オランダ紀行-なぜオランダ人は幸せなのか-
はじめに
Hallo!オランダに行ってきました。
オランダかぶれですみません。福岡県で乗富鉄工所という水門メーカーを経営している乘冨です。このたびオランダに本社をもつエヌエヌ生命さんによる中小企業支援事業「オランダスタディツアー」のメンバーに選出して頂きオランダに行ってきました。このプログラムは中小企業経営者にサスティナビリティ先進国として知られるオランダの循環型経済の事例やサービス、テクノロジーを学んでもらい、それぞれの事業、ひいては地域社会に還元することを目的として実施されています。約7日間の短い滞在でしたが「サスティナビリティ」「デザイン」「文化の再構築」「公共」などのキーワードからオランダという国を知ることで日本のことが見えてきた部分があります。また、オランダ中央当局の2021年の調査によるとオランダは成人の80%が人生に満足しているそうです。なぜオランダ人は幸せなのか、短い期間でしたがその片鱗を感じることができました。これらは私たちの事業に少なくない影響を及ぼすだろうと感じています。
今回の頂いた貴重な機会は事業を通してしっかりと社会に還元していくつもりですが、この体験をそのまま伝えることで生まれるものもあるのではないかと感じたのでnoteで公開させていただくことにしました。不勉強かつ語学力に乏しいので勘違いや事実誤認もあるかもしれませんがオランダ人のようにフレンドリーに教えていただければ嬉しいです。笑
16000字オーバーとかなり長いので結論だけ見たい方は「9/16(月) 旅の終わりに」にあるまとめを読まれるといいかもです。では、日記形式で書いていきたいと思います。
9/9(月)
エヌエヌ生命本社 / デン・ハーグ
エヌエヌグループの本社を訪問。ビルの内部にはいたるところに廃材から作ったカーペットやプランターなどサスティナビリティをテーマにした調度品やアート作品が展示してあるのが目に付いた。社員や来場者の方のサスティナビリティマインドを高めるためだという。
エヌエヌグループでは “We help people care for what matter most to them.(あなたの大切なものを守りたい)”というパーパスを掲げており、社会的弱者を守りつつ社会全体の幸福を上げるために利益の1%を社会へ還元(去年は2000万ユーロ)しているほか、事業そのものもそのような理念に沿った形で行われているという。その中でも象徴的なグループが今回お話を伺ったサスティナビリティを推進するグループだそう。これが非常に興味深かった。
同社にサスティナビリティを推進するグループのアレン氏は社会人類学者であり、金融分野でサスティナビリティに関する活動を29年前から行っているプロフェッショナルだ。同チームは彼含む10人でオランダ国内だけで8000人いる会社の活動を方向付けている。アレン氏は自分の役割をConnect Sustainable Officerだと言っており、権限は持たない代わりにCEOやマネージャーに「ニコニコと」直接進言して組織に影響力を及ぼしているそうだ。サスティナビリティマインドを高めるための啓蒙活動からはじめ、現在は技術をもつ専門企業とコラボレーションすることによってサスティナビリティなプロダクトやサービスを提供することに注力しているという。まさに人文知の社会実装だ。以下、アレン氏の言葉から印象に残ったもの。
陽気でよくしゃべるアレン氏はビジョン・ドリブンならぬサスティナブル・ドリブンともいえる思想に近いレベルで情熱的に語っていた。「サスティナビリティな製品は得てして高価であり市場競争力を維持するのは困難だが、どう考えているのか?」という質問には「それは非常に難しい問題であり私たちも試行錯誤している。消費者のサスティナビリティマインドを高めつつ、地道にビジネスとバランスさせていくしかない。最初は小さくターゲットを絞り、時間をかけて市場を育てていく」と答えてくれた。
オランダでは心に疾患を抱える若者が増えており、その理由のうち大きな部分を占めるのが「気候変動への不安」であるという。日本ではちょっと考えられないが、国土が海より低く国家誕生以前から水と闘ってきた国民だからそういった部分に敏感なのだという。オランダにおいて気候変動は次世代のための問題ではなく今、目の前にある危機なのだ。
本筋とは関係ないがオランダの代表的な工芸品であるデルフト焼きが有田焼に似ているなあと思って質問したら、デルフト焼きは東インド会社によって持ち替えられた有田焼の技術を模倣して作られたらしい。九州とのつながりが感じられてちょっと嬉しくなった。
マウリッツハイス美術館 / デン・ハーグ
オランダはレンブラント、フェルメール、ゴッホなどそうそうたる画家を輩出してきた芸術大国だ。オランダ総督ウィレム5世と、その子のオランダ初代国王ウィレム1世の収集が中核となっているそうで、1500年代から1600年代のオランダ建国当初の素晴らしい作品を多く見ることができた。画集やレプリカでさんざん見たフェルメールの「真珠の耳飾りの女」「デルフトの眺望」はもちろんレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」やルーベンスの『ろうそくを持つ老婆と少年』などの素晴らしい絵画を、照明を落とし自然光を多く取り入れた館内でゆっくりとみられる貴重な体験をさせて頂いた。
行きの飛行機の中で読んだ「物語 オランダの歴史」によると、オランダは16~17世紀に信仰の自由をめぐってカルヴァン派がスペインと対立し戦争の末独立して以来、自由と寛容を最も重んじる国であるという。血みどろの闘争の中、命を懸けて人間の心を大切にしてきたオランダ人の魂が、陰影と精密な描写で人間の心を鮮やかに描き出すオランダ絵画にも生きているのかもしれない。
9/10(火)
ブルーシティ / ロッテルダム
大戦後の住宅復興のあと、政府主導でエンターテイメント施設として作られたプールが2000年代に閉鎖された際、民間の企業がスタートアップと組んで生まれたインキュベーション施設がブルーシティだ。スタートアップは月300€から共用のラボやオフィスを利用できるという。ここでもキーワードは「サスティナビリティ」。例えばここにはVET&LAZYというオランダでは有名なビール醸造所が入っているが、ビール生産時に生まれる廃棄物を利用して石鹸やパッケージをつくる会社やイースト菌から出たCO2で「スペルリナ」という海藻を育てるスタートアップも入居しており、各社が連携しながら共同でサスティナブルなビールづくりを行っているらしい。ほかにも排泄物から水と肥料を生成する実験を行うスタートアップや廃棄マンゴーから絞った液体でレザーのような素材を生み出すスタートアップなど多種多様な企業が50社以上入居しているという。
建物のリノベーションはリユースした素材を多く使うことが特徴の「スーパーユーススタジオ」が担当し、建設時に112トンのCO2の削減に成功したという。廊下に面したオフィススペースの窓がユニークな形になっていたが、これは廃病院からもってきた窓のサイズが合わなかったため、窓に合わせる形でデザインしなおしたためだという。ここでもサスティナビリティという目的のためにデザインを手段として使うという姿勢を垣間見ることができた。館内に植物がたくさんありリラックスした雰囲気が感じられたが、これらはイベント時に地域住民からいらなくなった植物を寄付してもらったのだという。こちらも植物の有効利用という目的のために仕組みをデザインしたともいえる。
デルフト工科大学 / デルフト
デルフト工科大学は1982に当時の国王ウィリアム2世によって設立された名門校で、ノーベル化学賞を受賞したヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ、画家のエッシャー、フィリップスの創業者、ブルートゥースの発明者などを輩出しており、オランダのMITとも呼ばれている。グローバル企業とのコラボレーションやスタートアップ支援にも力を入れており、大学が主導するYES!DERFTというインキュベーションプログラムからは410のスタートアップが生まれ、83%は現在も事業を継続できているという。大学の紹介のあと、量子テクノロジーに関するイントロダクションを受け、様々な分野に応用できる可能性である技術であることを学ぶことができた。
大学とは直接関係がないが、デルフトに向かうバスでの道中に車窓から農業地帯の風景を眺めていて、幹線道路以外にはガードレールと護岸がほとんどないことに気付いた。水辺が近く、人工物が最小限に抑えられているのでとても気持ちがいい風景となっている。オランダの国土のほとんどがフラットであり降水量や地震の有無、工作物の違いもあるため一概に比較はできないかもしれないが、自由を重んじ自己責任が基本となるオランダと、「安全第一」の日本の精神性の違いが異なる風景を作り出していることは興味深い。ちなみに日本の農業地帯には大量にある小型水門は車窓からほとんど確認できなかった。治水システムも日本とは事情が異なるのかもしれない。
FOOD X / エーデ
もとは国有の軍事基地だったが、軍縮に伴い現在は食にまつわるスタートアップのインキュベーション施設として使われている。同施設があるエーゲには世界的な農業学校ワーゲンニンゲン大学があることもあり、食に関するイノベーションを目指す企業が多くシリコンバレーならぬフードバレーと呼ばれているという。FOOD Xからはジャガイモを種から育てられるようにした会社やスーパーに並ばない形が悪い農作物をレストランやホテルにEC経由で販売できるようなサービス、培養肉を研究するスタートアップが生まれている。
オランダはアメリカに次ぐ世界第2位の農業輸出国であり、農業生産性は世界でもトップクラス。オランダの国土は九州程度であるため、土地当たり生産性も圧倒的に高いことが分かる。なぜそのような違いが生まれるのか聞いてみると、フードサプライチェーンのあらゆるパートに主要なプレイヤーが存在し、限られた土地から最大の成果をあげるため日夜イノベーションに取り組んでいるからだという。
わかるような気もするが、日本でも状況としては近いはず。ここからは個人的な推測だが、多くのステークホルダーを巻き込んで徹底的な議論を行うことで業界横断的に施策を決める”ポルダーモデル”が関係しているような気がした。日本は単一事業者内では少数でものごとを決める傾向が強いため決断は早いが、さまざまなステークホルダーがいる状況ではお互いに空気を読みあった結果タブーが生まれ、互いの利害が衝突する領域ではイノベーションが起きにくい。根底には相手に対する「遠慮」や「配慮」があるように思う。もちろんそれがいい方向に作用することもあるが、ことオープンイノベーションの文脈においてはオランダのポルダーモデルに見習う部分は多くあるのではないか。
オランダ人はプライベートな時間を大切にして長時間労働はしない。仕事中もよくしゃべっており根を詰めているようには見えないが、何事にもオープンで話し合いを恐れない。そのような人々が世界有数の生産性の農業生産性を実現し、古くは東インド会社にはじまる巨大なグローバルビジネスを生んできたのだ。
Tomasu Shoyu / ロッテルダム
パン屋を家業にもつオランダ人のトマス氏が醤油づくりのドキュメンタリーをみて「自分にもできるかも」と独学で始めた醤油醸造所。バーボンの樽で醸造される薫り高い醤油が評判となり、日本からも多くの視察が訪れるという。
醤油づくりは土からはじめ、大豆の生産から醸造に至るまでパッケージング以外はすべて手作業にこだわって行っているという。土づくりから醤油になるまで3~4年程度かかるそうで、トマス氏いわく、「醤油を作るのは、自然、時間、職人技」。今でこそ日本の醤油醸造所とのやりとりもあるが、当時は独学であったため日本の醤油づくりの「常識」とされる部分を踏襲せずオリジナルの部分が多くあるという。日本の常識を学んだ後も多くのやり方は自分で編み出したものを使っておりそれがトマス醤油のオリジナリティに繋がっている。ナポリタン然りタラコスパ然り、こういうのは日本の得意技だ。松岡正剛氏は著書の中で日本文化の核心は異文化のリミックスにあると語っているが、トマス醤油はオランダで生まれた醤油の”リミックス“と言えるが、日本人のお株を奪うようなことをオランダ人のトマス氏がやっているというところが面白い。家業のパン屋で学んだ小麦の扱いも醤油づくりに生きているという。
トマス氏は語る。「私はこれからも毎日醤油をつくりたい。醤油をつくる生活を愛している。一日の終わりに工場の片隅に座り醤油が生まれている香りを感じるのが幸せだ」
手法は変わっても、仕事に「道」を見出す日本の職人の美意識は伝わっているようだった。
9/11(水)
デルタパーク Neeltje Jansミュージアム / ぜーランド州
オランダは12世紀から干拓(ポルダー)が行われており、国土の約30パーセントが海抜より低い。このため古くから治水が問題となっており、風車も農地の排水のために生まれたものだ。長い歴史の中で水との共存を図ってきたが、1953年、嵐と満潮が重なり北海から高波がゼーラント州の多くの場所で堤防が決壊し、死者約1800人が出る未曽有の大災害が起こった。二度とこのような惨事を引き起こさないようにと立案された世界でも最大規模の治水工事がデルタ計画である。1958年に着工され、ダム、堤防、防潮門など13の主要な設備を作り上げ39年後の1997年に主要な設備が完成した。
今回訪れたのはデルタ計画の中でも最大の施設であるオースタースヘルデ防潮堤の近くにあるNeeltje Jansミュージアム。デルタ計画の経緯について水害体験プログラムや映像を通して学ぶことができる施設であった。オースタースヘルデ防潮堤は全長約9kmに及ぶ超巨大構造物であり、幅40m高さ12mの可動式水門(スライドゲート)が62門も並んでいる。乗富鉄工所が手掛けた水門の中で最大のものは糸島市の転倒堰であり、約2年の工期で幅19.5m高さ3mのゲートを作ったがその8倍以上大きい。それが62門…途方もないプロジェクトだ。水門の基本的な構造は日本のそれと大きく違わないように見えたが防潮水門であるため波の影響を軽減する独特な消波構造がついている。水門を設置するためのクレーン船をはじめとする重機もこのプロジェクトのためだけに作られており、まさに国家の命運をかけたプロジェクトであった。
施設の巨大さもさることながら、プロジェクトの進め方が非常に興味深かった。デルタ計画が実施されていた1970年代はヒッピーカルチャーや学生運動が盛んで環境問題に世論が大きな関心を寄せる時期であった。そのため、これだけ大掛かりな水門で海と河川を仕切ってしまうと生態系に影響があるという事で反対運動がおこり、工事がストップしたという。その後、非常時以外は水門を閉めないということで議論が決着したため、オースタースヘルデ防潮堤は常時解放されており、既定の水位を超えたときにだけ閉まるようになっている。現在は年に1回閉まる程度であるという。近年、日本の水門でも水質浄化や生態系の回復を目的として水門を開ける先進的な事例も出てきているが、さまざまなステークホルダーが絡むため合意が難しいためごく一部に限られている。オランダではとてつもない規模のプロジェクトで半世紀以上も前からそのような議論の末に開門という選択に至ったことはよくよく考えないといけない。
オランダの水との戦いは終わっていない。気候変動により2080年には水位が1m上がると予想されているが、そうなるとオースターヘルデ防潮堤は冬季の3か月はずっと閉まっているという状況になることが見込まれている。このため、現在さらに大規模な水門が計画されているが、議論がまとまっていないという。国国民の命がかかる重要な決断を「ポルダーモデル」のオランダはこれからも行っていくのだろう。毎年のように地震や水害に見舞われている日本人としては、オランダから学び、日本の国土・国民に即した形を作っていかなければならないと感じた。
テキスタイルミュージアム / ティルブルグ
ティルブルグは農業に適さない土地であったため、産業革命以前から羊を育て織物をつくる産業が発達した。織機は手動から蒸気機関、電気式と変遷してきており、様々な織り方ができるという。テキスタイルミュージアムは時代時代で移り変わってきた機械を展示し織物文化を伝える役割を果たすのだが、民間の企業やアーティスト、デザイナーなどからの依頼を受け有償でテキスタイルを生産するという機能ももっているところが面白い。このため展示されている機械の多くは現役であり、ミュージアムを見るというより工場見学に近い体験だった。
現在は多くの羊は草刈りのために飼われているため羊毛の80%が捨てられており、最近ではそれを生かしたプロジェクトが若者中心にすすめられているそうだ。有効活用できていないものがあればスタートアップがサスティナブルなビジネスをはじめるというモデルはオランダのあらゆる業界で起こっていることなのだろう。
テキスタイルミュージアムの後にアーティストのシグリット・カロン氏を訪問。版画、テキスタイル、壁画、インスタレーション、陶芸など、多様な媒体で活動されているカロン氏は日本の有田や富士ともコラボレーションをされたことがあるそうだ。カロン氏は自分で写真を撮ってその画面からインスパイアされて作品をつくることが多いそうだが、「リズムとコンポジション」を意識するという。少し前に読んだ千葉雅也氏の「センスの哲学」という本にリズムとビートであらゆる現象をとらえることが大切であると書かれていたがその感覚に近いのかもしれない。カロン氏が撮った写真を見せて頂いたが、色とラインの組み合わせが特徴的で、素人目にも彼女の作品に通じるものを感じることができた。
9/12(木)
ロッテルダム市街地 / ロッテルダム
最終日のフリータイムは徒歩と自転車でロッテルダムの水路を散策した。電線は地中化されており、広い地域で昔ながらの街並みが残っている。ほとんど護岸されていない農地とは異なり河川の護岸の多くは煉瓦や石積みで護岸されていたが、日本と比べて水との距離が近く感じた。バスの車窓から農業地帯の道にガードレールがないことに驚いたが、都市部にもほとんどガードレールが存在しないのだ。水面から結構な高さがある場所でもガードレールや柵がない。日本では考えられないことだが、オランダでは「ディプロマ」と呼ばれる水泳の資格取得が義務付けられており、その中に着衣水泳の単位があるらしい。日本では「子供が落ちたらどうする」となるところだが、「落ちたら泳げばいい」というのがオランダ式の回答ということなのだろう。失敗を防ぐのではなく失敗しても死なないようにするというオランダ人の姿勢は、大学、民間、政府系などさまざまなスタートアップのインキュベーション施設があることからも感じることができる。
しかし、徹底した自己責任の社会なのかというとそうとも言えない。オランダには「水税」と呼ばれる税金があるそうで、水の使用量に応じた税金の負担が義務付けられているという。ツアーにアテンドして頂いたカメラマンの方に聞いてみると、年5万程度くらい、ということだからまあまあ高い。水税は水門をはじめとする水インフラや排水処理などに使われるらしい。これがあるからオースタースヘルデ防潮堤などの超巨大インフラが作れるのだ。ガードレールはないのにあんなとんでもない施設を作ってしまうなんてちょっと不思議な感覚だが、日本人は個人が生活感覚として危ないと感じられる部分にPublicな投資を期待して、オランダ人は社会全体に関わるような大きな部分にそれを振り向けているのだろう。暮らしに密着した感覚こそが日本人的だと捉えることも可能かもしれないが、日本人が苦手な異なるステークホルダーとの合意形成の難易度とも無関係ではないだろう。一般的に日本人は集団主義で西洋人は個人主義だというが果たして本当にそうかと思わずにはいられない。
また、オランダにはさぞかし大量の水門があるのだろうと期待してきたが、中~大型のものはいくつか見ることができたものの日本によくみられる小型水門はかなり少ない印象だった。町を歩くだけでは詳しいことは分からなかったが地形がフラットなので水路の水量をまとめてコントロールする柳川の掘割と同じ方式をとっているのかもしれない。
ロッテルダムの町を歩くとボート、水上舞台、跳ね橋などを目にするポイントが至る所にあり、水との近さを感じられるよう町がデザインされている。デザインとは人間の感性に照準を合わせてものごとを計画する行為だ。効率や安全などわかりやすい指標とは別に「なんだか気持ちがいい」という感性を大切にするカルチャーが根付いているのかもしれない。
9/13(金)-9/15(日)
MONO JAPAN FAIR / ロッテルダム
日本の伝統技術を生かして作られたさまざまなモノをオランダ人に紹介する展示即売会がMONO JAPAN FAIR。ロッテルダム市内のホテルのフロアを貸し切り、各部屋で展示を行うという珍しいスタイルだ。スタディツアーにその視察が組み込まれていたが、別途費用を払えば出展も可能だということなので、思い切って出展することにしていた。商品が大きいので販売は諦めサンプルとECサイトのQRコードだけを持ってきたがそれでもスーツケース3個になってしまっていた。
3日間にわたって行われたこの展示会。JAPANと銘打つだけあって日本好きのオランダ人はもちろんオランダ在住の日本人や日本にゆかりがある遠方の方も多く集まり、お祭りや同窓会のような雰囲気だった。私たちの展示室にもたくさんのお客様がいらっしゃり、ほとんど休む間もなく下手な英語を喋り続けあっという間に3日間が過ぎ去った。今年1月にドイツの展示会に出展した際は商社やショップの方と商談して好印象であったが、今回の展示会では一般の方が多く生活者としてのリアルな反応を知ることができた。
まず、一番言われたことは”Mooi(美しい)”であった。デザインの美しさは説明不要であり、本当に拘りぬいた部分であったのでこれはとてもうれしいことだった。私たちの商品は日本のアウトドアシーンを想定して作ったものなので欧州のアウトドアカルチャーには合わないのではないかという懸念もあったが、コンパクトで機能的、余計な装飾を排した堅実なつくり、そしてノリノリライフのプロダクトに特徴的なカラクリのような機構が「日本的」だと感じてくれたようだ。大人数で巨大なグリルを囲みパーティのようにアウトドアを楽しむ欧米スタイルに対して、日本のソロキャンプやディオキャンプの雰囲気をうまく伝えられないかと試行錯誤の末『Like a Zen meditation』と説明することで静かに自然と向き合う日本のアウトドアの精神をイメージさせたら、納得したような顔で大きくうなずいていた(もちろん禅の瞑想とは異なるのであくまで雰囲気、likeである)。市場に合わせに行くのではなく、独自性をもってカルチャーごと伝えていくほうが私たちにとっての正解なのだろうと改めて感じた。
また、通訳の方の提案により今回の展示会ではプロジェクトのバックボーンを丁寧に説明することを心がけた。水門メーカーがキャンプギアを作っているかとか、水門の技術がプロダクトにどう生かされているのかとか、それがどう社会に影響していくのかとか、そういう部分を伝えると「素晴らしいプロジェクトに感動した。応援している」とおっしゃる方が多くとても勇気を頂いた。職人技×デザイン×異業種コラボレーションのものづくりで繋がりを生み出すノリノリプロジェクトの社会的意義が、サスティナブル先進国のオランダの方々にも通じるのだと大きな自信になった。
それだけに「商品を買いたい」という多くのお客様には申し訳ないことをしたなと反省もある。ECサイトのカードは渡したが、やはりその場で持って帰ってもらえたらスペシャルな体験だっただろうなと思う。次回出展することがあれば、必ず販売できるようにしておきたい。
9/16(月) 旅の終わりに
さて、長いようであっという間だったオランダツアーを終え今は帰りの飛行機の中。本当にいろいろなものを見たり聞いたりする中でいくつかの共通点と日本人である私たちが生かせそうなことが見えてきたような気がする。忘れないうちに書きとめておけたらと思う。
サスティナブルという目的地
国土の30%が海抜0m以下で海水面上昇が国家にとってクリティカルな問題となるオランダでは地球環境に対する意識が非常に強い。心を病む若者の理由の上位に「気候変動への不安」があることは象徴的だ。日本でサスティナブルというとどこかバズワードのような雰囲気があるが、オランダ人にとってサスティナブルという言葉は夢物語やビジネスのための方便ではなく、実現しないと暮らしや生命の危機に直結する緊急の課題であるということをさまざまな場面で感じた。サスティナブルな世界はどこかのだれかが作ってくれるものではなく、全員が目指さなければいけない目的地なのだ。
日本でも気候変動の影響により河川氾濫が増えているので、もちろん他人事ではない。経営者であれば事業を構想する際に地球環境への影響は必ず考慮すべきであろうが、生活者としても、環境に配慮した商品を選ぶとか良いものを長く使うとか、小さなことからでもはじめられるはずだ。消費者の意識が変われば市場が変わり、巨大な影響力をもつような企業でさえもサスティナブルな方向にビジネスをもっていかざるをえなくなるだろう。
手段としてのビジネスとデザイン
オランダ人は暮らすために働くという意識が強いという。残業はほとんどしないし遅くまで開いている店は少ない。設備は古いしご飯は日本が圧倒的においしい。適当に店に入るとコスパの悪さに驚かされることになるが「ここなら大丈夫だろ」とケンタッキーに入ったら、価格2倍でお肉は2割小さかった。オランダの鶏は小さいのだろうか。そんな状況にもかかわらず2021年の調査によるとオランダ人の成人の80%以上が人生に満足していると答えたという。世界幸福度ランキングでもオランダは5位、日本は先進国最低の46位。こういうことを書くと「外国かぶれ」とか「西洋と日本は違う」とか言われそうだが、まさにそのような不寛容が日本人の幸福度を下げているのかもしれない。オランダは宗教の自由を認めましょうということから80年にも及ぶ長い戦争を経て17世紀にスペインから独立した筋金入りの「寛容国家」だ。人間は人間関係によって幸福を感じる生き物である。ご飯が安くておいしいとかいつでもサービスが受けられるという便利なものとひきかえにしているものがないか、一度立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれない。
デザインも人間の感性にフォーカスする取り組みだ。宿泊したホテルはかなり古い建物をリノベーションしておりタオルハンガーががたついていたりエレベーターが驚くほど遅かったり不便な点もあったが、モダンなデザインが各所に施されており全体的に心地よい空間だと感じた。廃プールを改修して作られたブルーシティというインキュベーション施設でも、サイズが合わない廃病院の窓を使うために凸凹の窓枠をデザインしモダンな印象にしていたり、街中でも古いものを長く使ったり再利用したりする際にみすぼらしくならないようにデザインされているものを至る所で見ることができた。ビジネスもデザインも、サスティナブルな世界、そして人間が長く幸福に生きていくための手段なのだ。
しかし、日本もモノのデザインのレベルは決して低くない。日本の工芸を扱うMONO JAPANには大勢のオランダ人が来ていて口々に日本のデザインのすばらしさを語っていた。しかし街並みやビジネスなどスケールが大きなものから生活の中の小さな部分にまでデザインが活き届いているという点ではオランダに水を開けられている。たぶん、どんなところにでもデザインが必要であるという意識がオランダ人は高いのだ。幸い日本でも最近はデザイン経営やデザイン思考に関する書籍が充実しているのでそういったところから学んでみるのもいいし、日常の暮らしにデザインを取り入れるみたいなことからはじめてみるといいかもしれない。
異文化のリミックス
ツアーで訪れたトマス醤油のトマス氏はパン屋を営んでいたが、醤油づくりのドキュメンタリーを見て「自分にもできるのではないか」と感じて土づくり・豆づくりから行う醤油醸造所を立ち上げていた。まさにアトツギ・ベンチャーである。パン屋で使う小麦乾燥機を使ったりバーボンの樽を使ったりと日本の伝統的な醤油づくりとは明らかに異なる要素があったがそれらは意図的なものであり、アレンジ、リミックスというべきものだった。かといってビジネスのために日本文化を都合よく使っているというわけではなく、「私はこれからも毎日醤油をつくりたい。醤油をつくる生活を愛している。一日の終わりに工場の片隅に座り醤油が生まれている香りを感じるのが幸せだ」というトマス氏の言葉からは”醤油道”とも言いたくなるようなこだわりと愛を感じた。
伝統的な手法や製品がいくら素晴らしくても、時代や風土に合わせて変えていかなければ資本主義の現代社会の中で生き残っていくのは難しい。日本は古来より中国文明の影響をリミックスして様々なものを生み出してきた。そういう意味ではトマス氏が行ったような大胆なリミックスこそ、日本の伝統的な手法なのかもしれない。そう考えてみると有田焼きを模倣して作ったというデルフト焼きも同じ構造である。
異文化を取り入れて自分たちのバックボーンと掛け合わせて大胆にリミックスしてしまう。自分なりのトマス醤油やデルフト焼きを構想してみると面白いかもしれない。
公共について話すこと
干拓によって土地を広げてきたオランダは限りある水資源というpublicなものを通して古くから異なるステークホルダー同士の利害関係の対立に向き合ってきた。その中から政府、企業、市民団体が三位一体となって対立を避けながら問題解決を目指す「ポルダーモデル」とよばれる独特の合意形成の仕方が生まれたという。このモデルから生まれた最大のものが50億ユーロもの莫大な国家予算と39年の年月を投じたデルタ計画であるが、環境影響を懸念する市民デモによりデルタ最大のオースターヘルデ防潮堤の工事がストップし、最終的に常時開門という決断に至ったことは瞠目すべき事実である。
マース川が流れるロッテルダムは水に近い町だ。支流がいたるところに流れており、ほとんどの水辺は綺麗に整備されており人が歩けるようになっている。ガードレールがない代わりに跳ね橋、ボート、水上舞台、公園など水辺でリラックスするためのインフラが至る所にあり、普通に歩いていても水を意識することが多い。それが自由を重んじ、少ない資源を徹底的に利用するオランダ人の精神が作り出した町の姿なのだった。
デルタ計画、美しい街並み、サスティナビリティ、スタートアップ支援…今回のツアーではオランダを様々な側面から学んできたが、オランダ人が大事にする自由とは、互いに無関心で無責任に好き勝手にやるということではないことに思い至った。オランダ人はよくしゃべる。ただの文句のようなものもあるけれど、その本質は様々なものごとに意見を言えるオープンな雰囲気があるということだ。今回出会った多くのオランダ人はニコニコとフレンドリーであったが、立場が違っても互いを尊重して議論を進めるためには大切なことだ。たとえ利害が衝突するような場面であっても、相手がフレンドリーでオープンマインドであれば「そうだよね、あなたも大変だよね」と、言いたくなってしまうのが人間だ。
日本では公共について話すことが難しい。政治のこと、まちのこと、インフラのこと。どれもそこに暮らす人に大きくかかわることなのに、「下手なことを言うと叩かれるのではないか」とか「馬鹿だと思われるんじゃないか」という恐怖があり、毎日誰かがインターネットで炎上している。結果、利害関係が衝突することはおろか全員がいいと思っていることでも「だれか偉い人がやってくれたらいいのに」と思っている状態になるが、「偉い人」であろう政治家や行政機関も、ステークホルダーの調整に疲れ果てている。ビジョンがないわけではない。Publicなことに意見を表明することのリスクが高すぎるのだ。インターネットで明らかに自分と違う意見を見かけると一言いいたくなる気持ちはわかるけれど、ポストする前にその発言によって何が起きるか想像を巡らせる必要がある。相手を傷つける可能性があるのはもちろん、だれも意見が表明できず何も変えられない停滞した社会に一歩近づくかもしれない。
なぜオランダ人は幸せなのか。それは人間の感性についての繊細な感覚をもっているとかオープンマインドであるとか様々な要素が考えられるが、やはり寛容を重んじるカルチャー、そしてそれによって誰もが意見が言いやすい雰囲気ができているということが大きいのではないかと思う。私は日本が好きだし日本には西洋にはないユニークなカルチャーがあると思っている。だからこそ、宗教の自由から生まれた寛容の国オランダから学び、批判を恐れず自分の意見を表明していきたいと思う。
乗富鉄工所はどうするのか
ここまで読んでいただきありがとうございました。オランダツアーのレポートは以上ですが、最後にオランダツアーを経た水門メーカーである乗富鉄工所がどのような未来に向かうのか、それを書いて終わりにしたいと思います。
川と人の関係を編み直す
オランダが気候変動による海水面上昇で国土の危機にあるように、日本ではこれまでにない集中豪雨による河川の氾濫が後を絶ちません。日本には山がちな地形が多く河川の流れが速い。地形が違えば問題の種類も違うんです。だからこそ水門が発達してきたわけですが、これまでのやり方では限界がきているのも事実。
乘富鉄工所は福岡県の水都柳川に本社を水門メーカーであり、半世紀以上にわたり九州の水門を手掛けてきました。実は日本は水門大国で100万門もの水門があるという試算があります。目立たないので気付いていないと方がほとんどですが信号機の3倍以上もあるんです。これまで水門をはじめとする水のインフラの建設を通して暮らしを守ってきたことはとても重要で意義深いことであったし、これからも変わらない部分です。しかし、変えていかなければいけない部分もあると思っています。
今回訪問したオランダでは、「人間にとってよいことにはなにか」を徹底的に考え、少ない資源を活用する姿勢を至る所で感じることができました。しかし、その中にはそれが水と緑が多い住環境、土からつくる醤油、古い家屋や古材の最利用など一見非効率なものも含まれていました。気候変動から生き残るという意味合いが大きいのだと思いますが、暮らしの中の繊細な感覚へのまなざしが確かにあると感じました。水が近いと嬉しいとか、緑が多いと気持ちがいいとか、そういうことを大切にする感覚です。
私たちが作ってきた水門は水の流れを止め自然をコントロールするためのもの。土地の勾配が多い日本で暮らしを営むために必要不可欠なインフラですが、場所によっては流れを止めることによって生態系へ影響を及ぼしたり、河川の汚染が進んだりすることもあります。そのことに問題意識をもち行動を起こされている先駆者の方々もたくさんいらっしゃるけれど、ソフト面での取り組みが多くハードからのアプローチはあまりみられません。いまこそ自然と暮らしへの繊細な目線から「人間的な」事業を構想する必要があるのではないかと思っています。
たとえば、日本の水門の多くは手動であり管理人不足が問題になっています。水量が増えた際にすぐに水門が動かせないと不要な水害を引き起こす可能性があるため、乗富鉄工所ではスタートアップと連携して手動水門の自動・遠隔化事業を行っています。人手不足の解消が喫緊の課題ですが、多くの水門を連携して動かせるようになることで水に流れをつくることができるのではないかと思い大学との連携もはじめつつあります。日本には古くから水を巡って対立してきた歴史もあるので多くの人が「こうしたらいいのに」と思うような状況があってもなかなか議論がアップデートされないという側面がありますが、管理人不足という緊急の課題をフックにインフラを整え、みんなが議論できる状況を作れればその先の世界も見えてくるかもしれない。
そして水門は川という自然と人間の暮らしが交差する場所でもあります。水辺にあるので気持ちがいいし、使わている水門の周りには必ず暮らしの気配がある。私が言うのはどうかと思うのですが、もう使われなくなった廃水門に木々が生い茂っている様子なんかもエモくて最高です。乗富鉄工所でも試験的に水門見学ツアーを行ったことがあるが非常に好評でした。
また、水門はオーダーメイドですので、水門をつくる職人は技術の幅が広く応用力が高いことが特徴です。私たちはその特徴を生かして水門以外にも歩道橋や浮桟橋、バス停など水門以外の様々なものも作ってきました。であれば、水辺に人が集まるようなハードを作ることだってできるかもしれない。「川と人の関係を編み直す」というのは筑後川のプロジェクトで知り合った九州大学の五三先生の請け売りですが、乗富鉄工所ではまさにそういったことにハードとソフトの両面から取り組みたいと思っています。
乗富鉄工所が本社を置く福岡県柳川市は、市内に総延長930kmの掘割が流れる水郷として知られています。川下りや水辺のイベントも盛んですが、高度経済成長期に掘割がひどく汚れ、埋め立てが計画されていたことがあります。その流れに待ったをかけたのが当時市役所の職員で会った広松伝氏です。本来埋め立てを推進する側であった彼は、「彼は掘割とともにあった暮らしを思い出そう」と訴え、何百回という住民説明会や全国での後援会活動を通して埋め立て計画をストップさせたのでした。川下りを目当てに世界中から観光客が集まる今の柳川があるのは広松氏と彼に共感して行動した当時の先人たちのおかげなのです。この経緯はスタジオジブリにより「柳川掘割物語」として映画化されていますが、柳川市民でも知らない人が多く恥ずかしながら私も最近まで知りませんでした。日本はオランダと同じく古くから水と付き合ってきた国です。川にまつわるエピソードは柳川以外でもさまざまなところにあり、九州には加藤清正、成富兵庫成安、田中吉政、中村哲など川にまつわる偉人も多くいます。そうであれば今を生きる私たちは彼らの足跡をヒントに川と人の関係を編み直す(remix)ことができるかもしれません。
水門はかつて鉄でつくられていましたが現在はステンレスやアルミなど長寿命の素材が使われるようになっています。私が入社した8年前は先行きへの不安と閉鎖的な社風に嫌気がさした職人の離職が続いていたタイミングであったので、このままでは事業が継続できなくなるかもしれないという危機感から水門製造で培った技術をつかってアウトドア用品のブランドをはじめました。アウトドアブームの追い風もあり会社の知名度は飛躍的に向上し、デザイナーやスタートアップ、大学、行政、まちづくりプレイヤーなど様々な人たちと関わるようになりました。中には入社してくれる人もあり、社員も若返りユニークなバックボーンをもつ社員も増えました。今回オランダに行ったのもアウトドアプロダクトの海外展開がしたいと思ったことがきっかけです。新規事業が目立っているため「水門やめるの?」とご心配をおかけしたこともありましたが、業界の中に閉ざされた門戸を開いたことで、水門屋としてできることも増えたと思っています。
だからいま、乗富鉄工所は新しいビジョンとして「OPEN THE GATE」を掲げることにしました。乗富鉄工所は開かれた町工場です。だからいろんな業界とコラボレーションして水門も、キャンプ用品も、家具も、アートも、イベントだってやっていきます。今、日本にはさまざまな分断があります。コミュニティの分断、自然と人の断絶、仕事と楽しさの乖離…私たちは九州の小さな町工場ですが、未知の門を開いて、人と世界が溶けあう未来に少しでも貢献していきたい。そう思っています。
最後に
今回、オランダに行くことができたのはエヌエヌ生命さんが主催するオランダステディツアーのメンバーに選んでいただいたからでした。本当に貴重な学びを得ることができました。エヌエヌ生命の皆様、MONO JAPANの皆様、同行して頂いたスタッフの皆様、ツアーメンバーのみんな、展示会に来ていただいたお客様や出会った方々、そしてこの長いnoteを最後まで読んでいただいた方に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。