離婚することにしました。16

私の知っている義母の口癖は「かわいそう」だった。

出産後に手伝いに来た義母はせっせと3食作ってくれた。
だけれど隙があれば子供を私に返してくれなかった。

一緒に見ていたテレビで、清原が覚せい剤で捕まったニュースをやっていた。
清原に対してもかわいそうに・・と言っていた。
かわいそう
義母が発するその言葉に嫌悪感を抱いていた。
義母に自覚はないと思うのだが、上から目線の発言が透けて見えて以前から聞くたびに苦痛だった。
義母は、大きな病気を持っているかもしれない状態の自分の孫=私の子に対しては、かわいそうとは言わない。
なんなの?
もう、何もかもにイライラした。

子供が退院して一週間がたった。
子供を返してくれない義母に、返してくださいと初めてハッキリ言った。
翌日の朝食は、食パンにスライスチーズが乗ったトーストだけだった。
前日の朝食は、サラダや果物を用意してくれていたのに。

その夜、義母が私と配偶者を呼び出した。
『明日帰ります。私がいなくても何でもできるみたいだから。』
義母はそう言った。
完全に嫌味だった。
私は体も心もボロボロで、何でも完璧に出来る状況ではないのは誰が見ても明らかだったと思う。
配偶者は鬼の形相で私を見ていた。
そりゃそうでしょうね。
大好きなママにとんでもない発言をさせた私は敵認定でしょうな。
私は泣きながら、
子供のお世話は私がしたいんです。
他の事だけをお願いしたいのに子供を返してもらえないのは心がしんどいんです。
初めて心からの願いを伝えた。
二人ともその発言を無視した。
次の日の朝、義母は自宅へ帰っていった。

義母が帰った日の夜ご飯は最悪だった。
身体も心もボロボロなのに、配偶者のためにご飯を用意しなければならないし、配偶者はずっと機嫌が悪かった。
ネットで色々調べた結果、私は産後鬱だと思うことや精神的に今もつらいことを配偶者に丁寧に全部話した。
配偶者は、
『貴女の話がそうだったとしても、母親にした行動は許せない。』
そう言ってそれ以降は黙った。

ベランダでミッキーマウス柄のタオルを干していた。
このタオルが欲しいと思って泥棒が来たらどうしよう。
玄関のカギを閉める時も、誰かがこの瞬間を見ていて鍵を複製されて泥棒が入ってきたらどうしよう。
子供が保育園に入園してからママ友になった方のご家族に不幸があっても喪服を持っていないしどうしよう。
そういったことが頭をずっとぐるぐるしていた。
私の頭がおかしくなっている事を心配した会社の同僚が毎日連絡をくれていたが、私はその女性に毎日、喪服がないからどうしよう!と言い続けていた。
完全に心が壊れた状態だった。
配偶者に話しても理解してもらえないことで完全に私の気持ちは配偶者から離れた。

私はずっと、義母と配偶者を許せないと思っている自分が許せなかった。

芸人さんが出ている最近の番組はトーク番組が面白くて楽しく観ている。
売れている芸人さんの多くが、若手時代にひどい扱いをしたディレクターを誰一人として許していなかった。
無理して許さなくていいんだと分かり、ようやく心が軽くなった。
そう、今もこの時の深い悲しみは忘れていない。
許さなくてもいいやという結論に至った。



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