見出し画像

陽炎の宴

花吹雪
 梵鐘は鳴り響く。かすかに漂ってくる潮の匂いに活気づく町は、
袴やブーツ姿の男たち、ラムネを手にした子どもたちが行き交う。
時は1885年、異国情緒溢れる長崎のお寺でのこと。
 桜散る夕暮れ、境内では成仏できずにいる死者の僧らがたわいの
ない話をしている。「今日は、妙にあたたかで気持ちが良いなぁ」
「墓守よ、何を言う」地面に散った花びらの片付けを気に病むタケ
は、声を尖らせる。その隣で「ウメ、あの甲高い鳴き声は何の鳥だ
?」「マツ、あれはヴァイオリンの音色ですよ」。最年少のウメは
小さくため息をつく。4人の僧たちの頭上では、コジュケイが眠た
げに枝で羽を休めている。テナガザルが墓守の衣を引っ張る。来客
だ。盲目の墓守は小さく身震いする。
 春風に揺れる白のパラソル。境内に英国の女が足を踏み入れる。
墓守が察知した気配は、こっちに向かってくる。彼女が差し出した
のは、寺の系譜図。彼女には彼らが見えた。手にしたその巻物の感
触に、ぎょっとする墓守。なぜこれがここにある?この女は私たち
が見えるのか?寺の法灯である系譜図。墓守、マツ、タケ、ウメた
ちに押し寄せる波打つざわめき。
 過去の苦々しい思い出が蘇り、苦虫を潰したような表情の墓守は、
彼女に質問を浴びせる。これをどこで手に入れたのか?なぜ私に見
せる?私たちがわかるのか?
 とっぷりと日が暮れた墓地に北風が吹き付ける。桜の花びらは一
気に舞い散り、境内の樹木たちは大きく体を揺する。


冬の炎
 50年前の晩冬。うっすら雪が舞う夜半過ぎ、机に身を伏せ寺の系
譜図の製作に没頭する僧。時折、かじかむ手をさすりつつ囲炉裏に
かざす。縁側から見える墓地には、僧の背丈ぐらいにしかならない
桜の木々たちが静かに眠っている。
 床に就く僧。ちらちらと赤く仄めく囲炉裏の熾火は、やがてその
息を吹き返す。すきま風が縁側を抜けて入り込み、残り火は炎とな
り、囲炉裏を覆いつくす。むせる煙の匂いと人の叫び声で、はっと
目を覚ます。僧は燃え盛る炎に囲まれている自分に気づく。微かに
視界が開けている縁側に向かって走る。あと一歩で舞う雪を掴める、
と手を伸ばしたその時に、視界にどーんと暗幕が下りる。
 その晩、寺とその一帯は、緋一色。大きな炎に包まれている。
 火災から数日後、町の人間によって寺から系譜図は持ち出され、
質屋へ預けられる。その様子を、空から眺めている1人と3人の僧
たち。ひとりは目が焼けまぶたがただれている。己の手で精魂込め
て仕上げた巻物が遠く離れていく、僧たちは口惜しい。


鼓舞する獅子舞
 夕暮れ時。墓地に揺らめくゆるやかな洋灯石油ランプ。その横に
佇む墓守。「きれいだなぁ、これが舶来の光か」見えなくとも墓守
のまぶたをあたたかく照らす幻燈の世界にうっとりとする。50年前
に行方知れずとなった系譜図が寺に戻り心は弾んでいる。深い安堵
とともに甘い眠気に誘われる。
 日はとっぷりと暮れ、漆黒の闇が増し始めた頃。春の突風が墓地
に舞い降りた。佇むランプは、その突然の訪問者にびっくりし倒れ
る。硝子は割れ、飛び出た火は命を吹き返したかのように大きく手
足を伸ばし、枯れ葉を、地面を伝って、素早く境内に飛び移る。
 はっと目を覚ました墓守は、辺りに漂う煙の匂い、バチバチと爆
ぜる火の粉の音に不安を抱く。何が起きているのだ?見えない目が
じれったい。突如、過去の過ちが走馬燈のように去来した。しずか
に降り落ちる雪。囲炉裏の温かさ。煙の臭い。燃え盛る音。何度も
唾を飲み込む感触。墓守の脇下を冷たい汗が伝う。
 風はさらに強まり、炎は喜びの声をあげながら踊る。   
 混乱した墓守は、駆けつけて来た英国の女にカッと目を向け、墓
地に洋灯を置いたのは異国人の彼女だと疑う。がそれも束の間、そ
の真剣な彼女の眼差しに目を伏せる。「火を消さなきゃ!」彼女の
怒鳴るような声で、はっと我に返る。燃え盛る炎へ目を移すと、う
っすらとした目の前の景色を視界で捉えることができた。視力が戻
ってきている!「こりゃ、マズイ!また同じことが起きるのか!」
とマツ。「このままだとまた寺が燃えてしまうっ!」とタケ。「系
譜図は無事…?」とウメ。火の手があがる寺を前にして、墓守と3
人の僧、英国の女が集結した。


散り散り
 「系譜図!!」ウメの一言に僧たちが同時に声を荒上げる。「急
げ!」「守らないと!」「でもどこにあるの?」「本堂の中よ!」
英国の女は、白のパラソルを本堂に向かって突き出す。樹木の影に
火の粉を避けるテナガザルとコジュケイ。彼らの目には、5人が小
走りに境内を進む姿が映っている。テナガザルとコジュケイは、そ
ろりと物陰から滑り出た。
 炎の群れは、辺り一面を明るく照らし、柱を屋根を勢いよく飲み
込んでいく、向かう先は本堂だ。彼らの行く手を阻む。「このまま
だと本堂も時間の問題よ。私は火消したちを呼んでくる」「系譜図
の在りかは?」焦る墓守。「本堂の中、ということしか私も知らさ
れていない」墓守と3人の僧は、彼女と別れて先へ進む。
 寺の門には英国の女、炎に負けじと大きな声で火消しを境内に招
きいれる。本堂への渡り廊下を足早に行く僧たち。手の平が汗でじ
っとりと湿っている。渦を巻く我を失いそうな不安が墓守に押し寄
せる。火の手はすぐそこまで来ている。墓守が廊下を渡り切った時、
「墓守!無理だ。火の手が上った!」その声で後ろを振り返ると3
人との間には焼け落ちる欄干から床へと這う炎で覆いつくされてい
る。原罪という言葉が脳裏を掠める。苦い失望の中、墓守はよれよ
れと先へ進む。本堂で自分ひとりとなった墓守は茫然と立ち尽くす。
 ふと動く気配に目を移す。テナガザルとコジュケイだ。コジュケ
イは墓守のお尻を突き、系譜図の場所へ促す。左手奥に5寸程の観
音様が細い笑みを浮かべて鎮座している。その横に見覚えのある巻
物、系譜図があった。一瞬、我が目を疑う。そして、後に続く歓喜
の波が一斉に全身を満たしていく。墓守の反応を察知したテナガザ
ルは巻物を抱える。我に返った墓守は、2匹を引き連れ本堂の外へ
逃れる。


碧の静謐さ
 涼やかな風が頬を撫でていく。脱力した表情の墓守。
 墓地の真ん中に置かれた系譜図。それを囲む墓守、英国の女、マ
ツ、タケ、ウメ。鎮まりかえった境内。ありとあらゆるものが、嵐
の後のしずけさを、壊さないよう身を潜めているかのようだ。
 「あとは、君に託すよ」ぽつりと墓守。寺の法灯である系譜図、
本来在るべき此処へ戻しに来た彼女なら任せられる。輝いた表情で、
系譜図を受けとる英国の女。寺院の蔵書研究に情熱を傾ける彼女は
僧の信頼をうれしく思う。すっきりした顔で空を見上げる墓守。煙
と炎が去った夜空には星々が瞬いている。
 それから三日あと。桜の新緑が僅かに芽吹き始めた境内では、火
災の片付けに人々が行き交う。穏やかで風のない一日。その中をひ
らひらと舞う白いパラソル。遥か眼下の風景を、あたたかい眼差し
で見やる1人と3人の僧たち。


後記:
これは「ものがたり」です。
編集講座で作った人生初の手作り物語です。
カタチになったときは、手元に小さな宝箱がやってきたようで少女のように嬉しがっていました。
作品としては、まだほつれがあるもの大海で泳がせてあげたく此処に放つ。
どうぞ手に取って「陽炎の舞」をご鑑賞ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?