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43歳 脳梗塞と診断されて

2024年7月『脳梗塞』になりました。
脳梗塞ってもっと歳をとってからとかなるもんだと思ってたので、実感があんまり無かったのが正直なところですが。
その時のことを忘れないように書いておきます。


脳梗塞とは

「脳梗塞」とは、何らかの原因で脳の動脈が閉塞し、血液がいかなくなって脳が壊死してしまう病気です。片方の手足の麻痺やしびれ、呂律が回らない、言葉が出てこない、視野が欠ける、めまい、意識障害など様々な症状が突然出現し、程度は様々ですが多くの方が後遺症を残します。

出展:東京逓信病院

壊死とかめっちゃ怖い
もう元の生活には戻れないような書き振りです。

突然の異変

7月15日 朝いつものように起きてトイレを済まし、居間の方へ2歩くらい歩いたか歩いてないかくらいで、なんか目の前がぐらつく感覚になり、あれ?おかしいなと思った瞬間、左足の力が入らなくなってることに気付きました。立ってられない。その間体感で3秒くらい。

反射的に両手と右足は力が入ったのが確認できたので、手すりに掴まりながら、ゆっくりその場にしゃがみこみました。
四つん這いになってから座って、約20〜30秒。妻が水を持ってきてくれて一口飲み、一息ついてから立ちあがると、ちゃんと両足で立てて、左足も大丈夫になってました。

さすがに両足の脱力感はあって、おかしいなと思いつつ、歩きを確かめるのに近くの喫茶店まで出かけました。ひとりでは怖かったので、娘を誘い一緒に出かけました。

両足の脱力感は消えなかったけど歩くのは大丈夫。喫茶店でコーヒーを飲みながら、心を落ち着かせる。いつもは読書を楽しむところですが、そんな余裕はありませんでした。

歩きを確かめたかった理由は、その日の夜に飲み会の約束があったから。大丈夫なら行こうと。
札幌で仲良くしてる友人が単身赴任お疲れ様会を開いてくれるという日だったので、そこには参加したい、体調に若干の不安と朝の気持ち悪さはありましたが、楽しくお酒を飲み、2次会のカラオケも楽しみました。
その頃には両足の脱力感も気にならない程度になっていました。

妻からは「明日病院行ってね」と言われてたので
16日は病院に行くことにはしてました。

近くの病院へ

翌7月16日 近所の脳神経外科クリニックへ行きました。
昨日みたいな症状も無く、普段と変わらない体調だったので、仕事行く前に念の為の検査のつもりで受診。
MRI検査の関係で、結局夕方までかかってしまい、出社しないことを上司に連絡し会計を待ってると、看護師さんから「今から奥さんに来てもらえる?」と。
「今からですか?」と答えると「今から」と看護師さん。「いや、すぐには来れないですね、、家から歩いてくるので30分以上はかかるかもしれないです、、」少し面倒だったのでそんな態度をとってると、
「いや、すぐ来てもらうように連絡してもらえますか!先生が奥さんにも聞いてほしいことがあると言ってますんで!」と強めに言われ、仕方なく妻へ連絡しました。

そんなに?なんだろ?と思いながらも、妻に来てもらいました。この時はそんなに重大とも思ってませんでした。
妻も何事かとびっくりしてたんじゃないでしょうか。

妻と診断結果を聞く

妻が到着して診断結果を一緒に聞くと、
医師からMRIの画像を見せられました。

実際の画像

「この白いところ、脳梗塞発症が認められます…」


えっ、、脳梗塞?
いやいやいや、なんで?
脳梗塞って
やばい病気じゃなかったっけ?

そんなことが頭の中をよぎります。

医師の話は進んでいき「すぐ入院してください」と告げられます。

私「すぐですか?」
医「すぐです」
私「どこに?」
医「中村記念病院に連絡するから、今からそこに行って入院してください。すぐ入院できるように言っておくから」

この日も広島から友人が来て一緒に海鮮丼を食べる約束をしてたので、次の日とかじゃダメかなと思い、今日じゃないとダメですかね?と聞くと、

医「脳梗塞は発症するとリスクが高まる病気なので、私は今日入院することを勧めます」と。

そんなことを言われたら怖いじゃん
入院するしかないじゃん
妻とはアイコンタクトで、すぐ入院することを決めました。

このあと中村記念病院という病院へ行くのですが、その話はまた後日改めて書きます。

中村記念病院に行ってからもらった、診断名の入った「説明シート」を貼り付けてます。
以下からご覧ください。
読むと恐ろしくなります(笑)

病院で診断されたとき渡された説明シート

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