ノーラ紫苑ものがたり
それは、2019年の冬のことじゃった。
いよいよ占いを趣味の延長線上でずるずるすることをやめて「占い師」になろう、かなーとなんとなく思った私は、占いの勉強ならここと決めていたご近所の「ウラナイトナカイ」のサイトを開きました。そこで見つけたのは、まついなつき先生の「西洋占星術初級こってり講座」開講のお知らせ。この価格でやるのはこれが最後だよ、しかも満員になったけど席を増やすよ、とのこと。扉が開かれていると直感した私は迷わずまつい先生にメールを送りました。
なぜ「占い師」になろうかなーと思ったのか、それはそのときとてもとても辛い時期だったからです。私に限らず、人は辛い時に、行き詰まった状況の時に占いを必要とし、惹きつけられるのではないでしょうか。
そんな辛かった中、まずは2019年1月6日の日蝕の日にウラナイトナカイで開催された、天海玉紀先生のインナーチャイルドカードで2019年を読む講座に参加しました。毎日毎日うんと辛いので、当然課題を表す位置にラプンツェル(タロットカードの塔)を引いてしまうわけですが、ポジティブに読んだ気がするので「塔から出る」といったんじゃないかな。その頃の私は全然出る勇気も何もないのにそう言ったんですね、口が。そしておそらく3枚目に引いたであろうクリスタルのガーディアンに関しては「私が世界です」といった気がする。超ポジティブ。なぜかはわからない、超ポジティブにしか読めなかったんですねー、3枚とも。
その後に起こることを体が先に知っていたとしか思えないです。
体が先に知っている、というのは身体感覚変態の私にはよくあることで、心と頭はだいぶ後についてきます。
その後の2月からまつい先生の西洋占星術初級講座が始まったわけですが、やっぱりプライベートが辛すぎて事件続きだったので、虫の息で参加していたような気がします。
勉強は頑張れなかったけど、まつい先生の説明はとても面白くて、俯瞰で理解しやすく、絵が浮かぶ説明なので虫の息で参加していても理解できる内容なのですが、その中で印象的だったことの一つにアセンダントの説明がありました。占い装束はアセンダントで決めるといいよというお話。
まつい先生のかつての生徒でアセン射手の方がいて、その方に「アメリカ人のスピリチュアル系みたいなのがいいよ、ヒーラーみたいな、派手なの」とアドバイスしたという話を聞いて、アセン射手の私は、なるほど私が占い師になった暁にはアメリカ人のスピ系ヒーラーをイメージしようと決めたのでした。
でも相変わらず占い界隈に友達が一人もいなかった私はそれっぽい名前も一人で考えるしかなくて、悩んで悩んで悩んだ末につけたのが「ノーラ紫苑」というわけです。
イプセンの人形の家のノーラの時点でアメリカ人じゃないし、当時の辛さが漏れ出ちゃってるし、全然スピ系っぽくならなかったので、紫のベールをつけてそうな紫苑を後付けしてみました。
唐突ですが、神様っていうのはいるもので、地獄の日々にも蜘蛛の糸というか反転するような出来事も結構な頻度で起きるわけですよ。
玉紀先生の講座もそうだし、まつい先生の講座もそうだし、そこへ私にとってのホームであるヨガスタジオの周年記念温泉旅行があったのです。
そこしか相談するところがないので行きのバスでノーラ紫苑の話をしたところ「そんなん絶対いいに決まってるじゃーーーん!!しおーーーーん!」とノーラ紫苑があっという間に広まり定着し、宿の同部屋では夜な夜な紫苑の占いが展開されたのでした。
これでノーラ紫苑としてやっていけるなと思った矢先、
思いっきりタロットの塔(ラプンツェルでもよかろう)事件が起こり、それどころではなくなってしまったのです。
ノーラ紫苑というと、その光と闇の大運動会の時期が思い出されてしまうので、無理無理無理と、闇に葬ってしまっていたのですが、
この度玉紀先生率いるソロ活のメンバーとのミーティングで、どんどん勇気が湧いてきてもう大丈夫と確信した私は、葬ったノーラ先生を墓から掘り起こしたという次第です。というかこれも例に漏れず「ノーラ紫苑で行きます」と口に出したのが先ですが。なんでも体が先なのです。
辛かったことはもう終わったんだという頭と心の理解は後からついてきました。
過去は過去じゃ。ノーラでも紫苑でも、呼んでいただければ幸いです。