になるなどの現象は見られません…。狂化のかかり方について、

・カストロに狂化がかかっている
・ポルクスに狂化がかかっている
・ディオスクロイに狂化がかかっている

の3パターンが考えられます。

・カストロに狂化がかかっている
この場合、カストロに付与されているアヴェンジャーのクラススキルとも関連がある可能性もあります。
他には、狂化を付与させて本来の精神にバイアスがかけられたりするケース、もしくは(人間以外の種族であるため)狂化によるステータスアップの恩恵を得つつも理性の破綻が全くない、というケースに該当するかと思われます。

・ポルクスに狂化がかかっている
カストロの場合と同様、狂化を付与させて本来の精神にバイアスがかけられたりするケース、もしくは(人間以外の種族であるため)狂化によるステータスアップの恩恵を得る、という可能性も考えられます。「兄様を傷つけるものは、皆殺す」というバーサーカーじみた発言もありますが、これはもともとのポルクスの性格ゆえである可能性もあり、ポルクスの狂化を象徴するものではありません。ただカストロが死んだ場合にポルクスが対話不能なバーサーカーとなる…などという可能性は、なくはない、ですね。一緒に消滅しますが…。

・ディオスクロイの存在に狂化判定がある
対話が可能かどうか、という視点で見ます。マスターと対話をする際。マスターが話しかけると、カストロとポルクスが2人で会話をし始めますね。これ、マスターが話しかけてもディオスクロイ兄妹が会話を広げていってしまうので ディオスクロイ 対 マスター の会話とみた場合に「会話が成り立たない」ということになります。「明日晴れると思う?」とディオスクロイに聞いて、ちょっと間が合って、「今から図書館に行ってきますね!」などという返事が返ってきてディオスクロイが立ち去っていく…というのは大いに可能性があります。実際マイルームでめちゃくちゃマスターを置いてけぼりにして2人の世界を展開していますし、絆礼装でさえも同じような振舞いをしていますし…。
これが狂化の判定になっていたら面白いな…という思いつきです。はい。それだけです。

型月の設定にかんしては全く詳しくないので私の調べた範囲の内容+ただの妄想になっています…メモ程度に。
マテリアルがとても楽しみで仕方ありません。


今回、感情が高ぶって断定の表現を駆使した部分もありますが、今回の記事で語ったことは全て妄想の域を出ない、いちオタクの戯言と思っていて頂ければ幸いです。
それでは、今年の水着イベでディオスクロイが出てきてくれることを祈りつつ、この記事を〆たいと思います。
…本命はハロウィンあたりになってしまうのでしょうか…。
一番楽しみなのはバレンタインです。めちゃくちゃ楽しみすぎる。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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