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殴られても殴り返すな。

【ウィル・スミスさんの暴行事件への反応の日米の違い】
ニュースでも、さんざん報道されたが、ウィル・スミスさんが、スミスさんの妻への言葉を「侮辱」と受け取り、コメディアンのクリス・ロックさんに暴行した事件。この事件への反応はtwitterなどでも大きかったようだが、いくつかのメディアをネット上で見てみると、日本では「ウィル・スミスさんかっこいい!」のような反応が多かったのに対して、米国では「クリス・ロックさん暴行されたのに、冷静で反撃しなかった。素晴らしい」ことが称賛され、支持されている、ということらしい。日米どちらも、異論は存在するけれども、意見の多寡で言えば、そういう感じがしている。

【ウクライナ・ロシア紛争でも】
それより前、ニュースでの話題はウクライナ・ロシア紛争で、今もそれは続く。日本では「ロシアの蛮行」のように報道されているが、他の国や地域では違う報道もある、という。たしかに、全人口比で見ると、世界でロシアの経済などへの制裁を決めた国や地域は、全体の15%ほど、という話もある。この紛争で制裁の対象となっているのは「暴力」である。ロシアという国がどういう国であるか?とか、なぜ暴力を使うのか?というところについては、ニュースなどでの解説はあるものの「悪」は「主義主張」ではなく「暴力そのもの」だ。

【世界の標準は「殴られても殴り返すな」】
こうして見ると、いま、世界の「標準」は「殴られても感情的にならず、殴り返すのはダメ」という、価値観なんだ、と納得する。第一次世界大戦、第二次世界大戦という世界を戦火だらけにした時代をなんとか抜け出そうと、人類が採用した「標準(あるいは原理)」が「殴られても殴り返すな」である、というのは明白だ。憎しみなどの感情の連鎖は人類全体を破滅に導く、という認識があるからだ。

【日本国内でも】
日本の社会を見ても、戦後は「どんな教育的理由があろうと、子供に暴力はダメ」というのが、一般社会の常識になりつつある。私などの世代では、子供の頃に普通にあった体罰も、今は体罰そのものが「反社会的」として忌避される世の中になった。戦後の世界の「文明」の標準が「非暴力」という原理である以上、この流れは日本の国内でも普通だ。

他人から暴力を受けたとき、それがエスカレートし拡大しないようにするのは、大人の常識。そのため、自分の中でくすぶる破滅的な暴力へ向かいそうな感情も、全面否定されている。それが現代という時代の「常識」になっている。その人それぞれの主義主張ではなく、その常識を破って暴力を使ったほうが「断罪」される。

【「野蛮」と「文明」】
この世界的な常識や基準から全ての他人に対する行為の「肯定」「否定」が判断される、というのが世界の常識である。国など地域のレベルではこの常識を肯定しないところが「野蛮」と言われ、肯定するのを「文明的」と言われる。文明的でないと、文明的な国や地域との交流は拒否される。これは、対人関係においてもそうだし、国などの多くの人の塊についても、同じだ。

【では、ウィル・スミスさんはどうすれば良かったの?】
現代の文明社会では「暴力」は「暴力」であるがゆえに、全く否定されているから、暴力は「絶対悪」である。この世界で、あの場合、ウィル・スミスさんはどうすれば良かったのだろう?。現代の社会では、他人から不利益を受けた場合、それが感情的な不利益であっても、暴力での反撃は絶対的に許されていない。そこでまずは対面で「言葉」での応酬で決着をつけることが基本だ。しかし、言葉だけで納得ができない場合は「名誉毀損」などの「法的手段」を使って「反撃」する、ということになる。

「反撃」であっても、暴力そのものが否定されている以上、これで行くしかない。

【「戦闘メカ・ザブングル」の世界?(古くてごめん)】
実は、なかなかこの世界標準には納得がいかない、という人も多いだろう。しかし、面白いことに、1982年に日本で放送されたテレビアニメ「戦闘メカ・ザブングル(富野由悠季監督)」で描き出された「世界」がそんな感じだ。それは「惑星ゾラ(実は地球)」の世界。戦争で荒れ果てたその後、できた世界の「掟」。それは「泥棒、殺人を含むあらゆる犯罪は三日逃げ切れば全て免罪」というものだった。そんな世界で、主人公は「親の敵」を執拗に探し、敵を撃つ戦いをするうちに、その世界がなぜできたかが明らかになっていく、というものだったが、この「掟」が、まさに「暴力は暴力であるがゆえに(その行動がなぜ起こされたかは問わず)100%の悪」という今の世界に似てはいないだろうか?人間の抑えきれない感情を抑えようとする掟を持つ世界に、図らずも挑むことになる主人公は、このアニメではもちろん「(怒りという)人間性の回復を目指すヒーロー」として肯定的に描かれている。それはそのまま「戦後の暴力が表向き否定されている世界」への皮肉にもなっている。人間は様々な要因で感情を持つが、その感情が世界の掟(法律)と相容れないとき、いけないことだとはわかっていても、ある許容範囲を超えると、他人に暴力を振るう、という行動に出る。それは許されるものなのか?

あなたはどんな答えを出すだろうか?

実はこのアニメは他の部分でも興味深い人間関係などが描かれ、そういった面でも楽しめるものだったりする。

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