クリスマスの日の個人的回想
【米国のクリスマス】
今でも思い出すのは、米国でクリスマスを過ごしたときだ。
1990年代終わりに毎月のように米国西海岸に行った。まだITという言葉がそんなに多く使われていなかった時代のコンピュータ関係の仲間などに会いに行ったり、現地でコンピュータ関係の書籍を買い漁りに行ったりした。西海岸ばかりだったが、私より10歳くらい上の世代の友人本人が日本人で奥さまが現地の方のおうちに行くと、明日はクリスマスイブだから来いという。え?明日って23日なんだけど。
【日本から抱えてきた大吟醸と、あるパーティの風景】
サンフランシスコ国際空港に着くと、宿はそのときはサンフランシスコベイ対岸のバークレーにとった。翌翌日、23日の夕方にお邪魔したら、パーティが始まろうとしていた。日本から抱えてきた一升瓶の大吟醸をまず渡し、パーティに加わったら、なにか雰囲気が違う。聞けばその方の奥さまがユダヤ人なので今からやるのはユダヤのクリスマス「ハヌカ(Chanukkah)」であるという。それは珍しい、と加わる。米国西海岸の知識人のパーティで、ユダヤ人でないひともいるので、この時期のパーティになった、という。なんとお酒はダメだと、後で聞いたが、持っていった大吟醸をお酒としらず「飲んじゃった」方も多かった。ごめんなさい。
飲んでから、白人の女性が日本語で「なにこれ~、お酒じゃない~」と声を上げた。その方は普段は京都の大学の教授で日本に長く、「禅 」を教えているという。ほとんど京都のおばさん化していると自分で言っていた。失礼しました。
パーティに来ている他の人も紹介された。「あそこにいる方は有名大学の児童心理学の教授なんだが、この前離婚して奥さんだけでなく子供にすごく嫌われてる」「あそこにいるのがマルクーゼの奥さん(既に私がそこでお会いしたときはマルクーゼご本人は亡くなっていた)」云々。
米国西海岸の学生運動をやっていた方々の成れの果て、というのは冗談だが、それっぽい人たちではあった。いや、インターネットを作ってきた人たちともここではいっぱい会っているが、そういう人たちはすごく多かったと記憶している。
米国のユダヤ人の集まりにもいろいろあって、こういうパーティではユダヤの物語を部屋を暗くして、ろうそくの明かりで語る。その物語を唯一至上のこととして語る人たちもいれば、語った後で「と、言われていますが真相はどうなのでしょう」と、懐疑の言葉を加える人たちもいる。この時行ったパーティは後者の方々のそれだった。
【パーティから帰るとき】
パーティから帰るとき、誰が誰に乗せていってもらう、という場面もあって、まるで日本みたいだったのが、なんともおかしかった。自分も宿まで乗せていってもらった。
【クリスマスイブは】
クリスマスイブその日は、暗くなってからサンフランシスコ市内で食事をした。ベイブリッジをわたる時に見えたトランスアメリカの三角形のビルの飾り付けのイルミネーションがきれいだった。早めにでて、早めに戻り、夜遅くまで一人で宿の部屋にいた。
なんとも、不思議なクリスマスを過ごした記憶は、今でも思い出される。
【クリスマスには聖書の言葉を】
●マタイによる福音書、10:34~10:37。
10:34 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
【キリスト教の「愛」】
キリスト教の「愛」は、人が持つべき神への愛が一番、ということになっている。だから前述の数節があるんだな。まぁ、宗教ってのは、どこかしら皆、似たようなものではあるけれども。
クリスマス。歴史を紐解き、聖書を紐解く。