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「高知県ご当地映画制作奮闘記」vol.1  地域映画で賞を獲る

初めまして。高知動画ラボ代表の萬羽と申します。12年前に東京の墨田区から高知県に移住してきました。今は四国の真ん中の本山町という場所に住んでいます。今のメインの仕事は、高知では求人用の動画制作、東京では大手不動産の映像制作、それ以外には特許関連の会社の広報的なことをやっています。
墨田区にいた頃には、SUMIDA制作所という映像会社をやっていて、不動産映像や観光映像を制作していました。また、墨田区でご当地映画も制作していて、ラインプロデューサーで参加した深田晃司監督の「歓待」https://filmarks.com/movies/1910 では東京国際映画祭ある視点部門を、プロデューサーで参加した鈴木太一監督の「くそガキの告白」https://filmarks.com/movies/25369では、ゆうばりファンタスティック映画祭で4冠を獲得しました。
業界に入ったのは、慶應大学卒業後で、ピンク映画の助監督から下積みが始まりました。ピンク映画は助監督や制作部と分かれていなくて、AD的なポジションで3名の助監督がほぼ全ての業務を行い、監督、スタッフと共に作品を作るという体制でした。エキストラ男優としても出演したことがあります。笑 
いまだに覚えているのは、1ヶ月以上必死に働いて、クランクアップして、「はい、ギャラ」と渡された封筒に3万円しかなかったことです。壮絶ブラックな業界でした。ただ、あの時の悔しさが今の僕の土台になっている部分があります。なので、今は感謝しているくらいです。
その後は、Vシネマや自主映画などで経験を積みました。今は亡きジョリーロジャーという悪名高い会社では、年間ペース9本ぐらいの作品に関わり、助監督や制作部の仕事を経験させていただきました。また、「AVない奴ら」https://comic.k-manga.jp/title/2469/pv というみやすのんき原作の監督をさせていただきました。これが僕の監督デビュー作です。常にエロが付き纏っているのが僕の経歴です。2本目はスーパーモタードhttps://x.gd/EW463 というバイクものの映画だったのですが、バイクに興味がない僕がバイクの魅力を伝えるのは無理で、コケました。これもまた良い経験でした。予算2000万でコケました。なかなかできない経験でした。いまだにその当時のプロデューサーとは仲良くしていますが、そんな彼は今誰もが知るアニメ会社のプロデューサーになっています。そして、少しずつ仕事を覚え、助監督ではチーフを務めることが多くなり、また制作部でも主任をそれなりの規模の作品でもできるようになりました。
その中でも印象的だった現場がいくつかあります。
「あぜみちジャンピン」という映画です。
この先は、次回で。

今後時間があるときには、継続して書いていきますので、
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