「自己受容」の誤解(その2)
「自己受容」しなくちゃと思うとき
幸せなときに自己受容しようと思う人はまずいないと思います。
では、自己受容というワードが頭をもたげるときはいつなのか?
私の場合は、
・仕事で自分の能力不足を感じたとき、
・対人関係で、嫌な思いをしたとき
・傷つきやすい自分を自分で受け入れられないとき
・独りでいる自分は世間にボッチで寂しいやつと思われているんだろうなと
自己卑下の思いにかられたとき
など、受け入れがたい自分像からくるネガティブな感情に支配されたときが多いです。
時には数日支配されることもあって、このままだと苦しいから、頭の中で
ポジティブに捉えなおして、受容しようと言う作戦に切り替えようとするのです。皆さんの場合はどうでしょうか?
例えば失敗したときでも、失敗は成功のもととか、一部成功とか、失敗しない人はいないとかです。自己肯定感の高い人の考え方をネットで調べては、そういう方々を真似て、認識を捉えなおしてみたり、前向きだったり優しい言葉をかけてみたりします。そうすることで、程度が軽いものであれば、すっきりしたり、前向きになるときもあります。
でも、数日悩む程、重たいレベルとのきは、受け入れるということに既に抵抗がかなり走っている自分に気が付くわけです。当然そんな状態で自己受容なんて到底無理です。そして、自己肯定感の高い人と比べて自己受容できない自分へのバッシングが始まる悪循環(笑)。
何で自分は受容できないのだろう?できる人と何が違うのだろう?とずっと不思議でした。
前置きがかなり長くなりましたが、受容は、受容しよう!と躍起になっている思いを諦めたときに自然に起きました。受容の諦めとは、ポジティブな自分になることを諦めて、ネガティブでいいもんねーと半ばやさぐれることでもありません。自分はこの人生でこれ(ネガティブ)を経験したかったんだよね!自分で選んだんだよね!というスピ系の考え方(嫌いではありませんが…)でもありません。
実は、自己肯定感の高い人やスピ系など、他の誰かの考え方は一切必要なかったのです。
続く…