離婚することにしました。22
去年、子供は小学2年生になった。
家庭内別居は7年を超え、転職したことも伝えなかった。
子供を連れて配偶者が実家に帰省している時に一人で海外旅行も行った。
一緒の家に居るだけ。
相手が何をしているのかも知らないし知りたいとも思わなかった。
子供が小学生になる少し前、私は微熱が続いていた。
そして、突如立てなくなった。
とにかく力が入らないのだ。
病院に行っても待合室で座っていられず横になっていた。
血液検査を受け、白血球数値が4倍になっているとのことだった。
抗生物質の点滴を受けに毎日来てくださいと医師に言われ、泣いた。
入院させてもらいたかった。
体調が悪くても看病してもらえる環境ではないのだ。
体調が悪いと精神的にもえぐられてしまう。
配偶者に子供の世話を依頼した。
それから5日間絶食だった。
泣く気力も失った私はただただ病院に行って点滴を受けた。
2023年10月のある平日、会社の記念日か何かで休みだった。
買い物をしに銀座に行った。
用事を済ましてもまだ15時。
映画でも観るか?と思ったその時、
あ!区役所に行こう!
なぜかそう思った。
区役所の受付で離婚届が欲しいと伝え、窓口で離婚届を受け取った。
書き損じ用に数枚貰った。
区役所から出ると、なぜかスキップしたい気分で少し走った。
そうだ!
離婚したかったんだ、ずっと!!!
相手を責めるのも疲れた。
相手を責めても私の心がスッキリすることもなかった。
そんなことよりも、現状を誰かのせいにする自分が許せなかった。
私が生きている私の世界は、私のものだ。
私が決めていいのだ、これからのことを。
ウキウキで家に帰った。
帰宅した配偶者に7年ぶりの笑顔で離婚届を渡した。
離婚しましょう!
笑顔でそう伝えた。
このままの状態でいても良いことがないし、離婚しましょう!
と。
配偶者はなぜか狼狽した。
なぜ?
こうなる未来は予見していなかったのか?
でも、いい。
そんなことよりも離婚するのだ、よりよい未来のために。
自分を憎み続ける人と一緒の空間で生活するのは正直言うとつらかった。
休まらない毎日。
離婚届を渡した次の日から毎日、配偶者から手紙を受け取った。
手紙を読まなくても良かったし、どうでも良かった。
けれど読んだのは、こちらの不利な内容が書いてあって、
手紙に書いたでしょ?と言われるのが嫌だったからだ。
もうそれ位に相手のことを信用していなかった。
不利にならないか?そんな事しか思いつかなかった。
やり直したいと書いてあった。
え?
現状維持と言っていたし、離婚の意志が決まれば話し合いに応じるけれど、それまでは話しかけるなと言ってたじゃん。
ふーんと思い、読んだ手紙をソファに置いた。
何通目かの手紙を受け取った時、配偶者が話しかけてきた。
『なんでいつも俺はこうなんだろう、俺は・・・』
はて?
知らんよ、私の問題ではないよ?
私は笑いながらそう言って受け取った手紙を読んで腹が立った。
その手紙の最後の一文に。
手紙の最後に、
子供はお母さんのことが大好きです。
そう書かれていた。
離婚するのは我々二人の問題であるのに、子供を持ち出してきたことに腹が立った。
誤字脱字の多い文面も汚い字体にも既にうっすらと腹が立っていた。
手紙を持って配偶者の居る部屋に行った。
もうこれ以上手紙もいらないし、子供を道具として扱って何がしたいのよ!
ようやく手紙が来なくなった。
そして初めてビジネスライクに離婚について話を進めることが出来るようになった。