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「姉と一万円を拾う話。」

小さい時うちは貧乏だった。

どのくらい貧乏だったかというと、団地に住み母親が週に一度買ってくるかっぱえびせんを兄弟三人で取り合いをし、一瞬でなくなるぐらいに貧乏だった。(親の面子のために付け加えておくと、その後は何不自由なく暮らさせてもらった。)


確か、僕が小学校1年生のある日、5つ上の姉が唐突に「お金探しに行こう」と誘ってきた。僕はそんな楽しそうな遊びがあるのかと、姉の真似をして道端の雑草の間を探し始めた。すると、すぐに姉が「見つけたよ!」と田舎道の反対側から叫ぶ。手には綺麗な1万円が握られている。そんなに簡単にお金は見つかるものなんだ、と思った僕はしつこくあたりを探して回る。

次に姉は「お金を使いに行こう」と誘う。
また楽しそうな誘いにホイホイついていく僕。

たまに親に連れられていく大型スーパーにバスで向かうと、姉は僕をおもちゃコーナーに連れていき「なんでも好きなものを買いなさい」という。

僕は、その時にすごく流行っていた3000円のスネークキューブを、控えめに姉に見せると、ニコニコと頷く姉。その後も、ペンケースや消しゴムやあれもこれもと目につくものを片っ端から選んでカゴに入れた。

僕が選ぶものを暗算していたのか「あと30円残ってるよ」と姉が言う。
流石に僕も残らず使うのか?と不思議に思う。

そのあと、買ったものをどんなふうに親に見せたのかとか全然覚えてない。だけど、ずいぶん大人になってから思い返すと、貧乏暮らしを不憫に思った姉が親の財布からくすねたんじゃないかと思う。確信はないけど。
それか、本当に姉が拾ったお金をもう一度僕の前で拾って見せたのかもしれない。どちらにしても姉は自分のものを1つも買わず1万円全てを僕に使わせてくれた。


昔も(あまり会ってないけどきっと)今も姉はそう言う人。
いつも僕を可愛がってくれたし、自分のことは後回しの愛の深い人。
弟の僕としては、少しは自分のことも大切にして欲しい、と思うけど。


「やさしさ」とはなんだろう、と考える。だけど答えはよくわからない。

きっと姉は僕に「優しくしてあげよう」などと思ったわけではないと思う。ただただ、僕のことを可愛がり、不憫に思い、何かしてあげられることは無いものか、と、小学校6年生の姉は知恵を絞ったんだろう。
親にも見つからず、弟にも怪しまれず、感謝されることを望まず、ただひたすらに、してあげたいと思う気持ち。
そう言う強い気持ちが相手に伝わった時に初めて優しさとして出現するのかもしれない。

僕は姉に優しくできているだろうか。
姉ほど強く思えているだろうか。
きっと姉は望まないのだけれど、、。

じゃあ、誰かには優しくできているだろうか。
優しさが伝わってほしい、と願っている時点で何か違う気もするけど。


ああ、優しいって難しい。
、、お姉ちゃん教えて。

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